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立 ち 上 が れ 滉 燿 くん ! ~明日を信じた5年間~4(1)3年生になったよ イスに座れた!手先が器用になった! 


新学期になって身体が固くなって「しまった!」だった滉燿くんですが、リハビリ訓練再開!効果はいかに!先生を置いてきぼりにした市内施設見学(^▽^)。上手にバスに乗ったよ!
         
3年生1学期(2005年 H17年)


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20  3年生になったよ

 春休みでも先生達は休んでいません。4月の新学期に備えて大忙しです。新学期から別の学校に移る先生がいます。なかよし学級からは、松田先生が別の学校に移ることになりました。そして別の学校から入ってくる先生が分かると、新しい学級担任を決める準備が始まります。
 なかよし学級は子ども達の数が増えて、5クラス21人になりました。新しく武田淳子先生と交流学級の担任の先生だった島秀子先生が、なかよし学級の先生に加わりました。夏休みなど「○○休み」は、こんな仕事や事務的な準備があって忙しいです。


 滉燿くんの交流学級は、ちょっと困ったことが起きました。子ども達の転出等で子どもの数が減って、4学級あったクラスが3学級になってしまいました。そのため、一クラスの人数が三十人少々から四十人近くに増えました。滉燿くんの交流学級は3年2組の担任の先生は西本真喜子先生です。同学年の先生は1組が徳田康幸先生、3組が渡康子先生でした。

 少ない人数から多い人数になると大変です。私は滉燿くんの同級生だった子が、クラス編成のために三分の一になったことに少し不安でした。
 思ったり、初めての給食に学級に入ると、滉燿くんと初めて同じクラスになった子達が物珍しそうに周囲にやって来てジロジロ見ていました。
「滉燿くんだよ。よろしくね」
 話しかけても『この子誰?』
 黙って見ています。
「滉燿くん知らないの?一緒に遠足とか行ったじゃない。知らないの?」
「知らない」
 とかぶりを振ります。同じ学年にいたことを知らなのです。学年体育や遠足、運動会、一緒に行動していたのに、滉燿くんに気づいていません。小学校1・2年生の子どもの周囲への関心は、こんなレベルです。

 前の学級のように給食時間に滉燿くんが来ると椅子をどけてくれるような気の利いたことをしてくれません。
「まあ、その内に仲良くなるさ」
 私はのんきに構えることにしました。

 学年が始まったばかりで、騒がしい学級を静かにさせようとしていた西本先生には悪かったのですが、給食時間に同じ班の子達とワイワイおしゃべりが楽しみでした。ある日、給食に行ってみると一人の女の子が休みです。
「有本さんはどうしたの?」
 隣の子に聞くと喘息(ぜんそく)でお休みとのことでした。翌日行ってみると有本さんは学校に出てきていました。大したことは無かったようです。
「有本さん、喘息だったんだって?」
「はい」
「じゃあ、今日は、ゆっくり歩いて帰らなくちゃダメだヨ」
「はあ?」
「だって全速(ゼンソク)で帰っちゃいかんよ」
「・・・・・」
 こんな話をやっていました。滉燿くんのことを知らないと言っていた友達も後片付けを手伝ってくれるようになりました。
「手伝って」
 ちょいと声をかけるとサッと近寄ってきて「ワイワイ」「キャーキャー」言いながら、ナプキンなどをたたんで袋の中に入れてくれました。

 4月5日の始業式から平成17年度の1学期が始まりましたが、滉燿くんの調子はどうでしょう?滉燿くんは、お母さんの車で元気よくやってきました。
 いつもの「ギャハハッ笑い」で機嫌良さそうです。車からいつものように滉燿くんを抱えおろした後、寝かしてみて体の状態を見てみました。抱き上げた時は、体の感触は悪くあれいません。
 しかし、

 脚を触った私は電気に打たれたように真っ青になりました

 膝がカチンカチンです!膝がへの字に曲がって伸びません!さらに、足首も膝と同じ様に固くて、つま先を伸ばす事が出来ないようになっていました。これは昨年の11月頃の状態と同じでしょうか。

「すると、まるまる4ヶ月のバックか・・しまったー」 指折り数えてガックリ。

  訓練効果は、ほとんど吹っ飛んでいました。
 
お陰で、楽しみにしていた歩行訓練は当分の間お預けです。これから同じ訓練を繰り返さねばならないことが分かって目の前が真っ暗になりました。
    実は、

 しばらく訓練を休んだ子どもが、元の状態に戻ってしまうことは良くありました。

    
対策を考えていなかったことは私のミスでした。
『学校が休みの間は親が訓練すればいいじゃないか』と思われる方もいるかも知れません。しかし、これは簡単に見えて結構難しいです。訓練は、かなり特殊な技術が必要です。手に伝わる子どもの筋肉の動きを感じながら、力を緩ませていくことは、かなりの技術と経験を要します。
 それに、家での親御さんは家事に追われたり、仕事の疲れが出たりで、ついつい訓練をしないことが多いです。私は家で訓練をどんどんやっているという親御さんを見たことがありません。親を責めるのは酷なのです。
 しばらく茫然となっていた私も気を取り直して訓練を再開しました。とにかく前進するしかないのです。夏休みまでには、元の通り、立位を安定させるという目標を立てました。

 そうしながら、なぜ春休みでは急に元に戻ったのかを考えてみました。昨年の夏休み・冬休みでは、体の状態が、それ程改善していなかったのではなでしょう。一方、今回の春休みの時には、体の状態がかなり良くなっていたので、戻り方も大きく見えたのに違い有りません。確かな根拠は有りませんが、そう納得することにしました。今度の夏休みには、こんな失敗を繰り返さないぞと心に誓いました。



 こんな新学期の滑り出しでしたが、悪い事ばかりではありませんでした。滉燿くんは半年に一回のレントゲン検査を5月に受けることになっていました。この日に合わせて、H療育園に出かけて意見交換することにしていました。ついでに、出来上がったばかりの歩行器も持って帰えるつもりでした。 

 リハビリ訓練をする部屋で滉燿くんを座らせてから、新谷さんの顔を見ながらニヤニヤと聞いてみました。
「どうですか、滉燿くんのリハビリの成果は?」
 昨年の会話を思い出しながら、ちょっと意地悪な声でした。

「もう、凄いの一言です」


 新谷さんは顔を伏せました。少しため息混じりに肩を落とすとあっさりかぶとを脱いで言いました。
「養護学校だと、この凄さが分かってもらえるでしょうが、普通学校では誰も分からないでしょうね」
 滉燿くんを見ながら少し気の毒そうでした。

 レントゲン写真を撮りましたが、結果が出るまで、試験結果の発表を待つ受験生の気分です。『今度も悪かったどうするかな』という心配は無用でした。レントゲン写真の結果は良かったのです。昨年の写真を横に並べて比べて説明してもらいましたが、股関節は悪くなっているようには見えません。訓練の悪影響は、なかったということで一件落着、無罪放免(?)です。
 ホッとして、これからのことを話し合いました。私が考えていたものは、手の訓練も入れてみようということでした。
「これからは手の訓練を入れてみようと思います。手を使う簡単なパズルやブロックをやってみたり、食事の時に自分でスプーンを使ったりする練習をさせてみようと思います」
 先の話でしょうが、自分で食事がある程度出来るようになると親は助かります。昨年は下半身を優先という方針でしたが、今年は上半身の動きも加えていこうと考えました。
 帰ろうとしていると滉燿くんのバギーなどを作ってくれている「きさく工房」の時枝さんが近寄ってきました。
「滉燿くんは順調だそうですね?」
「ええ、うまくいっています」
 滉燿くんの進歩ぶりを話すと時枝さんは目を丸くして聞いてくれました。『たった一年でみんな驚く進歩ぶりだぞ』
 上機嫌で歩行器を車に積み込み学校へ帰りました。

歩行器と滉燿くん

立 ち 上 が れ 滉 燿 くん ! ~明日を信じた5年間~4(2) 身体機能・知的面でも成果が出ます 楽しい時期でした


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