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古本屋になりたい:45 高野文子「るきさん」

 一時期、ごく親しい人へのお見舞いやお餞別として、薄い文庫本に自分で縫ったブックカバーをかけたものを渡していたことがあった。
 ブックカバーは、手芸用品店に行く度に買い集めていた端切れとチロリアンテープの組み合わせで、相手のイメージに合わせた。誰かに女子力高ーい、などと言われて、うるせえ、とお腹では思いながらもへらへら受け流していた。

 中の本は大体決まっていた。
 一度、転職する恋愛体質の同僚に内田百閒の「恋日記」をあげたほかは、お見舞いにはナンシー関の「記憶スケッチアカデミー」(角川文庫)、お餞別には高野文子の「るきさん」(ちくま文庫)をよく選んだ。

 「記憶スケッチアカデミー」は、お題に沿ったイラストを記憶だけを頼りに描いたものを読者から募集し、その絵の似ていなさ、微妙さ、突拍子のなさを笑うものだ。
 お題はたとえば、ドラえもん、鉄腕アトム、ミッキーマウスなんかもあっただろうか。
 投稿者はおじいさんから子どもまで幅広く、全く元ネタの原型をとどめていないイラストがこれでもかと掲載されている。それを見るだけで、体が震えるほど笑ってしまうのだが、ナンシー関の寸評も的確で容赦なく、笑いを増幅させる。
 この本を、手術などをしてまだ安静にしていなければならない友人に贈り、笑い過ぎて傷口開くわっ!と怒られるまでが、わたしのお見舞いであった。

 「るきさん」は、ポップで今となっては少し懐かしい、カラフルな色使いが楽しい高野文子のマンガだ。
 何事にも鷹揚で大雑把なのに、なんだか丁寧に暮らして見えるるきさんの日常が描かれている。
 見開き1ページで完結するし、重いテーマも強いメッセージ性もない。何かあるとすれば、わたしもるきさんのように1ヶ月分の仕事を1週間で終わらせて、あとは1人で、時々は気の合う友だちと、人生を楽しくのんびり過ごしたい、という強い願望に囚われるくらいのことだ。
 人によっては人生を変えてしまうくらい影響を受けるかもしれない。かくいうわたしも影響を受けている1人だが、なかなかるきさんのようには生きられない。

 あるとき、友人と話していて、お互いがお互いをるきさんのようだと思っていて、自分自身はるきさんの友人のえっちゃんだと捉えていることが分かった。
 えっちゃんは、るきさんに比べれば何というか俗っぽい。
 良い会社に勤めて良いお給料をもらっているが、仕事は大変だし恋愛も思い通りには行かない。なんとなく生活に疲れているが、かと言ってるきさんのように何物にもとらわれずに生きるのもなんだか心許なくて怖い、と思っている…のだと思う。

 えっちゃんはおしゃれなパーティーに出席したり、食品添加物に気をつけたり、スマートな年下の同僚が気になったり、いわゆる意識が高い生活をしている、少なくともそれを心がけている。
 それに引き換えるきさんは、ご近所さんのゲートボールに飛び入り参加したり、着色料でどぎつい色に染められた食品を躊躇なく買ったりする。るきさんのことをおしとやかな女性だと思ったやんちゃそうな自転車屋さんに親切にされても、全く気に留めない。
 電車内でスポーツ新聞を読み、図書館でどちらの本を借りるか悩み(「二十四の瞳」か「ローズマリーの赤ちゃん」)、カーディガンを脱ぐ時は一番上のボタンだけ外してセーターを脱ぐ時のように脱ぎ、足元のコンセントは足の指で抜き…。
 るきさんの方が俗っぽく見えるって?

 こまごまと登場人物の心情が描かれるタイプの漫画ではないけれど、世の中の多くの人が、良くも悪くもえっちゃん的で、だからこそ、読む人はみんなるきさんに憧れる。

 だけどやっぱり、るきさんになるのはハードルが高い。それならせめて、るきさんみたいな友だちがいるえっちゃんになりたいなあと思う。
 少なくともわたしと友人は、お互いをるきさんと思うくらいにはえっちゃん的なので、半分くらい、もしかしたらそれ以上に夢は叶っているのかもしれない。

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