「北越雪譜」を読む:10
先日、関西ローカルのあるバラエティ番組を観ていたら、関西人ならスマホに秘蔵の写真が入っていて、それを元に面白い話の一つや二つできるはず、と言うことを検証しようとしていた。
出演者同士でスマホを交換し、自分のものではないアルバムを好き放題にスワイプしながら、気になった写真を「これ何の写真ですか?」と撮った本人に見せる。そんなもんテレビで出すな!などとやいやい言いながらも、写真を撮った経緯などをユーモアたっぷりに語りだす。
出演者は、漫才師と大喜利が得意なアイドル。日頃から、気になるものを見かけたら写真を撮るように心がけているのだそうだ。
私も何か面白い写真あるかな、と探してみたのが、上の写真なのだけれど…。
宅配業者のお兄さんから荷物を受け取った時のこと。
受け取りのハンコを押した後、お兄さんが何か言いたげに視線を外に逸らすので、首を伸ばしてその視線の先に目をやると、上の階への階段にジャガイモが一つ落ちていた。
「ジャガイモが落ちてるんです、うぷぷ。」
お兄さんは笑いを堪えきれないようにそう言うと、くるっと身を翻して帰って行った。
ジャガイモが落ちていたことが面白いんじゃなくて、そのことを私と共有したかったお兄さんの様子が面白かった…、という話。
説明してはダメだな。
面白い話をするのは難しい。
*
熊の穴に落ちて熊に助けられた人の話を色んな書物で時々見るけれど、本当にそういう体験をした人が語るのを聞くことは珍しいので、ここに書く。
…と牧之さんは書いているのだが、正直なところ、熊穴に落ちて熊に助けられた人の話を、私はあまり読んだことがない。熊がよく出る地域では、体験談が色々書き残されていたのかもしれない。
鈴木牧之がまだ若い頃、魚沼郡妻有の庄に用があって、数日逗留した時のことだ。
夏だったので、泊まった家の庭の木陰に筵を敷いて涼んでいた。主人は酒を飲み、牧之は酒を好まないので茶を飲んでいたところ、一人の老人が来て主人に手を挙げて挨拶をし、裏の方へ行こうとしたのを、主人が呼び止め、指差して言った。
これは現代語訳は要らないだろう。
おやぢ。すこやかにながいき。ちかづきになりたまえ。にこりとして。
今も使っている言葉ばかりなので分かりやすい。
ニコリとして去ろうとする老人を、鈴木牧之は呼び止める。
熊に助けられたとは珍しい、聞かせてくれないか。
主人が私の前にあった茶わんをとって、まず一杯飲めと酒をなみなみと注いだので、老人は筵の端に座って、酒を見て笑みを浮かべ、続けて三杯飲み、舌つづみを打って大いに喜んだ。
それではお話ししましょうか…
お酒すすめられるの待ってたやん。
と、ここを読むと毎回心の中でツッコミを入れてしまう。
主人もおそらく、この老人が訪ねてくるたびに、面白いじいさんがいる、と逗留客に話を聞かせていたのだろう。特に牧之は面白い話と聞けば何でも記録に残している人だ。
面白い話を持っている人、面白い話を持っている人を知っている人、お酒の席で、両者が揃っていれば座持ちが良い。
芸人さんがよく言う、エピソードトークというアレである。
*
老人が二十歳の頃、二月の初めに薪をとろうと雪車を引いて山に入った。
村に近いところはみんな取り尽くしていたり足場が悪かったりしたので、山一つ越えてみたところ、薪にする柴がたくさんあったので好きなだけ伐りとった。雪車歌を歌いながら柴を束ね、雪車に積んで縛りつけ、今来た方へ下って行ったが、ひと束の柴が雪車から転がり落ち、谷を埋めている雪の割れ目に挟まった。捨てて帰るのももったいないのでその場所まで行って柴を引き上げようとしたが動かない。
落ちた勢いで深く刺さってしまったかもしれないと、腹ばいになって両手を伸ばしてエイっと声をかけて上げようとした時、足が踏ん張れず身体がひっくり返り、雪の割れ目からはるか谷底へ落ちてしまった。
雪の上を滑ったから、幸い怪我はなかった。
しばらくは夢のようだったがようやく人心地ついて、上を見ると雪が屏風を建てたようで今にも雪崩になりそうだ(雪崩の恐ろしさはまた後で書くね、と牧之さん)と生きた心地がしない。暗いのでせめて明るい方へ出ようと、雪に埋まった狭い谷を伝って、ようやく空が見える所に辿り着いたが、谷底の雪の中は寒さが烈しく、手足が亀のようにかじかんで一歩も歩けない。このままでは凍死してしまうと心を励まして、道があるかと百歩=半町(50mくらい)ほど行ってみた。滝がある所に出て、四方を見ると、谷間の行き止まりで、甕に落ちた鼠のようなものでどうしようもない。呆然として胸が苦しく、どうしようかという案も出てこなかった。
さて、ここからが熊の話だよ、もう一杯もらおうか。
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このじいさん、話し慣れておる。
読んでいるこちらは、ここらへんで苦笑いだ。
老人は手酌でしきりに飲み、腰から煙草入れを出して煙草をのむなどするので、その次はどうなった、と尋ねたところ、再び話し出す…。
本筋から外れるが、この煙草入れを腰にぶら下げる時に使ったのがいわゆる根付だ。お金持ちや粋人は、柘植や象牙で凝ったものを作らせたりしたようだが、この老人のものはおそらくシンプルなものだっただろう。木製の輪とか。
それから、ひと昔前までは煙草はのむ、と言っていた。もはや懐かしい響きという感じがする。喫煙の喫の字で、喫む。
閑話休題。
*
さて、傍を見ると、潜れそうな岩穴がある。中には雪もないので入ってみると少し暖かい。
はっと気付いて腰を探ってみると、握り飯の弁当もいつしか落としてしまっていた。こうなっては飢え死にだ、そうは言っても雪を食べれば五日か十日は生きていられるだろう、そのうちに雪車歌を歌う声が聞こえれば村の者だ。大声をあげて呼べば助けてくれるだろう。それにつけても、お伊勢さま(伊勢神宮)と善光寺さま(長野県)にお願いするしかないと、しきりに念仏を唱え、神に祈った。
日も暮れてきたので、ここを寝床にしようと穴の中の暗いところを探り探り這入ってみると、だんだん暖かくなってきた。なおも探ると、手先に何か当たるのは、まさしく熊だ。
びっくりして胸が張り裂けそうになったが、逃げる道がない。もうおしまいだ、死ぬも生きるも神仏に任せようと覚悟を決め、恐々と熊を撫でながら話しかけた。
どうか熊さん、私は薪をとりに来て谷に落ちたものです。帰る道がなく、生きているには食べ物がない、どうみても死ぬしかない命です。引き裂いて殺すなら殺してください、もし情けがあるなら助けてください…
熊は起き上がる様子を見せたが、しばらくして進み出て、私(老人)を尻で押しやったので、さっきまで熊のいたところに座ることになった。その温かいことといったら、こたつに当たるようで、全身が温まって寒さを忘れたので、熊にあれこれ礼を述べて、なおも助けてくださいと、色々悲しいことを言ったところ、熊は手を挙げて、何度も私の口へ柔らかく押し当てる。
夏のうちに熊が蟻を潰して手になすりつけ、冬眠の間にそれを舐めると言う話を思い出して、私(老人)は、差し出された熊の手を舐めてみた。
しきりに舐めると爽やかな心地になった。
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子どもの頃、蟻を潰した思い出のある方は、不思議な甘い香りがした事を覚えていないだろうか。蟻酸の匂いだが、舐めるのは体に良くない可能性があるようだ。舐めないように…!
ちなみに、熊がハチミツを舐めた手は甘くて美味い、というし、中国では珍しい高級食材として熊の手が食べられる。
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熊が鼻を鳴らして寝入ったようなので、さては自分を助けてくれるんだなと心が大いに落ち着いた。
それからは、熊と背中をならべて横になったものの、家のことを思うと眠る気になれなかったが、いつのまにか眠っていた。
熊が身動きしたので目が覚め、穴の入り口を見ると夜が明けたのが分かった。
穴を這い出で、もしかしたら帰る道があるか、山にのぼる藤づるでもあるかとあちこち見たけれどもない。熊も穴を出て来て滝壺で水を飲んでいるときに初めてよく見たら、犬を七匹も合わせたくらいの大熊だ。
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そりを引く村の者の歌が聞こえないかと、穴の入り口のところでずっといても、滝の音ばかりで鳥の声も聞こえない。また穴の中で一夜を明かし、熊の手を舐めて飢えをしのぎ…、何日経っても村の者の声はやはり聞こえない。
心細さは言いようもないけれど、だんだん熊が可愛くなってくるんですよ、と老人は牧之たちに語る。
するとほろ酔いの主人は、その熊、雌だったんじゃないのぉ?と揶揄って、三人で大笑い。
また老人に酒を注いで、話の続きを促す。
人の心は、ものに触れると変わるもんですねえ。
初め熊に遭ったときはここで死ぬんだなと覚悟を決めて命も惜しくなかったけれど、熊に助けられて次第に命が惜しくなった。
助けが来なくても、雪が消えたら木の根とか岩に取り付いて登って、家へ帰ろうと、雪が消えるのを待ち侘びて、何日経ったかも忘れて虚しく暮らした。
熊は飼い犬のような気がしてきた。
ある日、洞穴の入口の日の当たるところでシラミを取っていたら、熊が穴から出てきて袖を咥えて引っ張っていく。
どうするつもりかと引かれるままについて行き、初めに滑り落ちたところに着いた。熊は前に進んで自在に雪を掻き分け、一筋の道を開いた。そのままどんどんついて行くと、人の足跡があるところにやって来て、熊は辺りを見回すと、走り去って行方が分からなくなった。
熊の去った方を拝み、神仏のおかげだとお伊勢さま、善光寺さまを拝んだ。
嬉しくてどんどん歩き、火灯し頃(部屋の明かりを点ける頃、夕方)に家に帰りついたのだが、近所の人が集まって念仏を唱えていた。
両親もみんなびっくりして、幽霊だと大騒ぎになった。それもそのはず、月代(ちょんまげを結うために剃っているところ)はぼうぼうに伸びて、顔は狐のように痩せている。
ちょうど薪をとりに山に入って、四十九日目の待夜(前の晩)だったが、法事のはずがめでたい酒宴となった。
…と詳細に語ったのは、九右エ門というお百姓。
筆を取って、語ったままを記したけれど、もうだいぶ昔のことだなあ、と牧之さんは述懐する。
何度も話すうちに話が上手くなり、時々焦らし、続きを促される事で場が盛り上がり…。おもしろトークのセオリーは、今も昔も変わらない。
それにしても、九右エ門さん、だいぶ話を盛っていそうだ。熊の手舐めて四十九日。