論語 子張3 人と言葉との付き合い

 子夏の門人が交際について子張に質問をした。
 子張は、「君の先生の子夏殿はどう言われていましたか。」とたずねた。
 門人は、「子夏先生は、良い者とはつきあい、良くない者とはつき合わないことだ、と教えられました。」と答えた。
 子張はこういった。
 「私が孔先生からうかがったことは、それとはちがいます。君子は、賢人を尊びつつも、一般の大衆に受け容れる。人に良い感化を与えるはずですから、どんな人も受け入れられる。逆にこちらが劣っているならば、向こうの方がつきあいをことわる。こちらから人を拒絶するまでもない。(つまり、人とのつきあいは拒絶するものではない、と教わりました。)」

齋藤孝(訳)(2010)『現代語訳 論語』 筑摩書房

 子張も子夏も孔子の弟子にあたる。子夏の言っている事も間違ってはいない。というか論語のなかにも似たような教えは出てきていた気がする。

 それに対して子張の話はもう一つ複雑な段階である。学習をしておきながらも堅苦しさがないというのは、知識を無駄に押し付けることが無いという事だ。
 すれ違いの原因の一つとして知識の差がある。根拠とすること、知っている事、信じている事等が違うので話がうまくかみ合わない。そういった時に謙虚な気持ちで教えを受ける事も必要であるが、気遣いも大切だ。
 知識がある事と気遣いが出来るの事は別な事である 。

 そんな人間は人を受け入れるだけではなく、人から受け入れられるようになるという事だ。そしてこちらが悪いと相手の方から去っていくという事である。それを肝に銘じて普段から心がけたいものであるだ。
 これらのことから人間関係はこちらが選別をするものではなく、勝手に出来上がるという事が言える。

 勿論、それはこちらが何の手を打たなくて良いという事でもない。孔子は人によってアドバイスを変えることがあったり、皮肉を込めた言い方をすることがあるので、言葉だけを鵜呑みにするのではなく、その裏にある意図や状況を考えて仕えなければ詭弁となりかねない。
 偉い人の言葉も人やタイミングを見抜けなければ使ったところで意味がない。

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