ノーマン・メイラーは、ぱらぱらやって感じをつかむだけでも相当面白い
高校生の頃、これを古本屋で買って読んでみたがチンプンカンプンだった。
挑発的な言葉、猥語、差別用語、アメリカン・ジョーク?、そもそもこれは物語なのか、エッセイなのか、批評なのか、それすらも判断できなかった。それでも、なんとか最後まで読んだのは、自分のこづかいをはたいて買った本だからだ。あの頃、これは分からないというようなものは、ジャズにしろ、映画にしろ、文学にしろあったわけだが、粘り強くように事にあたれたのはなんだったんだろうか。お金を払った分、なんとか元だけはとるぞという気持ちゆえなのか。若さゆえのことか。今なら、さっさと放りなげているだろうこの小説・・・。
だが、改めて本書を手とり、ぱらぱらとめくってみると・・・、
今、この本のような感じ、スタイルで何かを書いたら、きっと面白いものが出来上がるだろうという予感が確信的に湧いてくる。現在、ここにある猥語や、差別用語は、いま完全なるNGだ。それらを、全部排除したうえでどれだけのスイング感、陶酔感を、もちろん、書く側と読む側においての陶酔感であるそれが重要となってくるが、うん、現在においてノーマン・メイラーのような才能が生まれてくることじたい不可能なのか。
だが、私は見つけてしまったのだ。私がそう書いたようなことをすでに実践しているような人が。
ジャズ・ミュージシャンの菊池成孔さんがやっておられたラジオ番組。「菊池成孔の粋な夜電波」それの前口上のみを集めた本が出ているのをご存じだろうか。その前口上の凄さはすでに伝説化されているほどなのだが。気がついてみれば、その前口上と、ノーマン・メイラーの文章スタイルは実に似ているのだ。
以下、二人の文章と前口上を引用いたします。比べてみてください。
どうですか似ているように感じしませんか。
と、ここまで書いていて、私はある事実を知ったのである。
編集者であり、著述家である松岡正剛さんの書評サイト「千夜千冊」で、ノーマン・メイラーの「ぼく自身のための広告」における編集構成術において、大江健三郎氏の「厳粛な綱渡り」菊池成孔さんの「歌舞伎町のミッドナイト・フットボール」がこの手法を踏襲されていたことをすでに指摘しておられたのだ。それは、深い知識、造詣によって書かれたもので私は何度も読んだ。そして、私のそのちっぽけなカンはそうはズレていなかったことに小さな喜びをおぼえたのだった。
さらには、これは勝手な憶測(松岡正剛さん自身の)だがとしながらも。
ノーマン・メイラーの新たな分子運動に変革されたものとして、ボブ・ディラン、マイルス・デイヴィス、マルティン・ルーサー・キング、マルコムX、ウッディ・アレン、アンディ・ウォーホルの名前を挙げ、この連中はメイラーをやすやすと超えていったと書かれている。なるほど、これらの名前は、確かに我が家のレコード棚、書棚に見つかる名前ばかりである。私がメイラーに引き寄せられていくのも当然だったと気づいたわけである。
しかし、今、どれだけの方が、ノーマン・メイラーに興味をもっだろうかなどとネット古書店の主である私は考えてみたりする。
冒頭に書いたように、なにしろ、ノーマン・メイラーの作品は手ごわいといえるのだ。難解さゆえになんだこりゃと途中で投げ出す人も多いだろう。
私は、これらメイラーの作品は、ぱらぱらやって感じをつかむだけでも相当面白いと思う。いや、語弊があるかも知れないが、それが、今の時代とのノーマン・メイラーの作品との付き合い方ではないかと思っている。当時の母国アメリカ人でも手をやいた難解さ。それが、日本語訳されて変化し、いや、訳がどうとか言っているわけではない。邦高忠二さんは大変なご苦労があったことだと思う。当時の最新スラング辞典にも出てこないワード、メイラーのオヤジギャグ連発、四文字言葉、マジで翻訳史上、最難関の作品であったのではないか。邦高さんのおかげで私はここにある可能性に喜びを感じることができているのだ。それが、今、すらすらと理解できることの方が異常なのである。はなっから、理解を求めてはいけないのである。
そんなわけで、今、ノーマン・メイラーの作品は個人のネット出品で千円以下で買えるものも少なくない。ワンコイン同然のものもある。もし、興味があれば試してみてはいいかがだろうか。ぱらぱらやって感じをつかむだけでも相当面白いと思う。それで、ある日、手ごたえがあれば、そこから本腰を入れて読みだして見るというのはどうだろうか。どうせ、失敗してもワンコイン程度である。
さすれば、この文章スタイルの、時にふざけているかと思うような文章群の羅列に振り回され、その妄想に近い空想の優勢を感じ、時に現実をからかうかのように、やがて、いつしか、対象そのものを俯瞰して見つめるという行為に変わる、そうこうするうちに、ようやく読み手は、どこからともなくやってくる冷静な判断を呼び覚ますことになるのだ。
そう、「なぜぼくらはヴェトナムへ行くのか」と。
そして、今、この本のような感じ、スタイルで何かを書いたら、きっと面白いものが出来上がるだろうという予感が確信的に湧いてくるはずだ。
まずのワードは、ノーマン・メイラーは、ぱらぱらやって感じをつかむだけでも相当面白いだ。
現代でもその材料はいくらでもある。いや、今だからこそ、ある。
ワンコインではありませんが、本書、今なら取り扱っています。売れ切れの際は、是非、当店でお買い求めください。
古書ベリッシマ (stores.jp)
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