☆『「平凡な日常が恋人と一緒だと祝祭のアートに変わる」愛の錬金術』とは!
質問・いつも恋人と一緒に拝読して
います。
私も彼も特に信仰がなく神様とか大
いなる存在への祈りの意味が、今一つ
よくわかりません。教えて下さい。
叡空・大いなる存在とは特定の思考
が造る人格神やイメージではない。
それは『誰しもの中に在る「命の源」のようなもの』。
あなたの心臓や呼吸を『動かしている何か』を
「ただ感じればいい」。
例えばパソコンを動かすのに、あなたは
「細かなメカニズムまで」『考えない』だろう。
恋に出逢う時『好きになる理由を
「考えない」』のと同じで。
あなたが相手のことを、
もし✡『考えて好きになった』のなら。
それはマインドによる
★★★★★「何らかの意図」が働いている。
ハートから生じた恋ではない。
愛に昇ることのない恋の終着駅が
マインド、知性による『考える恋』だから。
大いなる存在とは、日常の平凡の生活の中や
愛する人のさりげない仕草を観て
『ふと感じる自然な歓び』。
その時、感謝の祈りは誰しもに
✧✧✧✧✧✧『意図せず生じる』もの。
真夏のなかで乾いた喉を潤す「一杯の水」
や山頂の空気を『胸一杯に吸った時の歓び』。
感謝や祈りは「考える間がない」『一瞬の
アート・魂の躍動』だから。
ハートにダイレクトに伝わる歓喜の波。
それは『考えて祈る神様』とは違う次
元の存在。『特別な何かに求める』祈りではない。
あなた方が愛する恋人どおしなら『互い
に祈りが生じる』だろう。
そこに『神様が在る』から。
AMSの恋愛瞑想は✧✧✧✧✧『恋人を神に』
自分の全てを✡ゆだねる祈りのワーク。
愛する人の『ハートに宿る大いなる存在』を感じ、
✡自我を焼き尽くすのが『想いの瞑想』。
組織の信仰や教え、自力の瞑想方法など
のワーク『自分の為の修業では自我の壁は
超えられない』。
強い北風で『エゴは決して吹き飛ばせない』から。
非凡な修業は『逆にマインドを強化する』。
このことは2500年前にゴーダマ仏陀も
言ったはずだが。
21世紀になった今も『自分の悟りの為の
瞑想方法』にマインドは虜になっている。
慈しみの瞑想を忘れて。
自分が『特別であるという意識は
自我の勲章』だから。
自我は物語のない『日常生活』に
眼を向けることはない。
平凡な日常生活は『太陽が輝いている暖かさ』
だと感じることなく。
多くの人達は『当たり前に昇っていた太陽が陰る時』
初めてその『暖かさが命を育む恩寵』だと識る。
『恋人の手の温もりや愛する人達の笑顔は
太陽の輝き』であり「非凡な平凡の光」だと。
太陽の暖かさを非凡な大いなる存在の恩寵だと感じる
時、あなたの恋人が『神が遣わせた御使いであり運命の
天使』であることに初めて気づく。
当たり前に感じていた『眼の前の笑顔に愛が溢れてい
る奇跡の泉』を観る。
そこに大いなる存在が在ることを『あなたのハートは
歓喜の涙とともに感じる』だろう。
その『瞬間あなたは祈りに出逢っている』。
特別な出家の瞑想方法や特定の神様への
祈りと一線をかくした『宗教ではない宗道』
日常生活を祝祭のアートに変える愛の錬金術で。
合掌
叡空拝