山頭火純米吟醸【日本酒】【山口の地酒】
金光酒造 山頭火純米吟醸
学会で山口市に行った際に新山口駅で買いました。荷物が多かったので、一番小さい300mlを選びました。
山口市の山田錦を使用しています。山田錦の生産量の約6割は私が住む兵庫県が占めていますが、山口県も一定のシェアを有しているようです。
私は高専の5年間山口に住んでいました。いつか、兵庫の山田錦との違いが分かるくらいまで味覚が研かれれば良いなと思います。
言わずもがな「山頭火」とは、山口県佐波郡(現在の防府市)生まれの俳人、種田山頭火に由来します。
彼は25歳からの11年間、酒造業を営んでいました。1906(明治39)年に父と山野酒造場を買い取り、現在の防府市で営業していましたが失敗し、1916(大正5)年に妻子を連れて熊本へ夜逃げしたそうです。山頭火がかつて営業していた場所が現在の金光酒造防府工場跡地です。
彼の有名な自由律俳句「分け入つても分けいつても青い山」は、山頭火が44歳の時、自らの人生を見つめ直す流浪の旅に出かけ、熊本県から日向路(宮崎県)へと抜ける山中で詠まれたと言われています。彼の前途多難な半生が投影されているのかもしれません。
因みに学会は、新山口駅すぐの「KDDI維新ホール」で開かれました。
吉田松陰や高杉晋作など多くの幕末志士達が山口出身であることからのネーミングだと思いますが、博士課程の先輩は「日本維新の会」関連の施設だと勘違いしていたようです。
関西人ならではの「維新」違いとはいえ、明治維新における山口の重要度は思いの外認知されていないのかもしれません。
一方で、広島出身の私が山口の高専に入学した時は、同級生が吉田松陰を「松陰先生」と言っていることに驚いた記憶があります。
だいぶ話しが逸れましたが、これからも、私の「第2の故郷」である山口のお酒について色々知りたいと思います。