人への執着を解放すると、自分の意識も解放され自由となる
今日は仕事を終えて、家に戻ると義理の母からお菓子が届いていた。
さっそくお菓子を子供といただき、私はうとうとと眠くなって夕方の昼寝をした。
目が覚めて、ふと気がつく。
ああ、子供は、今は近くにいてくれて、最初から私のものではないんだ。
寝る前にこんなことがあった。
お菓子を食べた後、テレビを見ていた子供に、少しママここでお昼寝してもいい?と聞いた。すると、いいよ、とすぐにテレビを消して、自分の部屋へ行ってしまった。
ふと寂しくなり、部屋でなにしてるの?と声をかけるとゲームをしてる。と。
好きなことをしていてホッとした。
そのあと、少し後悔した。
あとどれくらい一緒にいられるだろう。あと数年には自分の部屋から出てこなくなるかもしれない、と思うと、場所をどかしてしまったことに後悔した。
一緒にここで寛げばよかったな。
そう思いながら、寝て起きて、降りて来た言葉が、
もともと、子供も夫も誰のものでもない。みんな自由で、それぞれが自由な意識で生きているんだ。
自分も本来、自由だ。日々のちょっとしたすることや考えることはあるけど、それ以外の意識は自由である。
人を束縛せず行動も自由にしてもらうことで、自分も自由になる。
そう思うと、とても心が楽になった。人は所有物ではない。
人への勝手な妄想や思い込みは自分のことを束縛し、自分を苦しめる。
あ、これは妄想や思い込みだ、やめよう。事実と違う、と思うようにする。
心がだいぶ解放されたように思う。