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龍雲
作品名:龍雲
制作年:2021
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空にたなびく雲を、ただぼんやり見つめるだけの時間を過ごしたことがあるだろうか。どこかへ急ぐように遠ざかる様子や、のんびりと風に乗って漂う姿、浮かんでは消えて消えては浮かんでをせわしなくくり返す泡沫の情景、時に雷鳴を轟かし時に虹の光彩を放ち、雨を降ろし雪を舞わせ、満月の夜空を独り占めしたかと思えば、蒼穹を前に潔く身を退く……。いくつもの顔を持つそんな雲を、ただただ見つめ続けたことはあるだろうか。
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雲は私たちの感情そのものである。雲によって天候が左右されてしまうように、感情によって思考も態度もぐらついてしまう。そうならないよう、これまで私たちは湧き上がる怒りを抑え、溢れる苦しみに耐えてきた。常に冷静で強かな姿がさも人の徳であるかのように信じ込み、いかにして感情をコントロールしようかなどとそればっかりに注力してきた。しかしそれは本当の在り方なのだろうか。自然の理に適った方法なのだろうか。
はたして自然が、重くのしかかる鉛色の雲を消し去ったことがあっただろうか。雷が落ちて草木が燃えないようにと海の上にとどまらせた験があっただろうか。たとえ山ひとつ崩すような台風であっても自然はそのままに任せている。流れに委ねることこそ自然であり、感情もそのままにしておくことが人として自然な在り方なのだ。
この龍雲は人のこころに湧き上がる七つ感情すなわち『喜・怒・哀・楽・愛・悪・欲』を表している。仏教では七情といい、儒教も種類は違えど同じこころの動きを説いている。源龍図には『七情云』の画があることが確認されており、これと同じ流れに委ねたものであろう。云は雲の原字であり、雲から龍の尾が見えているさまを表しているのだという。
雲そのものに龍が潜むのなら、感情にも龍が宿っているはずである。それほど優しく尊い存在を抑えつけ、耐え忍び、あまつさえコントロールしようなどと、どうしてできようか。雲を眺めるがごとく、ただその姿を見つめ続けるだけでよいのである。やがてそこに真の美しさを知り、喜びに涙することだろう。その時、人は本当の自分を知るのである。
委ねる芸術家