仕事休んだけどすることない人
今日は、勤労感謝の日。
仕事休みました。
完全に「行きたくないから」という理由です。
体調がすぐれなくて休みます、という風に伝えましたが、
会社の人からは深く追求されずに済みました。
ありがたいです。
そして、これからの自分の生き方について考えました。
結果としては、ルールを手放していくということにしました。
そして、自分をゆるしていく。楽にしていく。そんな感じです。
最終的に、自分を丸ごとゆるせたらいいな、と思います。
これは、きっと時間がかかります。
しかし、自分ルールは変えたいとそれだけは強く思ったので、1年かかろうが、3年かかろうが、毎日少しづつ自分をゆるしていきたいと思います。
さて、それで夜7時くらいになったわけですが。
晩御飯を食べた後、マジですることがない。
そのことに焦りそうになったけど、
そういう自分も自分か、と受け入れました。
そういう事なんだと思う。
やることがない、夢とか願望とかが別にない。
これまで世間の常識とか普通というものに自分を合わせてきたわけだから
三大欲求はあるとしても、他は別にないのだと知った。
だから、仕事は面倒くさいし死ぬまでやることを考えると憂鬱な気分にもなるけど
死ぬまでの暇つぶしとしては必要かもしれないとも思った。
仕事も恋愛も旅行も筋トレもみんなよくやるよなあと思ったけど、
多分それは人間が暇が苦手だからだと思う。
知らない間に「休日は何かをしなきゃいけない」と自分を縛ってしまったんだろうな。
誰も見張っていないのに、自分が自分を焦らせて、外の何かに自分の不足を埋めたくなっていたんだろう。
結局、20~29歳の今まで、そんなことをやっていたけど、欲しいものは得られなかったし、その場しのぎの短期的快楽しかなかった気がする。
だけど、それも生きるためにその時には役立っていたんだろうな。
だって、今生きているから。別に過去に何してたっていい。
できることなら、嫌なことは避けて生きていきたい。
人間の99.9%はそう思っているんじゃないかな。
少なくとも自分はそうだ。
人付き合いが嫌いだし、苦手なんだ。
大学時代の友人たちとだって、連絡とるのがめんどくさいときがある。
それはなぜかというと、
良い状態の自分しかゆるせないからなんだ。
メンタルが落ちている自分とか、
暗くなって疲れている時の自分を
人に見せちゃいけない、人に会わせちゃいけないという考え。
これはもう、性格だから仕方ないかな。
職場の飲み会に行きたくないというのは、
相手が嫌いなわけではないんだ。
そもそも嫌いになるほど相手と向き合ったことってない。
そこまで人に関心を持てない。
だけど、人が自分を好きか嫌いか、だけは関心がある。
そう、他人の好きなものとか趣味とか興味ないのに、
相手が自分を嫌いかどうか、は気になるのだ。
だから、飲み会に行きたくないというのは
自分がつまらないと思われるのが怖い。ということ。
酒が嫌いなわけでも相手が嫌いなわけでもないのさ。
相手が嫌い、ってあんまり思ったことがない。
気になるのは、相手が自分より優れた経歴を持っているか、とか
相手が自分を嫌いになるかどうか、そんなことばかりだ。
だからさ、自分はこの先友人はできないかもしれない。
恋人だって、作るのは大変かもしれない。
可能性はゼロとはいわないけど。
まあそれも仕方ない。
そんな自分もゆるしてみよう。
自分をほどいて、ゆるして、自由になって、
それでも関りたい人ができたら、幸運だ。
それだけでも価値ある人生と言えそうだ。
休日もnoteで文章を書くことくらいしか
やりたいと思えることがないけども、
それの何が変なのか。
何も変ではない。
世間ではなく、自分の一個だけの人生を
生命維持が続いている限りは
生きてみようかな。
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