立ち上がれ滉燿くん !~明日を信じた5年間~ 1(6) 滉耀くんルールでやろう!初めてのプール!リハビリの効果が出ない
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反対を押し切って始めたリハビリ訓練ですが・・・、効果が出ません!
でも、ドッジボールをみんなでやったり、初めてのプールに入りました!
2年生1学期(2004年 H16年)
9 滉燿くんルールでやろう!
訓練は、なかなか進行しませんでしたが、滉燿くんも楽しい学校生活が送れるようになりました。体育と音楽の授業は2年1組に行っていましたが、体育では、見学だけでは面白くないので、滉燿くんがゲームに入れるような工夫が無いものかと考えました。ドッジボールの授業の時にゲームを眺めていて、あるアイディアが頭にひらめきました。
「滉燿くんが入れるルールを考えてみました。私が提案しても良いのですが、学級会の中で子ども達に考えさせるのも人権教育の一つになるかと思いますが」
「子ども達の間から出ない時は、私の案を提案してみてください」
2・3日後、島先生から話がありました。
「辻塚先生、学級会で話し合ったところ、子ども達の中からルールが出てきました」
ルールは、こうです。
① 滉燿くんには直接ボールはぶつけない。
② ぶつけるのは辻塚先生に後ろからぶつける。
③ 滉燿くん(辻塚先生が)がボールをもったら
相手チームの内野の人は動かない。
④ 滉燿くんは相手チームにボールを転がしてぶ
つける。
やってみると、これがとても面白かったのです。
滉燿くん(辻塚先生)がボールをもつと、相手チームの内野はじっと立って動きません。そこへ、私が滉燿くんにボールを持たせ、バギーを後ろから思いっ切り加速して急に止めます。ボールは滉燿くんの手からこぼれて、ゆっくりと相手チームの内野に転がっていきます。このボールがどこへ行くか分からずに面白いのです。
「あーっ自分の所へ来る!」
思っていると急に曲がって横の人にぶつかったり、大丈夫だろうと思っていると、急に曲がって自分の方へ来たりとハラハラして大騒ぎです。誰にも当たらないと分かると大急ぎでボールをつかまなければ、相手の外野にボールが行ってしまいます。ワイワイ大騒ぎのドッジボールとなりました。この面白さに、自分がボールを持つと直ぐに自分で投げず、離れた場所から無理して滉燿くんに渡そうとする子が出て困るほどでした。
10 初めてプールに入ったよ
こうしている間にも、いつの間にか春が過ぎて六月に入りました。季節的には梅雨ですが、多くの学校では、この頃プール開きがあることが多いです。伊岐須小学校でも六月の半ばにプール開きがあり、子ども達は大喜びでプールに入ります。
「お母さん、滉燿くんは去年プールに入りましたか?」
「いいえ、一度も入っていません」
「そうですか。今年は入れてみようと思いますので、プールの用意をしておいてください」
私と滉燿くんは
「早く入りたいね」
プール開きがあってから、天気に関わらずに、毎日プール道具をもって来ていました。プールのある日は時間前に一緒にプールに行き、水に手を突っ込んで水温を確かめてみました。
「冷たい!」
その度、二人は手をブルブル振って教室に引き返すのでした。プール開きとは言っても、六月の半ばは天気の悪い日が多くて気温と水温が上がらず、滉燿くんの身体を考えると入れない方が良いと考えました。
待っていると、ようやく梅雨が明けたと思われるようなカンカン照りの天気になりました。プールの水がぬるく感じることを確認した私は、滉燿くんを教室で水着に着替えさせて、プールに連れて行きました。
プールでは、もう二年生のプールの中での授業が始まっています。1組の学級の友達は、プールに入ってキャーキャー騒いでいます。腰洗い槽の水とシャワーが冷たいので、プールからバケツに水を汲んできて、滉燿くんの身体に水をかけました。いきなりかけると体に悪いので、私の手に水をつけて滉燿くんの体に塗りつけました。全身が濡れたところで、バケツの水を手でくんで、ピチャピチャとかけてやりました。
水に慣れたところを見計らって頭から水をかけました。シャワーの代わりです。滉燿くんを抱きかかえ、足からソッと腰洗い槽に入りました。腰洗い槽から出てプールサイドへ行きます。
「あっ、滉燿くんだ。」
水の中から友達が手を振ってくれます。私は授業の邪魔にならないように、学級の友達が並んでいるプールサイドの端の方からプールの中に入りました。私が先に入って、滉燿くんと向かい合うように抱きかかえます。そして、足からソーッと水の中に入れました。それまで私の腕にかかっていた滉燿くんの体重がスーッと軽くなります。自分でもそれを感じるのでしょう。
「ギャハハ」
プカプカ浮きながら大はしゃぎです。きっと生まれて初めての感覚でしょうね。滉燿くんとプカプカ浮きながら、みんなの方へ近寄っていきました。
「滉燿くーん」
友達が声をかけながら集まってきます。
「ギャハハ」
「あっ、喜こんじょう!」
嬉しそうに言ってくれます。滉燿くんの背中と頭を私の手で支えて、仰向け(背泳の形)にしてプカプカ浮かべてみました。友達が滉燿くんの身体にパチャパチャと水をかけてくれました。滉燿くんも顔に水がかかるのも気にせず大はしゃぎ。みんなに囲まれたところで記念写真を撮りました。滉燿くんのプール初デビューは大成功でした。水を嫌がることも無く上機嫌でプールを楽しむことが出来ました。
「今までプールに入ったことが無かったから、これで夏の遊びが一つ増えました」
この話を聞いて、お母さんはニコニコ顔で喜んでくれました。
11 そんなにしなくていいじゃない
プールデビューは大成功でしたが訓練は相変わらず賽の河原でした。そんな私を励ましてくれるテレビ番組がありました。当時、N H K で毎週火曜日に放送されていた「プロジェクトX」です(2024年に新プロジェクトXが始まりました)。これを見ていると、ある出来事や完成した物の陰には、知られざる人々の努力や苦労があったことが分かりました。何かを作り上げるには優秀な技術者でも苦心しているのです。明日を信じて、不可能と思われることでも、粘り強く進めて行って初めて成功があるのです。今の苦心も当然と気付かされました。
私も苦心していましたが、滉燿くんも決して楽であったわけではありません。幸い、H療育園の場合と違って、訓練を嫌がって逃げたりぐずったりと言うことは、ほとんどありませんでした。
訓練はじめの頃の滉燿くんにとって、一番辛い訓練は長座位姿勢をしての腰入れ訓練でした。長座は床に座って足を真っ直ぐにそろえる座り方です。
みなさんも、ちょっとやってみてください。座るだけなら簡単でしょうが、背筋を伸ばして腰をきちんと入れ、姿勢良くして伸ばすとちょっと苦しくなる人が多いはずです。さらにそこから前に身体を倒していってみてください。たいていの人は「あ痛たたた」膝の裏辺りが痛くなって声を上げることでしょう。滉燿くんは膝が固いからなおさらです。
この訓練は、教室の後ろの生徒用のロッカーに向かってやっていました。ロッカーの口が開いているので、そこに50㎝四方の板を蓋のようにおき、滉燿くんの足の裏を板につけて、つま先が九十度になるようにして長座位をとらせます。
「うっ、うっ、うっ、うえー」
膝に手を置いただけで、大きな声で泣き出していました。
「滉燿くん、泣くからといって訓練やめないよ」
泣くからといって直ぐに止めていたのでは訓練効果がありません。泣くからと言って、その度に止めていたのでは、滉燿くんは『泣けば訓練を止めてくれる』と考えるでしょう。ちょっと辛いと、直ぐに泣いて訓練から逃げることを覚えてしまうかも知れません。泣かれると辛いのですが負けてはならないのです。今日はこれくらい出来るはずだ・・・という目標をめざすことと、事故になる前に訓練を止めるポイントを見極めるには経験が必要ですが自信がありました。
ある日のこと、滉燿くんは長座位の訓練で泣いていましたが訓練を続けていました。そこへ、突然、校長先生が教室に入ってきたのです。
「滉燿くんが泣いているようだけど、いったい何をしているの?」
校長先生が尋ねます。どうやら、近くにある下足場の修理の様子を見に来て滉燿くんの泣き声を聞きつけて来たようです。
「リハビリの訓練です。今やっているのが一番きつい項目だから泣いていますけど」
「泣くようなことはせんでもいいでしょう。無理して怪我させんようにね」
「これは必要な訓練で慎重にやっています。滉燿くんが、慣れないのと痛いのと半分半分でビックリして泣いているだけで、大したことはありません」
校長先生の目を見ながら強く答えます。
「そうね。なんかよくわからんけど、虐待があっているみたいよ。ほどほどにしときなさい」
不満そうでしたが校長先生は去っていきました。教室から出て行く後ろ姿を見ながら『心配なら訓練の様子を見に来れば良いのに』ムスッと心の中で思いました。
それから2・3日後、同じように長座位の腰入れ訓練をして滉燿くんが泣いていました。たまたま近くを通りかかった宮川幸一教頭先生と保健の宮川美子先生(両方とも宮川先生なのでw宮川)が、泣き声を聞きつけてやって来ました。廊下の窓からこっちを見て、
「何をしているの?」
「リハビリ訓練です」
どう思われているかは、分かっているので不機嫌に答えます。
「義務教育なんだから、泣くような訓練はしなくても良いじゃない」
宮川美子先生が保健の先生らしく言います。
「いや、たとえ泣こうとも必要な訓練ならやるべきだ。勉強だって将来のことを考えたら、多少、子どもが嫌がってもやらせるでしょう。私が親ならやってくれと言う。それに、この訓練で子どもが泣くなんて珍しくも何ともない。訓練が進んで動きが良くなってきたら泣かなくなるから大丈夫」
今度も私は強い調子できっぱりと言いました。こういう場合、弱みを見せてはダメです。自信が有るところを見せないと見ている方も不安になってしまいます。二人は私の返事を『本当かなー』という顔で聞いていましたが、自分たちの目的の場所へと去っていきました。
その場は、それで収まりましたが、校長先生や教頭先生、保健の先生が、この教室の前を次ぎ次ぎ通りかかるなんて普段は余り無いことなのに・・。何でこういうときに限って・・。変な気持ちでした。
養護学校と違って、普通小学校の先生達は障がい児教育に関する授業や研修を受けたことがあまり有りません。それで、リハビリ訓練などと言ってもどんなことをしているのか知りません。分かってくれと言っても分からないのが当たり前でしょう。しかし、滉燿くんが自分で出来ることが増える。更に自分で立ち上がったり歩いたりする事が出来るようになるという訓練効果を見せれば、誰もが納得して何も言わなくなるに違いない。それまで頑張って訓練を続けよう。まだ始まったばかりじゃないか。私は心の中で繰り返し思うのでした。
この後、私の予想通り、滉燿くんは長座位での腰入れ訓練でも全然泣かなくなりました。
ある日のこと、あぐら座位での腰入れが終わって次は長座位です。滉燿くんは「ギャハハハ」と笑いながら自分で場所をずるずるとはって移動し、手を伸ばして隅に置いてあった長座位訓練用の板を不自由な手でつかむとロッカーの前に置いたのです。
「滉燿くん、長座位やるか!」
「ウッ」
OKの指文字が返ってきました。
この頃(平成16年7月頃)、滉燿くんの身体の固いところを柔らかくする訓練の他に、起き上がる訓練もしていました。うつ伏せに寝そべった状態から手を使って上体を起きあがらせていって、足を引きつけながら、ストンとお尻を落としてトンビ座りで座るという動きです。滉燿くんは、手を使って上体を起こすことは直ぐに出来るようになりました。が、最後の足を引きつけながらトンビ座りになるところが出来ませんでした。結局、出来ないまま、一学期は終了して夏休みになってしまいました。
終業式の後、滉燿くんを乗せた車を見送った後、2学期が始まった時を考えていました。
『おそらく、滉燿くんの身体は固くなっているだろうな・・・』
学生時代に担当したトレーニーは長期休暇の後、ほとんど身体が固くなっていました。練習(学習)した動きを忘れてしまって動きが固くなるのが普通でした。滉燿くんもそうなるでしょう。元に戻すのにどれくらい時間がかかるのか分かりません。
『しょうがないなあ』
私は教室に戻るためにスロープを上りながら、肩を落としてため息をつきました。
この後、驚きの2学期の展開が待っている事は、神ならぬ身には知る由も有りませんでした。
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