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親愛なる日記(1993🇮🇹)

原題: Caro diario(1993、イタリア、100分)
●監督:ナンニ・モレッティ
●出演:ナンニ・モレッティ、ジェニファー・ビールス、アレクサンダー・ロックウェル、カルロ・マッツァクラティ、レナート・カルペンティエリ、アントニオ・ニーウィラー、モーニ・オヴァディア

ユーロ2024開催に乗っかってヨーロッパ映画を観ていこうシリーズ。

第一章"ベスパに乗って"、第二章"島めぐり"、第三章"医者めぐり"の三本による連作短編集的映画で、内容的にはエッセイを映像化した作品と言える。

このナンニ・モレッティの個人的なこと、極めて私的なことだけで構成されていて一人語りをそのまま映画にしたという感じ。

だからと言って自撮りで一人称というのではなく当然カメラマンがいて、自らは被写体となったり三人称と一人称を軽やかに切り替えながらというスタイル。

ベスパに乗るシーンもカメラはずっとモレッティを追っているだけの単調な映像。

第一章の最後ではパゾリーニが殺害された、殺風景なオスティア海岸で撮影されている。

島めぐりの章では一人サッカーボールをポンポン蹴っているもの淋しい場面があるが、とんでもないロングショットでよりその孤独感を際立たせている。

イタリアのウディ・アレンと称されているナンニ・モレッティだが、随所にその似たテイストは感じられた。

モノローグだけど実況風に自ら台詞を喋っている途中でカメラに向かって語り掛けたり、悪評を書いた評論家の枕もとに現れてその記事を読み上げたり、二人の漢方医に挟まれて診断されているところ、画面の外からもう一人の医師が口出してきたりみたいなシーンはなんとなくウディ・アレンっぽかった。

早口で癇癪気味にわめくことも多いウディ・アレンに対して、モレッティのほうは終始落ち着いているところが、良い。

第三章は原因不明の全身の痒みに襲われ色々な医者に掛かりに行く話で、自らの病症というこれ以上ない私的エピソードを映画に仕立て上げている。

レディオヘッドはかつてこんなことを歌っていた。

We scratch our eternal itch(僕らは永遠の痒みを掻き続ける)

"My Iron Lung" より

「痒み」はもちろん比喩である。永遠の痒み。ぼんやりとした不安、目の上のたんこぶ、のどに刺さった小骨。父の気がかり。

同じことをもっと直接的に書いた作家が、モレッティと同じように病気を作中で取り扱っていた夏目漱石だ。

「世の中に片付くことなんてものは殆どありゃしない。一遍起こった事は何時までも続くのさ。ただ色々な形に変るから他にも自分にも解らなくなるだけの事さ」

道草』より

個人の不安を描くことで、みんな同じような何かしらの不安に取りつかれ、それを取り除こうと奮闘している(時には他人から見たらまるでバカみたいな方法で)ってことを知らせてくれるような、そんなエピソードだった。

そんなことを考えながら観ていた。

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