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立 ち 上 が れ 滉 燿 くん ! ~明日を信じた5年間~ 9(4)滉燿くんが誰の力も借りずに一歩を歩いた瞬間


立ち上がれ滉燿くん ! ~明日を信じた5年間~9(3)自分の力だけでジグソーパズルを完成!へはこちら


4年生も終わりに近づいて来ました。お世話や遊びで楽しむ時間が有りました。立って歩くためのハードルを越えようとし始めました。
4年生3学期(2007年  H19年)


53  友達とノンビリ遊び

 給食の時間が終わると後片付けに追われます。短い時間の間に、滉燿くんに歯磨きをさせ、給食の道具を片付けなくてはなりません。
『ごちそうさまでした』をみんなで言ってから、給食当番が食器などを給食センターのトラックが集めに来る給食着到場に返しに行って、戻ってくるまでの間に片付けを済ませねばなりません。そんな私を見て、同じ班の佐田直人君が気になっていたのでしょう。
「先生、おれ手伝うね」
 ナプキンやスプーンセットなどを給食道具袋に入れてくれます。
「手伝ってくれ」
 私から頼むと同じ班の子ども達は手伝ってくれます。でも、やはり中には『めんどくさいなー』と言う顔をする子もいました。そんな中で、佐田君は声をかけなくても自分から手伝ってくれる子でした。
「先生、なかよし4組に遊びに行っても良いですか?」
 教室に帰ろうとすると、同級生の山下舞さんが声をかけてくれました。
「いいよ。でも騒いだら追い返すよ」
 ちょっと嬉しいのをごまかすために、少々渋めの顔で返事をします。山下さんも、滉燿くんと同じ班になた時には、自分から給食の道具の片付けを手伝ってくれていました。
 山下さんは仲良しの島田恵衣さんも誘って、なかよし4組に遊びに来ては、滉燿くんと一緒に畳の上に座ってブロック積みをしたり、キーボードを弾いて聞かせてくれたりしました。
 天気の良い時は、滉燿くんの校内お散歩に付き合って、バギーを押しながら運動場を歩く事もありました。この年は異常気象なのか2月が暖かでした。私達は2月の終わり頃から、草むらのある運動場の隅っこを歩きながら、土筆を探していました。山下さんがバギーを押してくれているので、私と島田さんが土筆探し係です。2月は無理でしたが、3月に入って直ぐ、
「あった、あった」
  土筆を見つける事が出来ました。先週までは見かけなかったのに、5㎝ほどの土筆でした。周りをよく見ると、生えたばっかりのや、かなり成長して頭がスカスカになった様なものも有りました。
「いつの間に生えたのかな?」
「きっと先週末から温かくなったから、急に伸びたのかも知れないね」
 春は直ぐそこまで来ていました。


54  最終ハードル

 滉燿くんの足首のリラクセーションに力を入れ始めました。同時に、立った時に体を支える力を強くする事に取り組み始めました。私と滉燿くんは、最後のハードルの所へ来ていました。後は足首のコントロールだけなのです。足首をうまく使うことを覚えれば、もっと上手に姿勢をまっすぐにして立つことや少しの補助(私のイメージでは、滉燿くんの左側に立ち、滉燿くんの左手をもち、滉燿くんの腰に私の右手を添えた姿勢)をしてやれば歩いて行くという目標を達成する可能性がグンと上がります。このため、この足首の訓練は、私達がどうしても跳び越えねばならないハードルでした。
 まず、これまで単に曲げる事だけしかしなかった足首に対して、注意深く足の形を整えながら曲げていきます。ちょっと油断すると、足首は外反してガクッと曲がります。ここで曲がってはまずいです。外へ曲がりたがる足の甲を内側へひねりながら曲げていきます。こうすると、土踏まずをもつ普通の足の形のままで、足首を曲げる事が出来るはずです。しかし、滉燿くんの足首は固くて、少しずつ曲げていくのは大変根気の要る作業でした。
 固いと言っても、立たせると全然力が入らないのが不思議な現象です。滉燿くんを立ち上がらせて、私が片手を持って、そのまま立たせていると、滉燿くんはガクッと膝を曲げて倒れそうになります。固いはずなのに足首に全然力が入っていないのです。まだまだ、必要な力を入れたり、抜いたりする事が出来ていないのです。足を踏ん張る事が出来なければ、細かく力を調整してバランスを保って立つ事など到底出来るものでは有りません。
「しかし、それが出来るようになるのだろうか?」
 私は立たせる度に、補助の力を緩めると他愛もなくガクッと倒れかける滉燿くんを抱えて、暗澹たる気持ちになるのでした。
「絶対に出来るようになる。必ず突破するんだ」
 ここを突破するために、滉燿くんが足首の不要な力を抜く事を覚える事と同時に、足首の力を強くするための訓練を始めました。椅子からの立ち上がり練習をする時に、踵の下にタオルを四つに折った物を敷いて立たせる事にしました。こうすると滉燿くんは爪先立ち状態になるので、足で踏ん張る力が強くなるはずでした。この練習を右足で10回、左足で10回、両足で10回立つ練習を毎日繰り返していきました。立ち上がる様子を見て、少しずつ立ち上がる回数を増やしていきました。
 毎日毎日、この訓練を繰り返しました。一日の進歩は、あるかないか分からないくらい小さなものでした。しかし、一ヶ月ほど経った頃から、歩く時の膝の伸び方が次第に真っ直ぐに伸びて来ました。そして、一歩を踏み出す足の力が強くなったのが分かるようになってきました。
 3月14日、ホワイトデーの日です。いつもの様に歩行訓練をさせていました。私が後ろから腰を両手で補助して歩くいつものスタイルです。4メートルある畳のスペースの中ほどまで来た時、私の手にかかる滉燿くんの体重が、スーッと軽くなるのを感じました。
「これは!?」
   次にこの感覚が来るのを待ちました。滉燿くんは左足を踏み出し、続いて右足を踏み出します。滉燿くんの右足が床について踏ん張った瞬間です。私は間髪入れずに腰を支えている手を離しました。滉燿くんは一秒間程そのまま静止した後、左足を前に出して一歩を踏み出したのです!左足を出した後、踏ん張りきれずに傾きかけましたので、私は急いで腰を支えました。

滉燿くんが誰の力も借りずに一歩を歩いた瞬間でした。

「やったぞ!」
 心の中で叫びました。そのまま手を打って喜びたい気分でしたが、訓練中です。我慢して、そのまま畳の端まで歩いていきました。
 畳の端まで歩いて座った滉燿くんに、肩をポンポンと叩いて言います。
「滉燿くん、やったじゃないか!」
 滉燿くんは自分が何をしたのかは、良く分かっていない様でしたが、嬉しそうに私の顔を見返して笑っていました。
 後で、普通に歩けるようになった時、2007年(平成19年)の3月14日は記念すべき日になるはずでした。いや、するために頑張る事を決心しました。
 こうして平成18年度の3学期も終わりました。春休みにはいると翌年度の準備が始まります。この年の人事異動では、校長先生は変わりませんでしたが、宮川教頭先生が別の学校に転出する事になりました。
 宮川教頭先生は、滉燿くんを可愛がってくれた上に、2階に上がる時には、階段をバギーをもって上がる仕事も気さくに引き受けてくれました。気楽に何でも頼める宮川教頭先生がいなくなるのにがっかりしましたが、代わりに村田宏之教頭先生が来るというのでホッとしました。
 村田教頭先生は、ずいぶん前ですが、飯塚市立蓮台寺小学校で一緒に仕事をした事が有りました。私が5年生で村田先生が6年生の担任でした。一緒に高学年の先生として運動会やキャンプの指導をして頑張った仲でした。村田教頭先生とは仲が良くて信頼出来る人でした。宮川教頭先生と同じ様に協力してくれると思いました。


続編 立 ち 上 が れ 滉 燿 くん ! ~明日を信じた5年間~ 10(1) 苦難の5年生の幕開け 股関節の亜脱臼が無い!?


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