古本屋になりたい:27 楠田枝里子「ナスカ 砂の王国」
紀行作家に憧れていた。
中学生の頃、テレビで、ジャーナリストの森本哲郎が旅の話をしているのを観た。画面に出ていた肩書きが、紀行作家だった。
Wikipediaで森本哲郎を調べてみると、ジャーナリスト、評論家とはあるが、紀行作家とは書かれていない。しかし、著書を見る限り、旅の本が多かったようだ。
テレビを観ながら、私が「紀行作家って良い仕事やなあ。旅行行って、本書いて。」とつぶやくと、父だったか母だったかが、「兼高かおるやな。」と言った。私が女の子なので、兼高かおるの名前を出したのだろう。
兼高かおるの名前は知っていたが、TBSで放送していた「兼高かおる世界の旅」はあまり観たことがなかった。私が世界に興味を持ち始めた頃に番組は終了しているので、観ておけば良かったと少し後悔したことを覚えている。
東西ドイツの統一、ソ連の崩壊など、観光旅行の行き先としての外国ではなく、普通の人々が暮らしていて、それなのに当時の日本よりずっと過酷な経験をしていそうな外国の姿を、ニュースを通して目の当たりにすることが増えていた。
学校で、英語を習い、世界の地理や世界史を学び始めたのとちょうど同じ頃だ。
「野生の王国」や「新世界紀行」はよく観た。
晩ごはんを食べながら。
妹や弟の観たいアニメやバラエティ番組を差し置いて。
勉強になるから良いでしょと、姉の特権で私の好きな番組にチャンネルを合わせていた。
バラエティ番組が嫌いだったわけではないのだが、当時はまだまだ大人は大人の、子どもは子どもの番組を観るように、バラエティ番組の中にも住み分けがあったように思う。ゴールデンタイムのバラエティは、帰りの遅い父はともかく、母が観るには子どもっぽいのではないかと勝手に思っていた。アホみたい、とか言われたらと想像して、気持ちがザワザワするのが嫌いだったのだ。
間をとって、紀行番組。私なりの妥協案のつもりだった。
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1980年代の終わりから90年代初頭は、世界をテーマや舞台にしたクイズ番組も多かった。クイズ番組は、家族全員で(私が)安心して観られた。
大橋巨泉が司会の「世界まるごとHOWマッチ」で、世界の国々の通貨単位を覚え、逸見政孝と渡辺正行の「クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!」で、世の中にはいろんな仕事があることを知った。
今も続く、「世界ふしぎ発見!」は、なんで黒柳徹子はこんなに答えられるんだ?答えを知っているのかっ、と憤慨して見ていたこともあった。もう少し大人になれば、私にもある程度答えられる問題だと分かるようになるのだけれど。
そしてもちろん、「なるほど!ザ・ワールド」があった。愛川欽也と楠田枝里子の凸凹コンビが司会を務め、賑やかなレポーターが外国からクイズを出題する。
滑らかでテンポの良いキンキンこと愛川欽也の喋りが、番組の人気の一つの要素だったと思うが、私が気になったのは、楠田枝里子だった。
やけに背が高く、やけに派手な服を着て、甲高い声でまくしたてる。キンキンに負けず劣らずの、濃いキャラクター。今で言うなら「イジられ」ても、ズバッと明るくあしらう。
そしてよく観ると、めっちゃ美人じゃない?
しかし共演者は、誰もそのことに気づいていないような、気づかないふりをしているような、そういうふうに見えた。
楠田枝里子のパーソナルな部分を、イジるだけで深く触れないのは、司会だから?元アナウンサーだから?あえて控えめなの?本人の意向?
あんなに個性的なのに、どんな人なのかよく分からない。
図書館で「ナスカ 砂の王国 地上絵の謎を追ったマリア・ライへの生涯」(文藝春秋社)を手に取ったのは、ちょうどその頃だった。
中学生の時に単行本で読み、文春文庫になった時に購入した。
楠田枝里子は、その当時すでに何冊か科学エッセイなどを出版していて、文筆業でも定評があったようだ。
そういえば理系だと、テレビで言っていたっけ。
何者か分からないと思っていたのは、私だけだったかもしれない。
画面を通して観る賑やかな印象とはまるで違う、理知的で丁寧な文体に、私は驚いた。
落ち着いているけれど、その筆致はロマンに溢れてもおり、遺跡の謎を追う女性研究者の人生をたどるという、このノンフィクションにぴったりの書き振りなのだ。
楠田枝里子がペルーを訪れたのは、1985年。ちょうど大統領選の最中であったが、この時はまだフジモリ大統領ではない。アルベルト・フジモリが大統領に選ばれるのは1990年、この本の単行本が出る年だ。
日本がちょうどペルーに関心を持つ時期に、出版が間に合ったんだなあと、5年かけて取材したという本の完成に、奇跡的なものを感じる。
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もし、ナスカの地上絵の謎を追ったドイツ人女性マリア・ライへの生涯に興味を持たれたら、ぜひ本書を読んでほしいのだが、私のこの投稿はどうもマリア・ライへのことにたどり着きそうにない。楠田枝里子のことで終わってしまいそうだ。
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「ナスカ 砂の王国」は、マリア・ライへの生涯を子どもの頃から順にたどることはしない。
楠田枝里子がマリア・ライへを知り、出会い、少しずつ彼女の人生を知っていく様を、知っていく順にたどるものだ。
マリア・ライへは、ナチスの台頭で息苦しくなってきたドレスデンを飛び出し、教師を募集していたペルーへとやってくる。
第二次世界大戦が勃発してもほとんどドイツへは帰らない。
その頃、戦争の影響でペルーのパンパ上空を飛行機が飛ぶようになっており、パイロットの間では地上に不思議なものが見えると噂になっていた。それが、ナスカの地上絵だ。
ペルーの考古学者テーヨの助手として働いていたマリアは、1939年の国際アメリカニスト会議で、アメリカのコソック教授の調査に翻訳者として協力することになった。コソック教授はナスカの地上絵に興味を持ち、近くにいたマリアも、たちまち地上絵に取りつかれたようだ。
飛行機からでないと見えない地上絵は、宇宙人が描いたとか、宇宙人に見せるために描いたとか言われて、それはそれで面白い話だけれど、本当のところ今もまだ定説はない。
楠田枝里子は、1985年の灼熱のナスカから、翌年ドレスデンへ跳び、マリアが若い頃を過ごしたドレスデンを知っている人に、当時の街の様子を聞きにいく。1986年のドレスデンはまだ、東ドイツだ。ポーランドやチェコに近い国境の街である。
アンデスの文化や歴史に魅せられた日本人の元も訪ねていく。
マリア・ライへを追いかけて、楠田枝里子は世界を飛び回る。文字通り、躍動すると言う感じがする。一番テレビに出ていた時期でもあったはずだ。
マリアも楠田枝里子も、背が高い。手の大きさで笑い合う場面もある。わざわざそうとは書かれていないけれど、読む者は2人が似ていることに気づくだろう。
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楠田枝里子は、一時期ほど定期的にテレビには出ていない。
チョコレートマニアとして、可愛い消しゴム蒐集家として、「マツコの知らない世界」に出演していたことしか知らない人も、今は多いのかもしれない。
相変わらず綺麗で派手で、明るくて、一人だけ年をとることを忘れたみたいだ。
ますます、何者だか分からない。
私は紀行文を読むばかりで、あまり旅行をしない大人になった。そのせいか、今も楠田枝里子がやけにまぶしい。
「ナスカ 砂の王国」は、マリア・ライへのことだけでなく、楠田枝里子のこともよく分かる。
…そこまで知りたくない?
紙の本はもう売られておらず、電子書籍でしか読めないのが残念だが、古本屋で見かけたら、買って損はない本だと思う。
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