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生と死の偶然性|すべての、白いものたちの(ハン・ガン)
アジア人初のノーベル文学賞受賞。
普段はもっぱら日本の文学を読むことが多いが、ミーハー心からその著作を読もうと思った。
ただ、受賞の影響により書店はおろかネットでも扱いが少なく、なかなか手元に届くまでに時間がかかってしまった。
仕事も立て込んでおりなかなか読書の時間が取れない中、
やっとのことで読み始めた小説には、
これまではあまり経験したことのない、ゆっくりとその世界が染み込んでいくような不思議な読書体験が待っていた。
白いものについて書こうと決めた。春。そのとき私が最初にやったのは、目録を作ることだった。
「すべての、白いものたちの」は、目録に並べられた「白いもの」についての日記のような断片が、ある種たんたんと連なる構造となっている。
しお、ゆき、こおり、つき・・・
それぞれの文章はどこか詩的であり、読み始めた時はなかなか物語の構成や世界観をつかむのが難しかった。
しかし読み進めていくと、、独立していたように思えたそれまでの世界が連なりを持ち、それぞれの断片に託されたメッセージが姿を変えていく。
生後間も無く亡くなってしまった姉。
一度も出会ったことがないが、いつも自分を見守っているかのように感じる存在に抱くさまざまな感情。
生きていて欲しかった、姉のような存在がいたらどうだろうかという夢想。
彼女が生き続けていれば、私は生まれることがなく、
彼女が死んだことで私が生まれた。
ある状況において、生と死は隣り合わせになるということ。
生と死が混ざり合い、その偶然性によって簡単に裏返るものである。
そんな中で、彼女に自身の体を明け渡して、「生きていって」もらう。
白い、純粋で美しいものを自分という体を通じて感じてもらう。
私の母国語で白い色を表す言葉に、「ハヤン(まっしろな)」と「ヒン(しろい)」がある。綿あめのようなひたすら清潔な白「ハヤン」とは違い、「ヒン」は、生と死のさびしさをこもごもたたえた色である。私が書きたかったのは「ヒン」についての本だった
日本語とは異なる言語で書かれているからこそ、特有の「言語観」を感じることができる。
まさにこの作品で描かれていたのは「ヒン」のような、どこかくすんでいる白いものたちだ。
白くありながらも、その中に生も死も同じように含んでいるものたち。
秋らしくない秋に読んだけど、もう少し寒い、薄暗い冬に読むのがピッタリな物語。