誰しも2割も味方がいるという認知の歪み
私は認知療法について見掛ける度に苛立つ。ストレスがある場所ではストレスの存在よりも、自分に味方してくれる人に注目しろという言葉があり、私はこの言葉が大嫌いである。なぜならいじめの被害にあった時、私の母はそういう話をして私が気にするのが悪いと私の苦しみを否定したからである。
母は私に一緒に話す友達がいるならその子と話していればいいじゃないと言う。しかしその子はグループの誰かがいない時にその子の悪口をひたすらに言うような子だった。そして母はいじめの被害にあっても無理やり登校させるような人間だった。そして父は母に迷惑を掛けるなというだけだった。加害者が野放しにされるような環境で、しかも被害者の責任にされて、味方が1%でもいると思えるわけないじゃないかと思う。
だから私は認知療法に対して、誰しも2割も味方がいるという認知がまず歪んでいるのだと言いたい。私には誰も味方がいなかった。日本では認知の歪みだと言って相手を間違いでそのままではよくないと断定したり批判したりするが、私のどこに味方がいるというのだろうか、これで味方って方が相当歪んでいる。しかしみな私が悪いという。そして私を今度は0と100でうんぬんと批判しだす。
私のこの感覚は誰にも理解されず孤独だ。常にタイムスリップ現象で虐待されている。しかしこれもSNSにとっては根に持つ性格の悪い奴とか、過去を言い訳に逃げているとか、大袈裟にしているとか、自意識過剰とか、そうして批判をされるのだろう。こんな死体蹴りばっかりだ。やはり味方なんて誰もいないじゃないか。この世界に私の味方なんて誰もいないじゃないか。
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