人生で1番辛かった日
高校1年生の頃、地下鉄で盗撮をされた。
私が映された携帯の画面が窓に反射していて気がついた。
怖くて1歩も、動けなかった。
そこから何度か、毎回別の人に盗撮をされた。
女性からされた事も1度だけある。
精神不安定になり、カメラが怖くなった。
電車に乗る時は高確率で、過呼吸になった。
街ゆく人みんなが私を見ているような気がした。
夜になると、漠然とした不安に押しつぶされそうになって涙が止まらなかった。
そんな日々が、約2年間続いた。
カナダで買ったお気に入りの白いくまのぬいぐるみがある。毎日頭を撫でて、一緒に寝ていた。
しかしカメラが怖くなってからは、くまのぬいぐるみの目すらも怖くなった。
私のことを見てくるから、着替える時は後ろに向けた。
徐々に莫大な不安は抱えきれないほどのものとなり、くまの目がカメラになっていて誰かに監視されているのではないか、盗聴器が入っていて、誰かに声を聞かれているのではないかと思うようになった。
ついには、白いくまのぬいぐるみから<ジーー>という機械音さえも聞こえてきた。
たしかにくまのぬいぐるみから聞こえたのだ。
ハサミでおなかを開けてしまおうかとも考えた。
それが出来なかったのは、私自身カメラがないことにも盗聴器がないことにも気がついていたからだ。
怖くなって、棚の奥にしまってしまった。
大好きだったぬいぐるみとは、それから1度も寝ていない。今でも棚の整理をしてぬいぐるみと目が合うと、恐怖に震えて泣きそうになる。
分かっていても家中探してしまう隠しカメラ、盗聴器。そんな事をしてしまう自分にがっかりして、辛くなった。
人のことが、信用出来なくなった。
1番辛かった時期、学校のカウンセラーに相談をした。先生は盗撮を信じてくれず、
「撮られたような気がしたんだね、怖かったね」
と泣く私を赤ちゃんのように宥めるだけだった。
学校までの交通手段は、電車しか無かった。
毎日大丈夫だと自分に言い聞かせ、強気で電車に乗る。
それでも怖くて途中で降り、泣いてしまう日もあった。
教室まで辿り着けても、友だちと談笑していても、シャッター音が聞こえると震えが止まらなくなった。泣きながら教室を出て早退した翌日は、教室の前で過呼吸になった。
盗撮に気がついてしまう自分が悪いのだと考えたこともある。それからずっと俯いて電車に乗るようにしていたら、徐々に過呼吸になることもなくなっていった。
治りかけてきたのだと思ったある日。
バイトに向かう途中の乗り換えで、駅構内を今日も強気に闊歩する。
<みんなが私のことを見ている>
久々にそう感じた。誰も私の事なんて気にしていないはずなのに、またあの、莫大な不安が私を殺そうと迫り来る。
誰も見ていないじゃないかと言い聞かせる度、すれ違う人が私にナイフを突き刺していく。
もう駄目だ。走ろう。
走ったら、余計に見られた。みんなが私を馬鹿にしている、見下している。
ついに頬に涙が伝い、その足で駅中の忘れ物センターに入った。
涙で駅員さんの顔が歪み、よく見えなかった。
それでも6人くらいが立ち上がり、私に近づいてきてくれたのはわかった。
一生懸命、必死に訴えた。
「助けてください、みんなが私のこと見てくるんです、怖いんです、そしたら体調悪くなっちゃって、休みたくて、」
そのような事を言った気がする。
駅員さんは盗撮してくるおじさんとは違い、優しかった。
大丈夫ですよ。
私がいちばん欲しかった言葉をくれた。
それでもさっきの光景を思い出すと嗚咽が止まらなかった。
あと10分で出なければ、バイトに遅刻してしまう。
休んでしまおうかと思った。
だけれど今日は、社員さんと2人の日。
バイトに行くには、あと3駅乗らなければならない。
10分後、まだ涙は止まっていないけれど。
バイト先に向かった。
涙をブレザーの袖で拭いながら、電車に乗った。
人生で1番辛いと感じた。
私は可哀想な子だとも思った。
情緒不安定になる日がある。
朝が来ることが怖くなる日がある。
理由の分からない涙が止まらない日がある。
自分の存在価値が見いだせない日がある。
なんの為に生きているのかわからない日がある。
それでも私は今日まで、生きてきた。
無理しなくていい、頑張らなくていい、嫌なことから逃げてもいい。
ただ1つ言えるのは、人は人の為に生きるのだということだ。
私は今まで関わってきた全ての人の為に生きている。
その人に必要とされていようがいまいが、知っている人が死ぬのは悲しいことである。
死ぬことばかり考えていたけれど、これに気がついた日から1度も死にたいと思ったことはない。
生きる活力は出来るものではなく、作るものだ。
私は自分の気持ちを人に伝えるのが苦手だ。
自分よりももっと辛い思いをしている人は山ほどいるし、私の悩みなんてちっぽけだと思うから。
人と比べる必要もなければ、自分が辛いと感じるならそれは大きな悩みであるとも思う。
でも、そう思っても相談することは難しい。
実は他にも、死にたくなるほど辛い気持ちになる場面が何度もあった。若干19歳のくせに生意気だと思う。社会人を経験してないくせに!って思う。
だから辛かった話を人にする時は、顔がほころんでしまう。無意識に笑顔になってしまう。笑わないとしんどくて、ヘラヘラしていないと本当に辛かったことになってしまう。
なんていうか、言葉にすることが難しいけれど。
大丈夫って言い聞かせながら、大丈夫だって思って自分を保ってる。
皆そうだよねきっと。
ストーカーされて近所の車の裏に走って逃げ込んで、奴が去るのを息を殺して待った日のこと、鮮明に覚えている。殺されるんじゃないかって怖かった。奴は近所のマンション1個1個に入って行って私を探してた。見てない隙にダッシュして家に帰った。
それを私は、笑顔で両親に話した。
なんで笑ってるのって言われたけど、笑ってないとしんどくて、真顔にしようとしても出来ないんだと伝えた記憶がある。
涙が出そうになったけど、仕舞った。
仕舞ってまた笑った。
誰しもがどん底のような辛い体験を1度や2度は経験したことがあると思う。
<生きる>と<死ぬ>で括ってしまうと、確かに人生に<死ぬ>という選択肢があるようにも感じる。
少なくとも私はそのように考えてきた。
だが人は生まれてきた以上、生きることが前提で物事が進んでいってしまう。
誰が自殺した、可哀想、辛かったんだろうねって。
自殺した人は何かから解放されたことに喜びを覚えたかもしれない、自殺したその日が、人生で1番幸せな日だったのかもしれない。
でもそんなことは本人にしかわからない。
だから皆口を揃えて同情の言葉をかける。
私はそれが悔しいと思った。
何も知らない人に同情されて終わる人生なんて絶対に嫌だ。
やはり人には、生きていく道しか残されていないんだなと実感した。
辛いことがあっても、死んでばかにされるよりはずっとまし、と思えばなんとかなる。
“なんとかなる”は私の一番嫌いな言葉だけれど、実際本当になんとかなる。なんとかしてきた。
なんとかなってるから今がある。
生きること、頑張ろうね。
女子高生が自殺したニュースが衝撃的だったから、書いてみた。
今は刹那も死にたいなんて思ったことないし、毎日が楽しい!それなりに辛いこともあるけど、辛いことがないと楽しいことが全力で楽しめないんじゃないかなとも思う。
生意気に書いてしまい、不快な気持ちにさせちゃったらすみません。
ここまでこの拙い文を読んでくれてありがとうございます!!
またねー
凜