見出し画像

石内バイパス沿線の史跡【佐伯区石内】

はじめに


 佐伯区石内地区には数多くの史跡があります。石内(当時は石道)は、古代山陽道が通る交通の要衝であったためです。現代も当地区には「石内バイパス」という県道が通っており、県下有数の交通量を誇ります。
 当記事では、石内バイパス通行時に車内からでも視認できる史跡を紹介します。

石内バイパスの概要

 「石内バイパス」とは、広島県道290号原田五日市線の、五月が丘交差点-木舟交差点の区間の別名です。因みに、「コイン通り」はこの木舟交差点から、同県道の終点である海老園一丁目・中央陸橋南詰交差点までの区間を言います。

参考
Wikipedia「広島県道290号原田五日市線」
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%83%E5%B3%B6%E7%9C%8C%E9%81%93290%E5%8F%B7%E5%8E%9F%E7%94%B0%E4%BA%94%E6%97%A5%E5%B8%82%E7%B7%9A

沿線の史跡

 当記事では、「石内バイパス」に該当する区間の史跡を記載します。
 五月が丘交差点から西方向に、通過順に紹介します。

サコダ車輌の広告塔(五月が丘交差点)

 石内バイパスに入ってすぐに、右手の山にお寺が見えます。

金剛院

 このお寺は「金剛院」といい、「石内のお大師さん」と呼ばれています。「広島新四国八十八ヶ所霊場」の第九番にもなっている由緒正しい寺です。

 しばらく走ると、左手にエディオン石内店と、「杜の街」に至る坂があります。
 その後、「石内ふれあい陸橋」の愛称がついた歩道橋が見えてきます。

石内ふれあい陸橋

 この愛称は、当時の石内小学校の児童によって決められました。この陸橋は、同校の児童が交通事故に遭ったことがきっかけで設置されました。
 この陸橋下を通過すると、右手にセブンイレブン広島石内店があります。また、販売台数日本一を幾度も達成した「サコダ車輌」の店舗や、「車検のコバック」があります。

サコダ車輌

 程なくして、右手に小山が見えてきます。この山は「まるこ山」とも呼ばれる、有井城跡です。

有井城跡


現在の標柱

有井城は、石内川周辺をおさめていた小幡氏が、地域をまとめる中心として築いた山城です。城内にはしっかりと組んだ石垣が見られ、水をくむ井戸もいくつか掘られていました。また、なべ・皿・すりばち・火鉢などの日用品が多く見つかりました。こうしたことから、この城は戦いのための一時的な「とりで」ではなく、普段は武士たちが生活をしており、戦いが起こった時には守りの中心となるような施設だったと思われます。

ひろしまWEB博物館「有井城跡」
https://www.mogurin.or.jp/maibun/data/ariijo.htm

 なお、石内バイパス工事の為、南西側が半分切り取られています
 出土品は市重要文化財に指定されています。

参考
「いろいろあるよ石内マップ」佐伯区ふるさと文庫
http://www.cf.city.hiroshima.jp/ishiuchi-k/img/iroiroaruyoishiuchimap.pdf

 この有井城のすぐ近くに、「石内三大石垣」の1つに数えられる土井屋敷跡の石垣があります。

土井屋敷跡の石垣

 その後、寿司屋「しーじゃっく」の跡地を過ぎれば、右手に商業施設「石内ペノン」が見えます。

石内ペノン

 ひまわり石内保育園を通過すると、右手に「石内ショッピングプラザ」が見えます。マックスバリュやコーナンがあります。(余談ですが、高1の時に1ヶ月だけ、ここのコーナンでバイトしていました)

石内ショッピングプラザ
コーナン石内バイパス店

 ちょうどその辺り、右手に「寺尾モータース」があります。

寺尾モータース(丸山小学校跡地)

 この辺りは、石内小学校のもととなる「丸山小学校」の跡地でもあります。
 その隣の小山の辺りは、松丸神社跡です。明治41年に臼山八幡神社に合祀されました。

松丸神社跡

 しばらくすると新幹線の高架が見えてきて、八幡エリアに突入します。その少し先に、「五日市天然温泉ゆらゆら」があります。

おわりに

 車通りが多いエリアにも多くの史跡が点在しています。ただ、これらの史跡は地元住民にすら認知されていないのが現状です。
 冒頭の金剛院の住職さんは、「バイパスから見えやすいように看板を設置した」と仰っていました。普段通る道でも、目を向ければ新しい発見があるかもしれません。(脇見運転は厳禁ですが)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?