芙蓉

自閉症だったり複雑性PTSDだったり 毒親育ちだったり統合失調症だったり 解離してたり…

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自閉症だったり複雑性PTSDだったり 毒親育ちだったり統合失調症だったり 解離してたりフラッシュバックする

最近の記事

コミュ障すぎてROM専もままならないオタク

久々にキャラクターにハマった。しかし二次創作を見ることも大変だ。相手に承認されないと作品を見せてもらえないのだ。 私はその人の描く作品は好きだし、趣向も好きだし、当然キャラクターも好きなのだか、普段から好意を表現することを何もしておらず、承認のされ方がわからない。自分が好きだと語って的外れなことを言うのも申し訳のなく感じる。昔はただキャラクター図鑑を引っ張り出したり検索して誕生日さえ入れられたらよかったのに、今は難しい時代になった。 そんなモヤモヤを抱えていたら眠れなくな

    • 友達がいなくても人権はあり愛されていい風潮が生まれた方がいい

      雑談が苦手な女に人権なし私にとって会話というのはドラゴンボールの戦闘でした。警戒しなくてはならない情報を発する存在が瞬時に切り替わり、突然自分の方向に攻撃が向かってきてそれに対応せねばならないという理不尽な環境でした。雑談が苦手というのは、そうした所から始まるものでした。そして騒がしいのも苦手でした。全く人が不向きでした。 私はいじめに合いました。まだ小学生でしたが、小学1~2年生の時は高圧的な教師、二年の時はいじめに参加する教師でした。ボロボロな最中転校した後も、ずっとい

      • スヤスヤ教にキレる人たちが怖い

        つい最近インターネットでスヤスヤ教という存在が出来たようだ。そんなことはインターネットのよくある一時のノリではあるし、内容もそのくらい軽い内容ではあった。それでも不眠症の人が見たら自己嫌悪してしまいそうな宗教だなとは思ったが、やたらキレている人たちを見掛けるので怖い。大体暴言なので読んでて怖い。 スヤスヤ教という生まれの境遇というのは、あらゆる面倒事を断りたいという、時間の搾取や強制的な集団への参加などから身を守るために作られた意図があるように見える。いわば上記のような相手

        • 読み放題にあった本が想像と違った

          Amazonの読み放題にTwitterでよく見かける精神科医の本があった。生きやすくするはずの本なのだが、本編の半分が認知の歪みを扱っていて読んでいて気が滅入ってしまった。どうしても発達障害やタイムスリップ現象を抱えていると、認知の歪みで片付けて終わるような境遇に立つことは難しい。 それに異様に読み心地が悪い。クヨクヨという擬音であったり、~でしょう?と歪みとして相手の価値観を切り捨てたりと、妙に攻撃的で、読んだだけで委縮した心地になる。疲れ切っている人間が手にとるような本

        コミュ障すぎてROM専もままならないオタク

          私はそれぞれに挨拶を憎んだ

          私は挨拶という概念が嫌いだ。銃口を向けられたような緊張があるからだ。おはようと言われた瞬間、もし返事したらどうなるのだろうと不安になる。きっとこの人は普通の人なんだと思われるかもしれない、普通、普通、なんて忌々しい言葉なのだろう。普通という言葉に乗せて、何十何百というルールが襲いかかってくるのではないだろうか。もしこの挨拶の先に、何か言葉があったらどうしよう。何かをしろと何かをするなと言われるかもしれない。普通というリトマス紙で言葉の一つ一つを調べられるかもしれない。誰かとの

          私はそれぞれに挨拶を憎んだ

          宗教二世という博愛的毒親の病

          宗教二世という問題が取り上げられて少し経った。宗教に傾倒した親を持つということは多くの有害が出来事が起こる。しかしそれほど熱心な宗教行為を行う親でなくとも、私は宗教の影響を受けた母に苦しめられている。 母の母こと、私の祖母は熱心なキリスト教徒であり、母の父こと私の祖父は炭鉱夫であり、隠れキリシタンの末裔のような境遇を背負っていた。母は私をキリスト教に入信させず、本人も神社に寄り付かないくらいの情はあるが、キリスト教のためにお金を払ったり、キリスト教の勧誘をしたり、教会に行く

          宗教二世という博愛的毒親の病

          公認心理士がセカンドハラスメントする世界の冷たさ

          公認心理士がいじめられるのはいじめられる側の責任であるという記事がYahoo!ニュースにあった。私はカウンセラーでいい思い出は一つもない。 公認心理士の肩書を持つ人間が二次被害を与える世界で、 自己肯定感を語ろうと、公認心理士がお前が悪いと否定する。 安全基地を語ろうと、資格を信じた公認心理士が踏みにじる。 今ここを語ろうと、今の時代も被害者にばかり負担が掛かる。 きっと一般人は、お医者さん行ってカウンセラーに相談したら終わりだと思うだろうし、医師は相談はカウンセラーの専

          公認心理士がセカンドハラスメントする世界の冷たさ

          誰しも2割も味方がいるという認知の歪み

          私は認知療法について見掛ける度に苛立つ。ストレスがある場所ではストレスの存在よりも、自分に味方してくれる人に注目しろという言葉があり、私はこの言葉が大嫌いである。なぜならいじめの被害にあった時、私の母はそういう話をして私が気にするのが悪いと私の苦しみを否定したからである。 母は私に一緒に話す友達がいるならその子と話していればいいじゃないと言う。しかしその子はグループの誰かがいない時にその子の悪口をひたすらに言うような子だった。そして母はいじめの被害にあっても無理やり登校させ

          誰しも2割も味方がいるという認知の歪み

          私は京都に行ったことがない

          私は修学旅行を小学生の頃に原爆ドームを見た一回しか体験していない。だから京都に行ったことはない。茶道の先生から京都は夏は暑くて冬は寒いことと聞かされたことと、ネットで人が多すぎて堪能できない話と京都語は難しい話を見ただけだった。 学生時代から精神疾患になった私には修学旅行に行く選択肢はなかった。お先真っ暗なのにそんなお金はという気持ちと、好きでもない人間との外出にそんなお金を使うなんて勿体ないの気持ちの半々であった。 私は今もお金があるわけではないが、たまに京都を行ったこ

          私は京都に行ったことがない

          貴方と同じ幸せの形を愛せない

          私は常に人から嫌われてきた。その根本の原因は人にとっての幸せの形と私の形が違いすぎたことだ。母はいつも友達100人を夢見てきた。日曜日に礼拝で遊べなかったせいなのか、友達と遊ぶことが子供にとっての一番の幸せだと信じて疑わなかった。 一方で私はお小遣い帳の数字が増えるのが楽しみで、それに比べたら遊ぶのはお金の無駄だと感じる子供だった。自分と同い年の子供よりは、自分に優しくて面倒を見てくれて、知らないことを教えてくれる先生の方が好きだったし、才能ある大人たちが力を合わせて作った

          貴方と同じ幸せの形を愛せない

          通院も訪問も選べないトラウマだらけの発達障害者

          私は病院に通うことが出来なくなった。何科でも病院を使うことが怖いのだ。私が病院に通うことの出来ない大きな原因は受付である。無断で予約時間を決めつけて有無も言わさず勝手に入れようとする受付や、全く動かなかったので並んでないのだと思い受付に行こうとしたら横入りだと他の患者がレッテルを張り、それを庇う受付など、私は受付の存在にないがしろにされた記憶を随分と増やしてしまった。もうただでさえ医者やカウンセラーも含むトラウマで無理して通っていたのに、恐怖を植え付けられてしまった。もう私は

          通院も訪問も選べないトラウマだらけの発達障害者

          人間関係は割に合わない

          発達障害に生まれると人間関係に苦労する。 人よりも精神的には人一倍気にかけるのに、それが他の誰かにとっては当たり前のことだったりするのだ。要領が悪く能力がないとただ息をしているだけでも嫌われていく。当然掛けた苦労の割に他の子の方が好かれてしまうわけである。掛けた苦労の割に還元が少ない。精神的に言うなら人間関係すべてに友達代とかデート代とかホスト代みたいに金がかかってるような気分になる。それが私にとって人間関係のすべてに起こるわけである。 これだけ負荷がかかるのは背後で頻繁に

          人間関係は割に合わない

          人と繋がることが怖い

          昔から人と関わることが怖かった。それは人が怖いからというだけではなくて、自分の独占欲や支配欲といったものを内心恐れていることも理由の一端であった。人々はこんな私を性格が悪いとか、我儘だとか、認知の歪みだと突き放すだけだろう。病院に行けという罵声もあるが、病院に行ってもこの感覚はどうにか出来る産物ではなかった。 独占欲が強いのは自信がないからというのはそうである。何かを積み上げようとすればするほどその努力に見合った見返りが欲しくて怒り狂いそうになる。だから私は努力するという選

          人と繋がることが怖い

          焦燥感に追い回されてる

          ここ最近の私は変である。胸のざわつきでおかしくなって、目的もないのに外に出て、何がしたいのかわからないまま帰ってきてしまう。私は自分の胸の中でいつも押しつぶされてしまいそうだから逃げるように歩き回ってるだけで、ろくに目的地も作れない。 私は疲れ切っていた。結婚して何年も経って、私の体感としては自分の親よりも、夫の体感としては会社の同僚よりも仲の良い夫婦として存在していて、関係性は満ち足りているはずなのに、私の胸の中は常に苛立ちが漂っている。それがなくなるのは満腹な時だけだか

          焦燥感に追い回されてる

          推すことは難しい

          私は推すという概念をついさっきまで誤解していた。私は愛情の表出、アウトプットを推すという行為であると誤解していたが、どうやら他者に推奨することが推すという意味であったらしい。ゆえに推すという言葉を示すなら客観的に見て好意的な表現である必要があるのかもしれない。 私は生まれてきてからずっと二次元のオタクだったので、三次元のオタクというものがどんなことをして、どんな苦労をするかあまり知らない。私も三次元のオタクだったら同じようなことをしていたのかもしれないと話題のnoteを読ん

          推すことは難しい

          胸の中の穴に落ちそうになる

          私は寝ることが苦手だ。横になると胸が詰まったような感覚になる。目をつぶっているとまるで自分の内側がガラガラと崩れ落ち、底もなく落ちていくような感覚が襲うのだ。 私という存在は、常に創作物に酔いしれるために何かを摂取している。文字であったり色であったり音楽であったりする。それらすべてを失ってしまうと私は何も無い自分を思い出して非常に心細くなる。突然何も無い真っ白な空間で地面もなくひたすら落下していく。そういう状況を毎晩抱く。 この崩れ落ちそうな胸を誰かに抱きとめて欲しいと、寝

          胸の中の穴に落ちそうになる