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連絡ノートの謎

「政治学者、PTA会長になる」を読んだ。

読書感想の概要

政治学者の一人称から語られるノンフィクションで、読みやすかった。 PTAの時代的背景、小学校のインフラの弱さ、連絡ノートの謎、新型コロナウィルスの影響など、勉強になることが多かった。 50代の政治学者がPTAという女性の組織に入り、軋轢がありながら、どう変えられるのかが面白かった。PTAの悲惨な現状ー5時間かかる引き継ぎ、反省会で保育園の運動会に参加できない、無駄なお茶汲みーを変えていく過程はちょっとした勇気なんだろうなと思う。

連絡ノートの謎

連絡ノートは2020年4月時点で残っていたらしい。なぜ、わざわざ連絡ノートを近所の子供に渡し、その子の先生に届ける必要があるのだろうか。電話で一報で済みそうだ。
それは電話回線が2回線しかないからだ。
「家庭数六百二十、児童数八百なのに!」
さらに、公立学校の教師の不祥事(特に性的な)が相次いだせいで、信頼されていないらしく、以下の制限もあるという。

教員に個人メールアカウントが与えられていないこと。
教員のパソコンでは、YouTubeが見られないこと。
教育委員会からの一斉メール(保護者向け)を教員は土・日に「自宅では読めない」こと。
Zoomなどのツール使用が禁止されていること。
 校長なのに学校に私物のパソコンを持ってくることが禁止されていること。

政治学者、PTA会長になる P.236

戦後に始まったPTA

 第二次対戦前は教育は男性が行うものだった。女性は家の奥にいるものとされていたという。
 戦後はGHQの指導により、女性も民主主義の一翼を担う存在になるための教育の機会としてPTAが利用されたという。フェミニズムの一環とも言える。

学校とそこに通う子供たちの親との集まりや組織、コミュニティは戦前からずっとあるわけで、その多くは「父兄会」などと呼称されていた。つまり、父と兄だから学校との関係構築をするのはあくまでも男性だった。終戦後、憲法もできて、婦人参政権も確立して、これまで父兄の後ろに隠れてお勝手仕事ばかりをやってきた婦人たちも、戦後民主主義を担う「新婦人」 として啓蒙され、地域やコミュニティの運営の手法、民主主義のやり方を身につけなければならないという考えが、占領下の旧文部省とGHQであるアメリカの政策だった。PTAは、 まさにそれを担うものとして取り入れられたのだ。

そういう経緯で広まったPTA組織は、それゆえこの世の主導権を握っていると自負する男性たちによって、「一人前の人間としては何も分かっていない女子供に、この世の常識と教養と組織の運営を教えるための広義の社会教育システム」だととらえられてきたのだ。だから、 PTA組織は民主主義の基本を学べるような基本形態になっているし、そのフォーマットで、 役員や委員の役割、総会の意味、議決をすることの意味、会計処理の常識などを、学ばせてたのだ。そして有能な新時代の婦人たちはそれによく応えた。

つまりこれまで男性の陰に隠れて、「奥」で世間を支えてきた戦後の女性をいろいろな意味で活躍させ、男性と対等な市民として教育するという目的からすれば、このPTAは一定の役割を果たし、成果を生んだ。それは、この七十年くらいの戦後史を詳らかに眺めてみればよくわかる。戦後の市民運動の黎明期に、誰が主導して子供や地域や環境を守るための活躍をしてきたのかを調べれば、女性たちの自律と「政治における主体化」は、間違いなく戦後啓蒙のもたらしたものの一つだと思う。PTAはその基盤となったはずだ。

政治学者、PTA会長になる P.123

謎のポイント制度


 私は知らなかったのだが、PTAの貢献度を表すポイント制度なるものがある。著者はこの制度により幾度となく辛酸を舐めることになった。
 任意団体(大学でいうとサークル)なのに、そこまでシステム化する必要あるのかと思う一方、単純に労力がすごいなとも思った。

PTA活動への貢献度の「見える化」のためのやり方として、ポイント制は、全国の各学校単位のPTA(単位PTA)で採用されている。それは、多種多様な活動の大変さや重要度に応じてポイントを割り振り、六年間の活動の評価の標準として一定ポイントを目安にして、 保護者たちの参加のインセンティブにするというものだ。うちのPTAでは、「十二ポイン ト」が目安だ。保護者の多くは、このポイントをどうやって効率的にそろえるかで知恵を絞り、 生活設計をする。

例えば、本部役員の副会長は一年やるといきなり十七ポイントで、庶務役員は十五、四役委員長は八などと、その負担と拘束される時間などを総合的に判断してポイントが決められている。

政治学者、PTA会長になる P.66

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