僕は「マジメに生きる」のをやめました
序章:この世は理不尽だらけ
就職活動を経験したとき、僕はこの世の理不尽さを思い知らされた。
大学で専攻分野の勉強に真面目に取り組んできたにもかかわらず、企業からは「勉強以外に何をしてきたのか」と問われる。
学生の本分は勉強のはずなのに、勉強だけしている学生には価値がないと言わんばかりだった。
もっと早くこのことを知っていれば、勉強はほどほどにして、自分の興味があることにもっと時間を使いたかった。
僕は課題が出されるとその日のうちに終わらせないと気が済まない性格で、テスト前には緊張で昼食が喉を通らないほどだった。
しかし、理不尽なことはそこだけではなかった。
テストで単位を取れるかどうかは、結局のところ「過去問」を持っているかどうかで決まることが多かったのだ。
どれだけ勉強しても過去問が手に入らない僕は、さらに時間を使ってしまい、何も楽しめない。まさに負の連鎖だった。
一方で、サークルやバイトで先輩から過去問を手に入れた人たちは、勉強しなくても単位を取れてしまう。この理不尽さに、僕は強い疑問を抱いたのだ。
さらに、就職活動の中で求められる「自己PR」や「志望動機」も、僕には理不尽に感じられた。
まるで自分の人生を取り繕って美化しなければならないような感覚があり、本当の自分を見せることができないもどかしさを感じた。
それでも、社会に適応するために必死で自分を作り上げ、周りに合わせようとしていた。
そこで気づいた。
僕は「マジメに生きる」ということに少しずつ疑問を持つようになった。
社会や周囲の期待に応えようとする日々の中で、いつの間にか本当の自分を見失っていたのかもしれない。
このエッセイでは、僕が学生時代に感じたことや、同じようにまじめに頑張る人たちが少しでも生きやすくなるためのヒントを、自分の経験をもとに語ってみたいと思う。
肩の力を抜いて、自分らしく生きることの大切さを、一緒に考えてみませんか?
もしもこの文章を過去の自分に読ませてあげられたなら…
そんな思いで書いています。同じように悩んでいる誰かの心に、少しでも響けば嬉しいです。
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