人生に意味を与える奇麗なもの|何もかも憂鬱な夜に(中村文則)
人間をいくつかの類型に分ける診断や占いがある。
最近だとMBTIとか、古くは血液型占いとか。
そういった、設問に対する回答や出自といった事実から導き出される類型とは異なる、極めて曖昧だが、この上なく確実な人間の区分を感じる時がある。
「何もかも憂鬱な夜に」は、刑務官として働く主人公が、ある夫婦を殺害し、その判決を待つ二十歳の男を担当するという話。
男とのやり取りを通じて、自殺したかつての友人や、自分を救ってくれた恩人との過去が呼び起こされていく。
冒頭の話に戻ると、
「自分は何に興奮や恐怖を覚え、何をしている時に最も自分らしくあれるか」そういったことで人間の性質が規定されるように思うことがある。
主人公の友人が自殺した後に、主人公に送りつけたノートにこのような一説がある。
自分が想像すらできない思考や、感じることのできない感覚を持つ誰かに憧れるが、自分との間に隔たる壁の高さに絶望する。
そうなろうと足掻くことすら諦める。
諦めた人間は「こっち側」にいる人間を鋭く嗅ぎ分ける。
「あっち側」に行こうと壁に足をかける同胞の足を掴んで離さない。
けれども、その壁を越えることだってある。
生き方が全部変わるわけではなく、部分的に、少しずつ。
そういった人間の苦悩や変化がとても鮮やかに、とても繊細に描かれている。
この一節は僕に深く刺さった。
「なんのために生きていかないといけないのか(こんなにしんどいのに)」
そんなことを考え続けて眠れない夜があるけれど、
そんなことを吹き飛ばすような「素晴らしいもの」がこの世にはある。
それは、小説だったり、音楽だったり、映画だったり。
どんなに鬱屈とした日々でも、誰とも分かち合えない孤独があっても、それでも生きていたいと思える素晴らしい奇跡がこの世にはある。
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