論語 子張8 面倒のそばには大事な事がある
子夏がいった。
「小人が過ちを犯すと、必ずとりつくろってごまかそうとする。」
短いが的確に性格を表している。私自身も経験がある。間違いを指摘された時に素直に認めることが出来ず、ほぼ無意識のうちに言い訳じみたことを話してしまうのである。
本人の癖に近い部分である。それは怒られ慣れていないので一種の自己防衛のような反応に近い部分もあり、単純に性格が悪いという話だけではなく、根本の部分に自信がないとか、普段の生活から自分を甘やかしている
という事もいえるのかもしれない。
君子は過ちを犯さないという事ではない。失敗をしたときに素直に認め、自分の糧とすることが出来るのである。だからこそ同じ失敗を繰り返えす事も少なくなるので、過ちそのものが少なくなっていくのではないだろうか。
この手の道徳の話で毎回思うことだが、結局意識だけで変えようと思っても不可能である。今、自分の弱さを指摘された時素直に受け止めることが出来るだろうか、何か重篤な事故を起こした時焦らずに慎重に対応できるかどうか。少なくとも私は絶対に無理だ。
その為には普段の面倒くさいことに取り組んでいかなければいけない。結局のところ出来る事しか出来ないのである。出来るし必要だからこそ面倒くさい事をやっていく中で少しずつ変えていくしかない。それが一番現実的な
方法である。
すぐ出来ると思ってやっても出来ない時、それは自分自身の評価が高すぎるという事である。その現実を受け止める事すら困難なものだ。
一つの問題に対応する時、一つだけが問題になっているのではなく多くはいくつか複合的に問題を抱えている。
今回の話だと、自己評価と行動に移す問題である。