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最近「一眼レフカメラ」を買った、ひよっ子が気づいたこと
最近、夫の強烈な宣伝を受けて、
一眼レフカメラを買った。
(夫は一眼レフカメラをずっと愛用しており、
密かにうらやましいと思っていたのだ。)
そして慣れないながら、
少しずつ写真を撮り始めると、
写真を撮ることと、
note(日記のようなたぐい)を書くことは、
とても似ていると気付いた。
写真はその時、心が動いた瞬間の景色を、
その一枚に閉じこめる。
noteも、自分が書き残しておきたい出来事と、
それによって自分が感じたことを、
忘れないように自分の言葉にして閉じこめる。
そして、いつでも取り出せる。
まだnoteを描き始めて3ヶ月ほどだが、
既に最初の頃に書いた記事のことは
ぼんやりした記憶になりかけている。
でも、読み返してみると、
鮮やかにその時の景色や気持ちが
よみがえってくる。
「こんなところに行ったな」
「あー、私こんなこと思ってたんだ。」
という風に、すぐに思い出を取りだせる。
記憶なんてものすごくあいまいなものだから、
10年以上前の学生時代の記憶なんて、
もうとんでもなくあいまいだ。
学生時代の友達と話している時、
お互い沢山の思い出を共有しているはずなのに、
「そんなことあったっけ?」
ということがよくある。
「私の青春の思い出、どこいった…?」
ずーんとした、
何とも言えない暗い気持ちになる。
大切なことまで過去に置き去りにしてきてしまったような、切ない気持ちになる。
過去の自分の輪郭が、ぼやけて見える。
果たして自分はそこに存在していたのだろうか。
あの時から日記を書いていたら、
noteがあれば…。
もっと確かな過去の自分を感じられたはずなのに。
「たら、れば」を言っても仕方がないのだが。
noteを少しずつ書くようになり、
日記も少しずつ書くようになり、
その時の出来事と自分の感じたことを書いて閉じこめることで、
過去の自分が「点」になって結びついていくようになった。
過去の自分をいつでもなぞることができ、
自分の輪郭が鮮やかになっていき、
自分の好きにも気づけるようになる。
確かにそこに自分が存在した、
そしてそれが、今の自分を形作っている
と自信を持って言えるようになる。
一眼レフカメラを初めてまだ数週間のひよっこだが、
よく目をこらして、光や影、風のそよぎかた、
一瞬たりとも同じ景色なんてなく、
「今だっっ!」
と思ったその瞬間を切り取ることで、
ただなんとなく流れていた日常の景色が、
こんなにも心動く素敵な景色であることに気がついた。
スマホのカメラとは違い、
少し手間がかかるせいか、
機能が写真を撮ることに特化しているせいか、
シャッターを切る音がたまらなくいいせいか、
一眼レフのカメラを持つことで、なぜだか
「この瞬間を閉じ込めたい!」
という思いが加速する。
そして、撮った写真を見返すことで、
その時の景色や気持ちが鮮やかに甦ってくる。
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偶然光が入った。
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足元のタイルにも、
一眼レフのカメラを持つと
アンテナが高くなり目がとまる。
「この模様、可愛いなぁ。」
noteと一眼レフカメラ。
日常の自分を鮮明に記録していくことで、
これからは大切な思い出を置き去りにしないように、自分を形作っていけるように、
大切に、大切に育てていきたい。