「北越雪譜」を読む:12
吹雪は樹などに積もった雪が風で散乱するのを言う。その姿が優美なので、花が散るのをこれと比べて、花吹雪と言って古い歌にもたくさん見られる。…
吹雪の漢字は、雪吹と書くよりもこの並びの方が現代人にとっては自然だろうか。
鈴木牧之は「北越雪譜」の中で何度も、暖かい地方に暮らす人々が、雪や雪国の暮らしにロマンを持ちすぎていることを口酸っぱく諌めているが、吹雪の怖さに関しては、牧之の布教が功を奏したと言えるもしれない。
現代の私たちは、吹雪といえば樹に積もった雪が風で散乱する優美なもの、とは思っていない。
強い風の中、視界が効かなくなるほどたくさんの雪が降るのが吹雪で、吹雪に遭ったら身動きが取れなくなって大変だ、くらいには吹雪を怖いものと認めているのではないだろうか。
吹雪だったら、積もっていなくても車の運転はしたくないし、スキーやスノーボードでゲレンデにいたら、早く麓に戻りたい。
散り始めた桜を愛でるときには、花吹雪とは言うけれどだいぶデフォルメされた吹雪だな、と意識せずとも感じているように思う。
…、北方の大雪の国である我が越後国の、雪が深いところの吹雪は、雪が降る中、暴風が雪を巻き上げるつむじ風だ。雪の中の一番難義なことであるこの吹雪の為に、毎年死ぬ人がいる。その一つをここに記して、ちょっとした雪のときの吹雪を優美だなあと見ている人に、大雪のときの吹雪の恐ろしさを示すよ。…
風へんに犬が三つで、つむじ風。
良い字ですね。じゃれあっている和犬の、クルンと巻いた尻尾三つを想像してしまう。
ショパンの「子犬のワルツ」は、恋人の飼う子犬が自分の尻尾を追いかけている様を見て作曲されたというが、そんなことを牧之さんに言ったら、また呑気なことをと怒られるだろうか。
漢字でもう一つ。
愕眙と書いておそろしき、と読ませているが、目へんに台という字は「ち」「ちょう」と読み、見据える、直視する、という意味だそうだ。
驚愕して目が離せない、という感じだろうか。
*
牧之が住む塩沢から遠くない村に、農夫が一人いた。真面目で誠実、よく親孝行した。
二十二歳の冬、二里ほど離れた村から十九歳の嫁を迎えた。姿が良く、性質も従順で、織物の技術にも優れていたので、舅も姑も可愛がった。
夫婦の仲も睦まじく、家の中はめでたく春を迎え、その年の九月の初め、安産で男の子が産まれた。産後も健やか、乳も良く出て一人分には多いほど、子どもはよく肥えて、めでたい名前をつけて長生きしろよとお祝いした。この一家みんな誠実で、田を耕し機を織り、小作農だったが貧しくなく、良い息子と良い嫁を持って良い孫が生まれたと、村の人から羨ましがられた…。
幸せすぎる。これは不幸なことが起こるフラグではないか、と考えてしまうが、その通り。
*
出産から日が経って、連日の雪も降り止んで穏やかな天気になったある日、嫁は夫に向かって、今日は実家へ行ってこようと思う、と話す。近くにいた舅も賛成して、息子もついて行ってやれ、孫を見せてやりなさい、夫婦で孫を自慢してきなさい、という。
姑が急いで土産を取り揃えているうちに、嫁は身なりを整えて出かける準備をした。寒い国の習慣で被る綿入りの木綿帽子もよく似合った。
嫁が子どもを懐に抱き入れようとすると、よくお乳を飲ませてから抱っこしなさいよ、道中は飲みにくいだろうから、と一言声をかけるのも、孫が可愛くて仕方がないのがわかる。
夫も、蓑、笠、稿脚衣(藁の脚半。脛当て)、すんべ(藁で編んだ雪靴)を穿き(晴天でも蓑を着るのは雪国の農夫のいつものことだ)、土産物を背負って、両親に暇乞いをして、夫婦連れ立って喜んで出発した。
これが親子の一生の別れ、悲劇となる…。
晴れた日で、両親も里帰りを勧め、夫婦共に雪国ならではの支度をして準備万端。真面目で誠実な彼らは、無理をしたわけでも、非常識な強行突破をしたわけでもない。
それでも彼らは、吹雪に遭うのである。
だって初めからそう書いてあるもの。
今日はそういうお話。
書かれた物語の中で、運命は変えられない。
*
夫が先を歩きながら、後ろを歩く妻に言う。
今日は良い日和だなあ、よく里帰りしようと思い立ったね。
今日孫を連れてくるとはご両親はご存じないだろう。孫の顔を見たら、さぞかし喜ぶだろうな。
妻が応える。
それはそうね、父さまはいつだったか来られたけど、母人はまだ赤ちゃんを見たことがないから、なおさら喜ぶでしょうね。
遅くなったら、一泊しても良いかしら、あなたも泊まりましょう。
いやいや、二人泊まるとうちの両親が心配するだろう、僕は帰るよ。
…などと、話している間に子どもに乳を飲ませつつ道を急いだ。
美佐嶋という原野に到着したとき、天候が急変し、黒雲が空を覆ったので、夫は空を見て大変驚いた。
これは吹雪になる、どうしたらいいだろうかとためらううちに、大波が岩を越えるように暴風が雪を吹き散らし、つむじ風が雪を巻き上げて、白竜が峯に昇るようだ。
のどかだったのに手のひらを返すように、天地は怒り狂い、寒風は鎗のように肌を貫く。凍った雪は身を射る矢だ。
夫は蓑笠を吹き飛ばされ、妻は帽子を吹きちぎられ、髪も吹き乱され、あっという間に目も口も襟も袖はもちろん、裾へも雪が吹き入り、全身が凍え、呼吸ができなくなり、半身はすでに雪に埋められたが、命の限り夫婦で声をあげて、ほーいほーいと泣き叫んだけれど、人の行き来もなく、人家も遠いので、助けに来る人もいない。手足が凍えて枯れ木のように暴風に吹き倒され、夫婦は頭を並べて雪の中に倒れ死んでしまった…。
この日の吹雪は暮れには止み、次の日は晴天だったので近くの村の人が4、5人通りかかった。
夫婦の死体は吹雪に埋められて見えなかったけれども、赤ん坊の泣く声が雪の中から聞こえた。怖がって逃げようとした者もいたが、勇気のある者が雪を掘ってみると、まず女の髪の毛が現れた。昨日の吹雪に遭って倒れたんだなと、みんな集まって雪を掘った。
死体を見ると、夫婦が手を引き合って亡くなっていた。
子どもは母の懐にいて、母の着物の袖が頭を覆って雪に触れなかったので、凍死しなかった。両親の亡骸の間にいて、声をあげて泣いていた。
雪中の亡骸は生きているようで、知り合いの者がいたので夫婦だと分かった。
我が子を守って袖で覆い、夫婦は手を離さず死んでいったんだと思うと、村の若者たちも涙をこぼした。
子どもを懐に入れて、亡骸は蓑に包んで夫の家に運んだ。両親は、嫁の家に一泊したものと思っていたので、言葉もなく、亡骸に取り付いて大声をあげて泣いた。
*
晴れた雪道を前後して歩きながらの、穏やかな夫婦の会話。なんて仲が良さそうなんだろう。
天気が一変して、吹雪の中を助けを求める声。
ほーいほーい。
現代の私には呑気にも聞こえる響きが、かえって切ない。
赤ん坊の泣き声を聞きつけた近くの村の若者たちが、雪の中から、手を取り合って亡くなっている二人を発見したとき。
両親の温もりで、生きながらえた赤ちゃん。
その赤ちゃんを胸に入れて、祖父母に届けた若者。
悲しみと喜びの両方の涙を流す、祖父母。
心を打つ物語とともに吹雪が語られてきたことが、私たちに吹雪の怖さをイメージしやすくしているかもしれない。
しかし、我らが牧之さんは、悲しい話で読者の涙を誘うだけでは終わらせない。
鈴木牧之という人は、非常に現実的な人である。
*
吹雪が人を殺すというのは、だいたい右(上)の通りだ。
暖地の人が花が散るのと比べて称賛する吹雪と違うのは、波打ち際で遊んで楽しむのと、津波で溺れて苦しむのと同じようなものだ…。
吹雪で人が死ぬのはだいたいどれもこの話と似た感じだ、とまとめられると、涙も引っ込んでしまう。
とはいえ、何メートルもの積雪の中で日常生活をする大変さはイメージしにくくても、視界が奪われて、そこに一人取り残されるようなイメージなら、確かに身近なものだ。
傘が役に立たないような、暴風雨。
大雨の日に、裏山で地鳴りがする恐怖。
海で、思ったより遠くまで泳いで来てしまった時の、振り返って見る岸の遠さ。
海やプールで、溺れること。それに周りの誰も気づかないこと。
雪に閉ざされる恐怖そのものでなくても、似たようなケース、それぞれ個人の体験に置き換えることができれば、共感は得やすいし、記憶にも残りやすい。
さらに、吹雪に遭った時の対処法も鈴木牧之は書き記している。
吹雪に遭ったら、雪を掘って中に埋まっているのが良い。
雪の中が意外と温かいというのはよく言われる話だ。
一部の人しか実行できないおすすめ方法もあるようだが、よかったらお試しください。
また、低体温になってしまったものを急に温めるのは良くない、とも書かれている。
まず塩を煎って布に包みよくヘソを温め、弱い藁の火でゆっくり温めるべし…、と具体的だ。
塩を煎っている暇があればお医者さんに見せよう、と思うのは現代人だからで、当時は経験に基づいた現実的な方法だったのだろう。
とにかく急に温めてはいけない。春になって気温が上がると、患部が腫れて腐ってしまう。こうなると百薬効なし。私が自分の目で見たところを書き記してひとに示しているのである…。
とのこと。
牧之さんの言うことは、やはり耳を傾けておきたい。
*
この後、陰陽を使って血の流れなどを説明しているのだが、現代に生きている漢方の知識と比べても旧弊なので、説明は省くことにする。
ご興味のある方は、本文をあたってみてください。昔の人の体の仕組みの捉え方は、それはそれで面白いものです。
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