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古本屋になりたい:31 「食品知識ミニブックスシリーズ スパイス入門」(改訂二版)
最初に勤めた会社を辞めて、派遣会社でアルバイトをしていた頃、土日の2日間、ある食品関係の展示会に行くことになった。どの企業の何を扱ったのかもすっかり忘れてしまったのだが、何かしら食品を簡単に調理して、試食に出すのが私の仕事だった。
和歌山県の海沿いの大きなイベント会場だったと思う。しかし、ビルやホールのようなかっちりした建物ではなかった記憶がある。
サーカス小屋のような、半常設の施設だったのかもしれない。
夕方の斜めの日差しのせいだったのか、白い天幕のような天井に、会場の外を舞う海鳥の影が、まるでプテラノドンのように大きく映ったのを見たのだ。
今日会ったばかりの人しかいないブースで、誰も、今の見ました?と言えるような仲ではなかった。大きな影が右から左にさっと流れたので、ん?と顔を上げた人はいたけれど、誰もプテラノドンは目撃しなかったようだ。
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会場の他の企業のブースで、高校の同級生と、大学の同級生に会った。
正確に言えば、高校の同級生は見かけただけで声はかけていない。
双子なのでどちらか分からなかったのと、あまり話したことがなかったからだ。双子のどちらかとは同じクラスになったことがあり、どちらかとは同じクラスになったことがなかった。
どちらにしても、私のことは覚えていないだろうし、有名薬品メーカーに勤めているみたいだ。試食を出すエプロン姿では会いたくないような気がした。
大学の同級生は、有名食品メーカーのブースにいた。
こちらはたまたま目が合って、お互いにあっ、となった。やっぱりエプロン姿で会いたい相手ではなかったので、仕事辞めてバイト中、とヘラヘラしてしまったが、そう言えば、大学で最初に話した時には、通っていた高校が近いというのが最初の話題だったなと思い出した。
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2日目の日曜日は、試食を早めに切り上げてアルバイトスタッフは早く帰って良いということだった。
18時まで居たってことで良いから、と言ってくれたので、17時半くらいには仕事を終えて、派遣会社の日報にサインをもらってブースを後にした。
一応、高校の同級生と大学の同級生のブースをそれぞれ、何となく見回してみたが、正社員の2人はまだ忙しそうに働いていた。
気のせいかもしれないけれど、2人ともそれほど楽しそうには見えなかった。
3年も働くとそんなもんか、と少し前の自分を思い出す。
終了間近の展示会のブースにいるんだから、そりゃ今さらキャッキャしないか。
そんなことよりも、と私は意識を切り替えた。初日から気になっていたブースがあったのだ。
入り口の近くで、食品関連の書籍を販売していた。2日目のお昼休憩の終わりにちらっと見て、普通の本屋ではあまり目にしないマニアックな品揃えに心惹かれた。早く帰れそうなら見て行こうと思っていたのだ。
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専門書は値段が高めだ。流通量が限られるからだろうなあ、と、美しいカラー写真の野菜の本などを手に取ってみたものの、アルバイトの身には厳しかった。
ふと、地味な表紙の本が目に留まった。
「スパイス入門」。
新書サイズで、ベージュの表紙には文字だけ。ゴシック体の食という字が10センチ角くらいに大きく引き伸ばされてデザインされ、表紙の左端に配置されている。
よく見ると、「食品知識ミニブックスシリーズ」とある。出版は、社団法人日本セルフ・サービス協会/日本食糧新聞社。
中は、文字が2段でぎっしり。私の好きな2段組だ。
目次によれば、スパイスの歴史に始まり、スパイスの定義、スパイスの特徴や分類、さらに、スパイスの特性と取扱上の注意、スパイスの原料事情と安定確保、わが国の主要スパイスの輸入実績…。
そのあとは、スパイス各論に続き、スパイスが紹介される。
こしょう、ナツメグおよびメース、シナモンおよびカシア、クローブ、チリーペッパー、オールスパイス、カルダモン…などなどおよそ50種類。
混合スパイス、シーズニングの章は、カレー粉の生産高推移、喫食回数、原料一覧表、カレー粉・即席カレー粉製造工程、理調理済カレー
製造工程、インドのカレー粉配合例。
もちろん、七味唐がらし、ごましお、柚子こしょうについても。
香辛料業界関連団体名簿まで付いている。
目次だけでお腹いっぱいになりそうだ。
著者は、山崎春栄。「エスビー食品株式会社の創業者・山崎峯次郎氏を扶け、同社の設立並びに発展に尽力」し、取締役に就任するなどした人物だという。
1,200円と、新書にしてはお高めだが、他の本よりはずっとお手頃価格だった。中身も読み応えたっぷりだったら嬉しいなと思いながら、購入した。
妃の位も何にかはせむ。
こうなったらもう、本より楽しいものはない。
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期待通り、読み応えは申し分なかった。
スパイスの歴史はそのまま世界の歴史だ。
エジプトのピラミッド建設にスパイスはどのように関係したか、という入りやすい話題で始まり、大航海時代にもかなりのページが割かれている。
日本の、古来からあるスパイスと、海外のスパイスの受容の歴史もしっかり分かる。
スパイスの取扱上の注意の章は、専門書ならではの視点だろう。香りが飛ばないための注意、湿気や紫外線を避けること、などに加えて、以下のような、思わずほっこりしてしまう注意もある。
調理中、湯気がたっている鍋の上から、スパイスを直接ふりかけるような使い方は止しましょう。
むせますもんね。ケホケホ。
一部で語尾がですます調になるところは、読んだ人が、また人に教えるような場合を設定しているようだ。
スパイスは棚などに置き去りにしないで、その神秘的な香味をできるだけたくさんの料理に使うように心掛けましょう。
はっ!お見通しですね。
スパイスそれぞれの具体的な紹介ページも、かなりの充実ぶりだ。
例えばこしょうだけで、写真も含めて9ページ。科名:コショウ科、原産地:インド、といった一般的な知識に加えて、【エピソード】という項目もある。
この胡椒は、「スパイスの王様」とも呼ばれているが、それは、世界中の料理に広く用いられるばかりでなく、同じ料理にさえ三度使用されるほど親しまれているからである。
その他、主産地、利用部位、性状(口内に広がる爽快な香りと口腔を刺激する強い辛味…)、成分、製法、用途。
どの項目も一言では済まない。新書にこのボリュームをよく収めたと感心するくらいである。さすが2段組。
一つ一つ見ていたらキリがないので、ここら辺でやめておこう。
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初版の発行は、昭和58年だ。
一般家庭ではまだそれほどスパイスを使いこなしていなかったとしても、レストランなどではすでに本格的なスパイスは使われていたはずで、そう考えるとこの本の充実ぶりは理解できる。昭和61年と平成6年に改訂されているが、基本的な記述は変わっていないのではないだろうか。
改訂二版刊行にあたって、という序にあたる文章の最後に、「スパイスメーカー、加工食品メーカー、流通業界でご活躍の皆様に、少しでもお役に立つことがあればと念じつつ、スパイスに関する一般知識をまとめてみました。」とある。
食品の研究者でも歴史の研究者でもなく、スパイスを作り、売るプロの目線が入っていることが、この本を面白くしているのだろう。
一般向きだが一般向きではない。誰かの普通は誰かのマニアックだ。
奥付のあとには、スパイス関連会社の広告のページがある。これがまたノスタルジックで懐かしい雰囲気だ。本当に平成に改訂された版だろうか、と思ってしまうくらいである。
現在も「スパイス入門」は版を変えて販売されているが、広告のページは変わってしまっているかもしれない。
シリーズの他の本も読んでみたいものだ。
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