論語 子張18 自分と家族と時々社会

 先生はこうも言っておられた。孟荘子の孝行ぶりは実にたいしたものだ。父親の死後、家臣も政策もそっくりそのまま受け継いで、変更しなかった。たいていのことならほかにも例はあるが、このまねだけはできない、と。(曽子)

久米旺生(訳)(1996)『論語』 徳間書店 中国の思想[Ⅸ]

 このことからも孔子が上下関係や従来のやり方を重んじている事が分かる。息子が父親の跡をただ継ぐのではなく、その意思をそのまま反映させるのは、当時でもそれなりの覚悟と努力が必要になったのだろう。家臣も政策も普通であればそのままというわけにはいかない。

 考えなければいけないのは孟荘子の父親の政策や家臣の良し悪しである。それらが歪んでいれば、国民が苦しむ期間が長くなるだけである。

 そもそもだが「従来のやり方を通す」というのが現代でどれほど意味のある事なのか、どういった意味合いで使う必要があるのかを考える必要がある。技術は昔とは比較にならないほど進歩している。そしてその進歩のスピードも速い。「半年で今ある知識は古くなる」というのはどの業界においてもいえる事である。勿論、基礎知識や歴史などは大きく変わることはないのかもしれないが、私達が実感していないだけで世の中は刻一刻と変化し続けている。

 そんな中で従来のやり方と上下関係を重んじるという事は無条件で受け入れられるものではないのかもしれない。技術の進歩の速さは年代間での価値観の多様化を生み出す。
 そんな中で求められるのは多様な価値観がある中での目的の設定の仕方とそんな多種多様な人間が集まる機会を意図的に創造し、頭だけではなく身体を使って交流する機会である。
 その時に価値観に染まらない伝統や儀式は必要になってくるのではないか。

 上下関係を重んじる必要がある理由についてだが、個本人の好きなように自由にさせるべきという昨今の考え方に対してバランスをとる考え方である。
 本人の自由よりも優先しなければいけないことは多くある。一つは、幼少期や成長期の知識がなく判断がつかない時にはアドバイスだけでは規則や決まりを守らせる事は出来ない。厳格な態度や絶対的な権力者(子に対しての親)が社会に適応させるために、躾をすることは必要である。心に傷が残るような行為や言動は言語道断だが。

 個人が自立した生活をする為には、期限をつけた話し合いとそれを順守する強さが求められる。その為には家族がそれぞれを大事に思う事はあっても、自分の人生を親や子供の関係性だけに依存させる形で成り立つものであるのは危険である。
 実家暮らしを否定しているのではない。そこに現実的な将来のプラン(お金や生き方)が話し合われているか、家族以外の依存先をどれだけ自分で確保しているのかという話である。

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