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立 ち 上 が れ 滉 燿 くん ! ~明日を信じた5年間~ 10(4) 仏レベルの西木君のリハビリ訓練
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前回は同級生だった中野君の神レベルのリハビリ訓練を紹介しました。今回は後輩の西木君のリハビリ訓練を紹介します。こちらも仏(神)レベルのリハビリ訓練でした。
5年生1学期夏休み(2007年 平成19年)
62 西木先生の訓練
夏休みの終わりに、私は滉燿くんとお母さんを連れて飯塚市の隣の嘉麻市にある嘉穂養護学校を訪ねました。嘉穂養護学校の松田先生に訓練の様子を見てもらったことは前に書きました。松田先生が転勤になったので、いよいよ西木君に見てもらおうと考えていました。
夏休み期間中なら、会いに行くことは簡単だろうと考えていたのですが、お互いにスケジュールが詰まっていて、中々調整がつきません。夏休みとはいえ先生達は忙しいのです。何度か電話で相談して、ようやく8月28日の午前10時に決まりました。
その間、私は学校の研修会で生徒指導研修会を計画して「いじめ対策研修会」を行いました。学校では暑くて出来ないので、冷房の入る地区の公民館の研修室を借りて学校の研修会をしました。当時の学校には冷房はありませんでした(!)。かなり気合いの入った研修会で、筑豊教育事務所に資料を取りに行ったり、会の進め方について打ち合わせしたりしながら準備を進めていました。暑い中、学校が終わってから事務所の方に出かけて準備をしました。
それが終わったら、昨年亡くなった父親の初盆の準備です。毎日、30度を超える暑さの中、準備に走り回っていました。そんな疲れが出たのでしょうか、何となくきつさを感じていました。
8月27日に飯塚病院で行った血液検査は、中性脂肪の値が752を示していました。これは危険ゾーンです。
しかし、28日の西木先生との交流訓練はやり遂げなければなりません。私の都合でドタキャンは避けねばなりません。
8月28日、私は体の不調を押し殺して、滉燿くん、お母さんの3人で嘉穂養護学校の玄関に立ちました。受付から職員室の方を見ると奥の席に牧田先生が教頭先生の席にいるのが見えます。牧田先生は、一昨年まで筑豊教育事務所の指導主事をしていて、滉燿くんの訓練ぶりを見てもらったことがあります。牧田先生は、滉燿くんを見つけると大急ぎで出てきました。懐かしそうに、頭をなでながら滉燿くんに話しかけてくれます。
「やあ、滉燿くん大きくなったね。今日は西木先生との訓練だってね。西木先生お待ちかねだよ」
滉燿くんも嬉しそうにOKサイン。
私達が来た連絡がいったのでしょう、西木君がやってきました。
「おはようございまーす。辻塚先生、滉燿くんよろしくね」
彼は体も大きければ声も大きいです。早速、訓練室の方へ行くことになりました。廊下を奥まで歩いてエレベーターで2階に上ります。2階にある教室の大きなドアを開けると訓練室です。暑いのでクーラーがはいります。エレベーターと言い、クーラーと言い、養護学校では当たり前でも普通小学校では考えられない設備です。内心うらやましくてお母さんに話しかけます。
「エレベーターにクーラー、養護学校って良いなー。お母さん、何でこっちへこなかったの?」
「うーん。私達が見学に来た時に、重度重複学級の教室が日当たりが悪くて、暗かったんですよ」
「教室が暗いって、今の仲良し4組もけっこう暗いと思うけど・・・」
「周りの子が重度だと滉燿くんが受ける刺激が少ないじゃないですか?それに、やっぱり地域の子ども達と一緒に育てるのが良いです」
「子ども同士の刺激なんて、そんなに影響ないよ」
私とお母さんがつまらん話をしている間に、西木君はマットの上に滉燿くんを座らせると、何やかにやと話しかけながら、滉燿くんの体の状態をチェックを始めています。
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肩を反らしたり腰を入れたりするところは私がやっている事と変わりませんが、何か彼が深いところを見つけてくれることを期待していました。
やがて、西木君は、私の方を向くと説明を始めました。
「胸のところが固いですね。ほら、肩を少し押すと首が後ろに倒れてくるでしょう。これは胸が固い証拠ですね。ここを緩めるのを当面の目標にしましょう」
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「それからバランスをとる練習もすると良いです。それには、こんな器具を使ってみると良いですよ」
言いながら、西木君は訓練室の隅から板をもってきました。よく見ると、底にカーブのついた板が、2本ソリの足のようにくっついています。
『底についている足がカーブになっているから、前や後ろに傾きます。この上に、滉燿くんを座らせて傾かせると、体のバランスの取り方を教えることが出来るんです」
滉燿くんを板の上に座って乗せると、前に傾けたり後ろに傾けたりしました。滉燿くんは倒れまいと、前に傾いた時は腕を突っ張って支え、後ろに傾いた時は、体を伏せてバランスを保っています。
「おっ、うまいうまい」
![](https://assets.st-note.com/img/1732835714-vxk1jOwrc8Vz5mGesARFbpu2.jpg?width=1200)
今度は、座っている向きを90度変えて板が左右に傾くようにしました。滉燿くんは板が左に傾くと体を右に傾け、右に傾くと体を左に傾けて、倒れないようにバランスを取っています。
「オー、出来てる出来てる。滉燿くんは小脳がほとんど無いと言うことだけど凄いね。こりゃ滉燿くんが一番の出世頭かもしれないな」
ビックリしながら感心しています。
「どう、今後もまだまだ伸びる可能性あるよね?」
「ありますよ。でも、ここまででも凄い伸びていますよね。この子は、本当に介助が無いとほとんど動けない状態だったんですか?信じられんなー」
西木君が首を傾げながら答えます。
それから同じ様な器具を持ってきました。
「これ私が作ったんですよ」
見せながら説明してくれます。業者が作った様に丁寧に作られています。作るのに苦労したと思う仕上がりです。子どもの成長を願いながら頑張っている姿が分かります。
「実は、ぼくも小脳がほとんど無い子どもの訓練したことがあるんですよ。その子は生活に支障がないくらいまで立って歩けるようになりました。小脳欠損っていうけど、発展の可能性が有ると思っているんですよ」
意外な言葉で驚きました。
「その良くなった子というのは、何歳くらいから訓練始めた?」
「3歳くらいだったと思います」
「あー、やっぱり。俺が滉燿くんを受け持ったのは、2年生で8歳の時なんだよね。もっと早くから受け持ったら良かったのになー。こういうのって早いほうが圧倒的に有利だもんね。H療育園には早くから行っていたんだから、本当は、そこでしっかりやってくれれば良かったんだけどね。言ったところで愚痴にしかならんが・・・」
「そうですねー」
西木君もうーんと首をかしげます。
後でわかりましたが、病院などのリハビリは、『介助している人を助けるレベル』を目指しているそうです。私達は、子どもの発達や成長を目指しているので目的やレベルが違いました。
これまでを悔やんでも仕方ないので、これからを相談しました。西木君は明確に答えてくれます。ベテラントレーナーでの安心感がありました。
「他にやることとしたら、やっぱり歩かせましょうよ。先生が腰をもって歩かせるだけでなく、滉燿くんがある程度、自分の判断で歩く場面を取り入れましょう。それには歩行器があればいんだけど・・、ないですよね」
「いや、サドル式の歩行器がある。だけど、これはサドルにジッと座って、なかなか歩かないことが多いんだ」
「じゃ、サドルをとって自分の足で歩かせてみてください。最初は短い距離から始めて、少しずつ距離を長くしてみてください」
簡単な2学期の訓練方針を示してくれました。当面の方針として胸の固さを取る訓練、バランスを取る練習、それから歩行訓練でした。器具は、これから用意することにしました。桑野先生と相談しながら作れば何とかなるでしょう。私も工作には自信があります。
「ここまで身体機能を改善させるなんて、さすが辻塚先輩ですね。全然ブランク無いじゃないですか。でも、普通小学校じゃ周りの先生は、その凄さが全然わかんないでしょう。養護学校じゃ尊敬の的ですよ。養護学校に来ません?」
西木君はジッと奥村君の様子を見ながら、ちょっと嬉しいことを言ってくれました。
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63 体がきつい原因は何だ
嘉穂養護学校から帰った私は、ハッキリと体の不調を感じていました。風邪やインフルエンザにかかった時に感じるきつさが体を襲っています。『これはいけない』と思いましたが原因はわかりません。忙しかったけれど絶好調でした。充実した夏休みでした。強いて言えば連日30度を超える暑さで疲れが出ていたのかもしれません。しかし、もうまもなく2学期が始まります。体の不調で休むようなことは避けないといけません。
残りの期間、元気を取り戻すために必死でした。自分の寝室に、普段はスイッチを入れないクーラーを入れました。ゆっくり眠って体力を回復するためです。普段は電気代がもったいないのですが必死でした。電気代なんか問題ではありません。幸い、始業式までまだ5日間ありました。この年は土日が重なっていたので始業式が9月3日でした。
2日の日曜日は住民運動会でした。私は校区の地元住民でしたので、選手としても学校の係員としても参加する予定でしたが、事情を説明して休ませてもらいました。この努力が実って、かろうじて体力を回復し2学期の始業式に出ることができました。
何とか最悪の事態は回避出来ましたが、もうこんな事態はいやでした。私の体は平日の勤務が精一杯でした。土曜や日曜日は、きつくて寝ていることがほとんどでした。自分がしたい勉強や研究があるのにする余裕がありません。土日寝ているのですから、家族で遊びに出ることも出来ません。本当は子どもとキャッチボールとか何かをしたいのですが、休日は体を休めるのが優先でした。
「このまま体は直らないのだろうか?」
周囲からは元気そうに見られていましたが、毎日毎日、いつもきついばかりでした。そんな中でやる事は楽しいことなど一つもありません。テレビを見ても面白くありません。何かやりたいのですが、その後で疲れることを考えると『やめておこう』となるのです。毎日が疲労した体を抱えての我慢大会でした。この先もこんな人生が続くなら、体が直らないのなら死んだ方がましでした。しかし、その一方でやりたいことはいっぱいあるのです。第一、厳しい残暑の中、学校の運動会の練習が始まっていました。暑い日差しの中、滉燿くんのバギーを押しながら私はどうしたら良いか考え続けていました。
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