ファーゴ(1996🇺🇸)
原題: FARGO(1996、アメリカ、98分)
●脚本:ジョエル・コーエン、イーサン・コーエン
●製作:イーサン・コーエン
●監督:ジョエル・コーエン
●出演:フランシス・マクドーマンド、ウィリアム・H・メイシー、スティーヴ・ブシェミ、ピーター・ストーメア、クリステン・ルドルード、ハーヴ・プレスネル、ジョン・キャロル・リンチ
サスペンス風のコメディでもあり、コメディ的なサスペンスでもあると称されるコーエン兄弟の作品群において、その特徴を顕著に表している作品。
当初の計画が思いも知らぬうちにどんどんねじれ曲がっていくというプロットは『ブラッド・シンプル』、『ビッグ・リボウスキ』にも描かれているが、そういった構成力に加えて、今作はさらに事件の舞台となる雪深いミネソタの田舎町の広大で真っ白な画面の力が威力を発揮する。
雪は時に何かを隠し、何かを白日のもとに曝すこともする。
今回は字幕ではなく日本語吹き替えで見たけれど、やはり映像の中に余計なものが一切ない吹き替えの方が良い。
時折駐車場の俯瞰ショットやロングショットが挿入され、車や人物の小ささを強調している。
“物事がうまくいかない”場面は本筋とはさほど関係ないところでも何度か描かれる。
顧客からのクレーム、FAXの不鮮明、フロントガラスの氷がとれない、テレビがつかない、深夜に電話がかかってくる(刑事ドラマのクリシェとして寝ている時に事件の報告というシーンを描いた上で、しょうもない元同級生の男からの電話という無意味な電話シーンも描かれている)
というよりむしろ“本筋”という捉え方自体がフィクションの世界でのお決まりであって、現実世界においてはそんなものはない。
エラーは世界中至る所で何度も繰り返されており、時に何事もなく事態は通り過ぎ、時に妙なかみ合わせによって災いとして暴発する。
事件の首謀者であるジェリーからして不器用で小市民的な人物で、冒頭、ファーゴの酒場で二人組に狂言誘拐の依頼をする場面で時間を一時間間違えた、いや間違えてないといったやり取りが行われる。
この時点でこの計画は首尾よくいかないだろうということが暗示されている。
また、登場人物たちがテレビを見ているというシーンも何度か繰り返されている。
ホッケー、料理番組、ドラマ、昆虫ドキュメンタリー等。
雪深い街の室内での娯楽の一番はテレビということが示されており、何の変哲もない一般市民的な生活の風景が映画舞台の基盤になっていて、その上で起きた血の惨劇という見方もできる。
妊娠中の女性警察署長が事件解決役という時点でいかにも平和な世界の出来事であったかということが象徴されている。
プロットを以下のように整理する。
・ジェリーが妻の狂言誘拐をゲアとカールの二人組に依頼
・二人組が尋問してきた警官を殺害、さらに目撃者2名を殺害
・ジェリーが身代金の増額を義父に告げる
・受け渡し役はジェリーのはずが義父が強行
・義父が受け渡し現場でカールに殺害される
・身代金が想定以上の額だったことを知った一人が金を隠す
・誘拐に使った車の権利をめぐってゲアがカールを殺害
・ジェリーがマージの訪問中に逃亡
・マージ、ゲアを逮捕
映画のラストではマージがゲアになんでこれくらいのお金で人を殺したのかと問うが、彼は何も答えない。
この時点でこの二人はどうしてこんな事件が起きてしまったのかはわかっていない。
そもそものことの発端となったジェリーですら分かるわけもなく、全編通してみていた観客だけがことの顛末を知っているのだ。
『ブラッド・シンプル』でもそうだったが、こういったことは現実世界でも頻繁におこることであり、当事者というのは往々にして自らの周辺のことしか知らないものなのだ。
チャップリンの名言で、人生は近くで見ると悲劇だが遠くから見れば喜劇であるという言葉があるが、まさにそれを感じさせる。