論語 子張2 SNSの情報はどこまで現実か

 子張が言った。
 「徳を守るのに中途半端で、道を信じるのにもたいして熱心でない。そんな程度の人には、道徳があるとも、ないとも言えない。」

齋藤孝(訳)(2010)『現代語訳 論語』 筑摩書房

 当たり前の事を言っているようで実は大変難しいことを言っていると感じる。一つは、道徳が道徳であるためには、ある程度継続しなければいけないということ。もう一つは簡単に判断をつけないという事だ。

 例えば、確かにゴミ拾いをしている人は偉い。そういった人を私達は道徳的な人であると思ってしまいがちであるが、子張に言わせれば、道徳的な人かどうかは判断がつかないという事だ。

 やっている事は立派であるがそれがその場の思い付きなのかどうか。
芥川龍之介の「蜘蛛の糸」に出て来る悪人のように犯罪を犯しているがきまぐれで蜘蛛を助ける事もある。だが彼はその後に地獄に落ちることを考えても道徳的な人とは言えないだろう。

 表面だけを見て判断してはいけないという事である。やっている事は正しいさとそれがその人の評価に直結するかどうかは分からないという事だ。

 あるともないとも言えない、つまりは分からない。こういった煮え切らない答えは分かりにくく、もやもやが残るかもしれない。しかし、無責任に断言する事はそれ以上に悪影響が出る。分からない事ははっきりと分からないと喋ったほうが良いだろう。

 そもそも、何かを分かるという事は自分で確かめるという事であり時間がかかるものだ。それ以外の「分かる」アプローチとしては調べるがあると思うが、厳密に言うと分かるのではなく信用を作る作業になる。証言や証拠を集めて検討するという事だ。

 当たり前だが自分と相手の立場が変われば当然この視点は逆転する。自分で実験をして分かった事実も、他人にとっては信用を集める必要が出て来る。
どちらにしても時間や労力がかかるのである。

 心構えとして簡単に理解できるものは少ないと思った方が良いのかもしれない。

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