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逸脱者と特権性

研修の事前課題という名目で、絶賛とある案件でクソ忙しくて代行者を立てるほどになっているマイボス達(課長と担当部長)に1時間ずつインタビューをさせてもらった。
なお、なんの因果か私の所属は現在ボスが女性揃い、担当にはメンズが2人(自ラインには1人)と技術系部署には珍しい編成となっている。
もう珍しくもないのかなと信じたいけど。

インタビューでは仕事への向き合い方や重視していること、今後の展望、そして私に期待することという
普段なら面と向かって聞きづらいけどいつかは聞いてみたいシリーズ。研修はまぁまぁだるいけどこれは役得だなと思いながらインタビューに臨んだ。

ボス達の想いは私の心のうちに留めるとして、「私に期待すること」について、お二方とも私にはなんというか、大幅な変容や成長というより今のままでエンパワメントしてほしいとか、私のような経歴の持ち主こそ上がるべきというお言葉をいただいた。
人生基本アウトロー路線を突っ走ってきて、ここにきて「そのまま走れ」が認められる世界があるとは思わなかった。

非常にありがたくあり、その信頼に応える一心なのはともかく
この「そのままでいい」と言ってもらえることも一種の特権なのかなと頭の片隅で考えていた。
職場での話なので当たり前だけど、「そのままの私」にビジネスバリューがあるからこその容認なのだ。
それは本当の多様性か?それとも、スキル発揮に恵まれた人にだけ与えられる特権か?という命題。

この疑問を補完するために、今日お話を伺った担当部長のご意見を少しだけ拝借する。

みんな一人一人のやりたいこと、好きなこと嫌いなことを聞いて、それが叶えられる、良さを発揮できる組織づくりがしたいんだよね

愛しの(?)マイボスのお言葉

一見するとダイバーシティマネジメント論なんだけど、これは裏を返すと「個人の能力に優劣をつけない」というめっちゃ壮大な思想に基づいている。
実際、私も思わず「ゆくゆくは体制変革を叶える立場を目指しますか?」と聞いてしまった。
でも、欲とか関係なくインクルージョン、包摂ってそういうことかもしれない。
このインクルージョンが叶った時、ダイバーシティは「本物」になる。ダイバーシティを目指して多様な人材を集めてとっちらかすだけでは多様性の容認にはならない。結局色んな目線で優劣や評価がつけられて、新しい特権が生まれるだけ。

その点、逸脱者の役割は逸脱のメカニズムを語るに限らず、ただそこにいること、存在というバリューを活かすことなのかもしれない。
ここまで書いて、昨日SNSで「重度の精神疾患を持つ親戚とその両親の有り様を幼い頃から見聞きして、我が子の療育や将来設計に役立った。反面教師として感謝している」と述べている人を見かけたのを思い出した。
福祉施設従事者も当事者に育てられる、という表現で語る人がたまにいる。親からすれば「うちの子は教材じゃない」と憤る案件でもある一方、それこそが存在意義と前向きに捉えて子供と積極的に社会に出ていく人もいる。

私は代償的機能の駆使によって得たものも失ったものも多いけど、そのままを許される事に貴賎はないと捉える事にする。
改めて、インタビューありがとうございました。

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