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折々の言葉から(篠田桃紅さん)

タイトル写真は、ご近所の友人が朝のお散歩に出て送ってくれた画像から。
冬の富士山は本当に美しい。朝の景色も夕方の茜色に染まった景色も
しみじみと今ある幸せを思わせてくれる。

1月31日、朝日新聞の「折々の言葉」に篠田桃紅さんの言葉が紹介され、
学生時代のLINEグループで話題に出た。

私は2023年に桃紅さんの
「103歳になって分かったこと」
           人生一人でも面白い

という本を読んでいたのを思い出し、読書記録を
引っ張り出して読みかえした。

以下にその時の読後感をUPしてみる。

103歳と言えば私には今からまだ20年も
先の話で、自分が果たして生きているかも
定かでない話だが、その気持ちを文章として
著す力に脅威を感じる。

元々、その時代にあって(大正生まれ)独身を通し、
芸術の世界でも一人で活躍をしてきた強靭な
精神力の持ち主なので、私など足元にも及ばぬ
精神力と才能に恵まれた人だ。
その片鱗は文章のあちこちに光を放って
散りばめられている。

・・・「私は「死生観」など若い時から
持ったことはありません。
人間という生物はいずれは衰えて
死ぬものであり、私の知恵でどうする事も
出来るものではありません。
歳を取っても得られるものはあるのか、
それはなんなのか?
それを考える日々であったし、身軽で
自由の身であったから、何かへの責任や
義務に縛られる事もなく、ただ気楽に生きてきた」
と言い切る。
人に対して過度な期待や愛情も憎しみも持たない。
そもそも人に介入する立場ではない・・・と潔い。

残念なことに篠田桃紅の展覧会に足を
運んだことはなく、作品を知るのはもっぱら
誌上やテレビなどの報道でしか知らないが、
その作品を見る限りでは、
作者の強い意志を感じ、何物も犯し難い
オーラがあった気がする。
先のような人生観は自ずとその作品に
表れているのだと納得できる。

そして100歳を生きたその時でも、・・・
今までは前例があったが、100歳となっては
前例は少なく、全てのことが衰えていく
ハンディの中で創造的に生きて
いかなければなりません・・・と、
楽しいことではありませんがマンネリズムでは
ありませんという。
すごい!
という以外に言葉が見つからない。

・・・人は「いい加減」に生きるのが良い。
過ぎるのも足りないのも良くない。
自分が心地よく生きられるように
いい加減に生きれば良いと言っている・・・
まさに「八十の壁」で和田秀樹先生が言っている言葉が
そのまま当てはまる。

・・・感動する気持ちを持ち続ければ世の中は楽しいこと、
頭で納得しようとするのは思い上がりであるとし、
次の言葉を・・・・アメリカの有名な
美術評論家のジョン・キャナディの言葉として 
「絵、芸術を見るのに表題はいらない。
その作品の生まれた経緯も必要ない」と言っている・・・
と例としてを挙げている。

・・・誰もやらなかったことをやるのが良い。
受け入れられるか認められるかよりも
行動したことに意義がある・・・などは、
自分に自信のない私などは
「それはあなただから言えることでしょう」
と思ってしまう。

・・真実は見えたり聞こえたりするものではなく
想像することで、言葉でも表せない・・・
というくだりは大いに納得出来る。
不幸に見舞われた人にいくら慰めの言葉を尽くしても
その人の本当の悲しみに重なることは決して
出来ないと常に心している。

大戦中に婚期を迎えていた筆者は意にそまない
結婚を避けるために書で自立し、
次第に書の中に自由を求めて、
意思のままに抽象表現に向かって行ったと
いうことらしい。

現状に縛られたくないという強い意志があり、
たまたまそれを目にしたアメリカ人によって、
ニューヨークでの展覧会に結びつき
評価を高くして行ったという。

心の自由を求める強い心が作品に現れて
人の感動を呼ぶということだろう。
旧約聖書・・・
・・・「時宜に適って語られる言葉は
銀の器に守られる金のリンゴの如し」
を引用し、結核にかかった時に間髪を入れずに
医者がかけてくれた
「治りますよ」の言葉に励まされたという。
兄弟を何人も結核で亡くしている筆者は
結核ですと言われた時の恐怖と安心感をそう語る。

時代によって価値観は変わる。文学芸術などは
長い間人々に愛されてきたものだが、
未来永劫愛され続けるかというと断言はできない。
唯一断言できるものは、人類がその価値を
認めざるおえないものは「母」だと言った
人がいるが確かに女は結婚するのが当たり前の
時代にあって「好きなように生きなさい」と
背中を押してくれたのは母だったと述懐する。

「我が立つそま」ソマ・・・杣と書き、
滑り落ちそうな斜面にあって、
ほんの少し平になった場所をいう。
自分に今与えられているそういう
場所を大切にしたい。

若い頃から自分の生活スタイルを変えず
和服で通しているが、その和服文化、
日本文化も末端から途絶え始めていると締めている。

2021年3月107歳で亡くなられた。
大正の始めに生まれた筆者がその時代に
107歳になるまで
強い意思のもとに活躍し続けた輝かしい
人生に大いなる拍手を送りたい。
                       以上

「折々の言葉」に取り上げられたのは
「できるはずだと思い上がるから、
息詰まるんです」
という言葉。永遠にやったってできないに
決まっていることを自分はやっているのだから」・・・
「人と比べたり合わせたりせずに、
あとは想像にお任せします」
とやってきたことだ。と・・・

人と比べたり、人の意見に心が
揺らいだりなど日常茶飯事な私にとっては、
驚異的な気持ちの強さだと
ただただ恐れ入るばかりだ。

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