通院も訪問も選べないトラウマだらけの発達障害者

私は病院に通うことが出来なくなった。何科でも病院を使うことが怖いのだ。私が病院に通うことの出来ない大きな原因は受付である。無断で予約時間を決めつけて有無も言わさず勝手に入れようとする受付や、全く動かなかったので並んでないのだと思い受付に行こうとしたら横入りだと他の患者がレッテルを張り、それを庇う受付など、私は受付の存在にないがしろにされた記憶を随分と増やしてしまった。もうただでさえ医者やカウンセラーも含むトラウマで無理して通っていたのに、恐怖を植え付けられてしまった。もう私は病院に通うには恐怖と怒りで満ちていてどうすることもできない。

そして私が発達障害であるゆえに記憶が消えないのだ。おそらく私には生きてきた人生分の怒りがすべて風化せずに詰め込まれていて、少しでも刺激があれば破裂してしまう。そうして破裂したときに自分が批判されたら、それがさらなるトラウマになってしまう。誰も味方がいないというのに無理やりう学校に通わされていた頃の感情がそのまま溢れ出してしまう。それが恐ろしくて通院できなくなってしまった。

記憶に残りフラッシュバックしやすい人間にとっては、在宅医療を使うことも困難だ。もし家で何か傷つくことが起きた時、家がフラッシュバックするトリガーの場所になってしまっては人生は終わりである。引っ越しなんて金銭も気力も体力も掛かることをする覚悟で訪問医療を頼ることなんて私にはとても出来そうにない。

あらゆる病院が他の患者と鉢合わせになることもない仕組みになってたり、受付に聞かなくても医師への質問がメールでやりとりが可能であったり、受付が人間ではなく機械であったら助かるのだが、受付はなぜこの時代においてもまだ人間なのだろう。患者は医者との相性を模索するだけでも苦労せねばならないのに。トラウマインフォームドなんて、本業である医師や看護師にすら浸透してないだろうに、受付に伝わる確率は絶望的だろう。

身体は不調だらけでめちゃくちゃで、夜中に起きることも増えて困っているのに、受付に崖から突き落とされるような仕打ちをもう受けることが怖い。どうしてこんな世界に生まれてしまったんだろう。

今新幹線で通っている医師も受付とのトラブルで医師がいる別の病院に通っているのである。そのお金で出来たことはどれだけあるだろうと考えると非常に苦しい。だけど私をいじめた学生も、私を傷つけた受付員も、のうのうと生きているのだろう。私はどうしてどこへ行っても助けを求めても人から傷つけられるのだろう。人と会えば会うほどトラウマは増えて悪化する。

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