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「北越雪譜」を読む:8

 水の温まり方で、季節の変化を感じるということは良くある。

 白湯を作る時は、レンジで2度押しで強めに温めていたのに、ある朝熱すぎると気付いたり、保冷マグカップに入れたコーヒーがいつまでも熱くてなかなか飲めなかったり、お風呂のお湯が冷めにくくなって長く浸かっていられなくなり、今日は設定温度を下げたり、そういうことが続いて、あぁ春が来たなと実感する。

 雪について。雪が降る、積もるという気象について。雪が降った後の、雪国の暮らしについて。
 読み始めてしばらくは、落ち着いて静かな描写が続く「北越雪譜」だが、「雪中の洪水」の項では、生々しく緊迫感のある災害の様子が描かれる。

 洪水とは、もちろん、大雨などで増水した河川の水が、堤防などを超えて溢れ出し、氾濫することだ。
 梅雨や台風の時期には、ニュースによくなる。治水の技術が発達した現代でも、水の力には抗いがたいということがよく分かる。

 雪国では、梅雨、台風、秋の長雨の時以外にも洪水が起こるということを、「北越雪譜」を読むまで知らなかった。というよりは、考えたことがなかったという方がぴったりくる。

 まず、初雪の後に洪水の危険があった。
 作者の鈴木牧之すずきぼくしは、ある年の秋の終わりに、隣の宿場町の親族の家に逗留した時のことを書き記している。

 十月の初め(旧暦)で、すでに雪は2メートル以上も積もっていた。夜中、あたりが騒がしいので目を覚まし、心臓をドキドキさせて寝ていた部屋を出て階下に降りると、家の主人が家財道具を抱えて「洪水だ!裏の掘揚ほりあげへ逃げろ!」と叫んでいる。
 洪水のことを、里の言葉で水揚みずあがりと言った。 

 気になったのは、掘揚へ逃げろ、という主人の言葉だ。
 掘揚って確か、除雪した雪を積み上げたもののハズ…、とページを戻って確かめてしまう。いくら踏み固めて固くなっていたとしても、雪は雪、元は水だ。しかもまだ冬の初めの降り初めの雪。水の勢いに耐えられるのだろうかと、ハラハラしながら読み進める。
 裏の、とあるから、川からは少し離れているのだろうか。

勝手の方へ立いで見れば家内の男女狂気のごとく駆けまはりて、家財を水に流さじと手当てあたりしだいに取退とりのくる。

北越雪譜 初編 巻之上
雪中の洪水

 家中の者が男も女も半狂乱になって駆けずり回り、家財を水に流すまいと手当たり次第取り除けている。

 そんなことしてないで逃げて!と言いたくなるが、こういうところもまた、当事者でないと分からない切迫したものがある。家財を駄目にしたくない気持ちは、痛いほど想像できる。
 牧之が泊まったこの家は商売をしているので、商売道具を濡らすまいとみんな大わらわだったのだろう。

水は低きにしたがひうしほのごとくおしきたり、すでたたみを浸し庭にみなぎる。次第につもりたる雪所として雪ならざるはなく、雪光せっくわう暗夜を照して水の流るありさま、おそろしさいはんかたなし。

北越雪譜 初編 巻之上
雪中の洪水

 水は低い方に流れて潮のように迫ってくる。すでに水は畳を水浸しにし、庭は水没している。
 あたりはどこも雪が積もっていて、雪あかりが夜を照らして水が流れていく様は、恐ろしくて言いようがない。

 人の手を借りて高いところへ避難した牧之は、改めて町を見渡す。

闇夜あんやにてすがたは見えねど、女童おんなわらべの泣叫ぶ声あるひとほく或は近く、きくもあはれのありさまなりもえ残りたるたいまつ一ツをたよりに人も馬も首たけ水にひたり、みなぎるながれをわたりゆくは馬を助けんとする也。帯もせざる女片手に小児を背負、提灯をさげ高処たかきところにげのぼるは、近ければそこらあらはに見ゆ、命とつりがへなればなにをもはづかしとはおもふべからず。可笑おかしき可憐あはれなる事可怖おそろしき事種々さまざま筆に尽しがたし。

北越雪譜 初編 巻之上
雪中の洪水

 闇夜で姿は見えないけれど、女子どもの泣き叫ぶ声が聞こえ、聞いているだけで辛い。燃え残ったあかりを頼りに、人も馬も首まで水に浸かっていて、流れを渡っているのは馬を助けようとしているのだ。
 帯もしない女性が片手で子どもを背負って、提灯をさげて高いところへ逃げ登っているが、近くだったので体が露わになっているのが見えてしまった。命と引き換えなので、恥ずかしいと思っていられない。
 おかしな事可哀想な事怖い事色々あったが、とても書き尽くせない…。

 この時は、夜が明ける頃には水が引いて、みんな安堵したそうだ。

 この初雪の後の洪水は、川の上を雪が覆うため、飲み水などの確保のためには雪に穴を開けて取水口を確保するのだが、この取水口がまた雪で埋まってしまい、水の流れが妨げられて溢れてしまうことが原因らしい。特に川幅が狭い上流で、流れが雪に堰き止められると、そこで川の水が溢れ、下流まで水浸しになるのだ。

 雪が取水口を塞がないように、こまめに雪を取り除かないといけないわけだが、何と言っても一降りで2メートルも積もるのである。まだ川の水が凍らない冬の初めには、怠けたわけではなくても、雪が降れば常に洪水の危険があったということになる。

 そして、冬の間積もりに積もった雪が解け始める春先。
 雪はまだ消えず、山も田畑も広々とした雪原となっているが、雪の下の川に最初に変化が現れると、鈴木牧之は書いている。

さて春を迎へて寒気次第に和らぎ、その年の暖気につれて雪も降止ふりやみたる二月の頃、水気は地気よりも寒暖を知る事はやきものゆゑ、かの水面に積りたる雪下より解て凍りたる雪の力も水にちかきは弱くなり、ながれは雪にふさがれて狭くなりたるゆゑ水勢ますます烈しく、陽気を得て雪のやはらかなる下を潜り、堤のきるるがごとく、たとへにいふ寝耳に水の災難にあふ事、雪中の艱難かんなん、暖地の人あはれみ給へかし。

北越雪譜 初編 巻之上
雪中の洪水

 春を迎えて寒さもだんだんと和らぎ、暖かくなるにつれて雪も降り止む二月(旧暦)、水は寒暖を敏感に感じ取るので、水面に積もった雪が解け始め、水に近いところの雪の力が弱まる。雪で塞がれて流れはまだ狭いので、その分水の勢いが強く、流れが早い。陽気で柔らかくなった雪の下を勢いよく水が流れ、堤防を切るように水が溢れ、寝耳に水の洪水となる…。

 雪が積もると苦労がいっぱいなんです、暖地の皆さん、大変だなあと思ってね。

 高く降り積もっては人々の暮らしを圧迫する大雪だが、その大雪が解けて越後国に豊富な水をもたらし、大地を潤し、大水田地帯をまかなうことができるのも事実だ。
 だからと言って、雪は大変だろうけど、結果的に美味しいお米できて良いよね、プラマイゼロだよね!と、簡単にいうことはやはりできないのだ。

 越後の地では、雪の降る冬を基準に家や町を造った。治水に関しても同じだろう。
 現代でも、ただ冬は暖かく過ごせれば良い、というものではない。
 江戸時代に比べれば、現代は色々便利になったに違いないけれど、雪をなくすことができるようになったわけではない。お金と時間と人力をかけて、雪をどうにかして冬を乗り越えなければいけないのは、雪国の人が今も直面している課題なのだ。

 次回以降は、いよいよ?熊について!

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