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立ち上がれ滉燿くん ! ~明日を信じた5年間~ 1(4) なかよし4組の日々


立ち上がれ滉耀くん1(3)伊岐須小へ なかよし4組 滉耀くんと出会うへはこちらへ


普通学級にいました滉耀くんですが、新しくなかよし4組(特別支援学級)での生活が始まりました。
                   
2年生1学期(2004年 H16年)


4 なかよし4組の日々

 翌日から、滉燿くんと私の伊岐須小学校での新しい生活が始まりました。朝、お母さんが自分の自動車に乗せてやってきます。 
 なかよし4組の中庭側の戸口から迎えに行きます。この戸口は中庭へ降りる道がスロープで、車いすやバギーが出入りしやすくなっていました。このスロープの前でお母さんは車を止めます。
 私は滉燿くんを抱きかかえて車から降ろすと、歩いて戻って教室に置いてある専用のバギーに乗せます。お母さんは、給食で使うスプーンやフォークのセットやタオルや紙オムツ、服が汚れたときの着替えなどが入っているリュックを持ってきます。
「どうですか?滉燿くんの調子は?」
「着替えさせる時に、くずって着替えさせないのに手こずったけど、体の調子は良いし機嫌は良いです」
「今日は火曜日ですから、H療育園の日ですね」「はい、遅れないように迎えに来ます」
 お母さんと体の調子や今日の予定など簡単な打ち合わせをするのが日課でした。滉燿くんは朝9時20分頃に登校してきていました。本当は児童の登校時間は8時25分ですが、
「行きたくない!」 
 滉燿くんは床を転げ回り、暴れ回っては服を着せないでお母さんを困らせていたのでした。これを「ぐずり」と言っていました。また、ある時は、なかなか朝ご飯を食べないで、家を出るのが遅くなる。いよいよ出ようとしたらウンチをしていた。で、学校へ来ることが遅くなっていました。

 滉燿くんの一日は、健康観察から始まります。「滉燿くん、身体の調子はどうですか?」
「はい、いいですよ」
 指でOKマークを作って返事をします。言葉をほとんどしゃべりませんが、OKマークの『いいよ』、イヤなときの泣きや顔の表情で何が言いたいのか、だいたい読み取れました。「こっちを向いて」 などと言うとそうしてくれました。
 こちらの言うことは、ほとんど分かっているようでした。言葉は無いけれど、ある程度お互いの気持ちや考えをやりとりすることが出来ました。
 健康観察が終わると、滉燿くんをバギーに乗せてから、健康観察表を持たせ保健室へ行きます。健康観察表を保健の宮川美沙子先生に手渡す係でしたが、握る力が弱いので途中で健康観察表を落と事が多かったです。

 健康観察表を届けると、保健室の向かいにある事務室へ朝の挨拶に行きます。事務員は田辺泰三先生です。
「滉燿が来た!」
 嬉しいそうに出迎えてくれます。
「ギャハー」 
 身をよじって笑顔で挨拶です。
 事務室に行くと、次は斜め前の職員室に入らなければ、滉燿くんの機嫌が悪くなります。職員室に入ると、入り口近くの席には教務主任の本山繁太先生が座っています。
「コウヨウー。元気かい?」
 座っている椅子を回して滉燿の方に向くと、バギーを動かしながら、何やかにやと話しかけてくれます。その様子が何となく爺むさいので、本山先生は『滉燿くんの爺や』と陰で呼ばれていました。教頭先生の宮川幸一先生(中田教頭先生は異動で他の学校へ転出しました)は服装をチェックです。
「今日は赤い靴下か?かっこいいね」
 目尻に皺をつくって誉めてくれます。滉耀くんのお父さんはカープファンでした。時々、吉田校長が職員室の校長席に居ることがあります。
「滉燿くん、おはー。あぱ、あぱ」
 滉燿くんが好きなアンパンマンを意味する「あぱ」を自分のほっぺたを叩きながらやってくれます。朝は、挨拶回りでなかなか忙しいです。
 教室へ戻る廊下で、児童支援加配の先生の浅井純次先生が、向こうからやって来ます。浅井先生は声のおっきな先生です。声が廊下に響きます。
「滉燿!お早う!あぱ」
 あぱを自分の口を手でふさいだり開けたりしながら、器用に『あぱっ』と音を立てて面白がらせてくれます。


 教室に帰ると勉強です。滉燿くんは手話・指文字にとても興味をもっていました。時々、滉燿くんは簡単な指文字を使う事がありました。
 数字の勉強では、先ずはカードに書いた数字を指文字で表せました。最初は一枚のカードで一つの指文字を出させました。これが出来るようになると机の上に3枚ほどのカードを置きます。
「滉燿くん、5のカードを取って」
 正しいカードを取る練習をしました。正しいカードが取れるようになると机の上に置くカードの数を増やしていきます。滉燿くんは指定された数字カードを一番に取るのですが、残りのカードもついでに取って手渡してくれました(笑)。 

後年の写真ですが、こんな感じです

 こんな勉強を教室の後ろに敷いた畳の上で、横長い座卓を使って、滉燿くんをトンビ座りで座らせてやっていました。
 滉燿くんは手話のビデオを見るのも大好きでした。画面を見つめながら手を打って喜んだり、番組の中で説明があった手話を自分の手で作ったりして嬉しそうでした。


 中休みや昼休みの他、授業時間中にも滉燿くんのバギーを押して、校庭や運動場へと出かけました。4月はちょうど良い暖かさでお散歩には絶好の季節でした。このお散歩は外出の機会が少ない滉燿くんには大切なことです。ただの遊びではありません。春の校庭にはタンポポの黄色い花が咲いています。花の軸が地面に寝そべっているものや綿毛がいっぱい着いている先を真っ直ぐに立てているものもいます。綿毛を手に取るとちょっと吹いて見せてから、滉燿くんに吹かせてみました。無理かなと思っていたのですが、滉燿くんもまねして、「フーッ、フーッ」と吹いていました。綿毛はパラパラと飛ぶので、横から吹いて応援して一緒に飛ばしました。 運動場をプラプラお散歩して行くとブランコが有ります。こいつは滉燿くんは乗ったことが無かろうと、乗ってみることにしました。私がブランコの板の所に座り、滉燿くんを私の膝の上に乗せます。片手で鎖を握り、もう片方の手で滉燿くんの胸を支えます。そうやって、ブランコをこいで二人でブランコを楽しみました。ユーラユーラとブランコが揺れると滉燿くんに笑顔がこぼれます。『ブランコから二人で飛び降りたらどうだろう』と考えました。滉燿くんは軽いのでそう無茶な企てでは無さそうです。ブランコが一番飛び降りやすい高さに来た時に、滉燿くんを抱いてポンと飛び降りてみました。滉燿くんはキャーキャーと手を打ち、舌まで出す程大口開けて大喜びです。指を一本上げて「もう一回、もう一回」のサインを出すので、何度も何度も飛びました。

 もう一つ好きな遊具は滑り台です。滑る板の真ん中辺りまで滉燿くんを抱え上げて、シューッと滑らせました。思い切ってみんなが滑るくらいのスピードで滑らせました。でも、滉燿くんが頭を打たないように無理な姿勢で滉燿くんの体を支えながら滑らせねばなりません。これはきついし、抱え上げるのが重いしで滑り台で遊ぶのは大変でした。滉燿くんは何度も指を上げて「もう一回」をリクエストするのですが、5回くらいで勘弁してもらっていました。 外から帰るとリハビリ訓練を始めます。リハビリとは、身体の機能回復訓練です。滉燿くんの場合は元々身体がほとんど動いていなかったので、正確には身体機能を発達させるハビリテーションと言うことになります。この訓練については後で詳しくお話しします。


 給食は滉燿くんの交流学級である2年1組の教室に行って食べます。なかよし学級の子は、なかよし学級での勉強の他に、自分と同じ学年の普通学級の中でも、自分ができる教科を選んで勉強したり給食を食べたりしています。この様な学級を交流学級と呼んでいました。
 滉燿くんの場合、給食の他に音楽や体育など、滉燿くんが加われる授業の時には、2年1組の子ども達と一緒に勉強していました。遠足や見学も一緒に行きました。
 12時5分になると滉燿くんをバギーに乗せ、給食道具が入ったリュックを背負って、なかよし4組を後にします。でも、2年1組へは直接には行けません。2年生の教室は2階にあるので、バギーは階段を上がることが出来ないからです。エレベーターですって?そんなものはありません。当時の飯塚市の小学校でエレベーターのついている学校は無かったのです(6年生の時にエレベーターが設置されました)。
 私達は、先ず職員室に向かいます。そこにいる宮川教頭先生に声をかけます。教頭先生がいない時は、近くにいる男の先生に一緒に来てもらいます。3人は校舎の端にある階段に来ると、私が滉燿くんを抱きかかえ、教頭先生がバギーを抱えて「よいしょ、よいしょ」と階段を二階まで上がります。

 上がったら、再び滉燿くんをバギーに乗せます。滉燿くんは、この時に手話でよく、「ありがとう」とやっていました。
 2年1組の担任の先生は島秀子先生でした。私達がやってくると、子ども達は『こんな時間かー。もうすぐ給食だな』という顔になります。滉燿くんの隣の席の子は、バギーが入れるように、黙って滉燿くんの席の椅子をどけてくれました。そこへバギーを入れます。
 バギーのひじかけ部分には、学校で使う子ども用の机の広さと同じくらいの板が取り付けられるようになっています。これが補助テーブルです。お皿などは勉強する机の上に並べていましたが、食べさせる時にちょっとお皿を置いたり、パンを置いたりするのに便利でした。机の上にリュックから取り出した水筒やスプーンセットを置き、滉燿くんの首にナプキンを着けます。
 用意が終わると急いで職員室に行きます。担任をしてない先生達が職員用に用意している給食を大急ぎで食べます。時々、職員がみんな忙しく用意が出来ていない時がありました。そんな時は、私が給食センター(当時)から運ばれて来た給食が置いてある着到場へ給食を取りに行きました。もってきた給食の中から、自分の分だけおかずやパンを食器に取って先に食べていくことになっていました。
 食べ終わる時刻を4時間目が終わる時刻(12時25分)に合わせるようにしていました。食べ終わると、また2年1組の教室に戻って滉燿くんの横に座ります。4時間目の授業が終わって給食の用意が始まると、おかずやパンなど滉燿くんの分を一番先に配ってもらうことにしていました。配ってもらったら学級全体での「いただきます」を待たずに食べ始めます。これは滉燿くんは食べるのが遅いので、充分食べる時間が取れる様にするためです。給食の用意をしながら子ども達が話しかけてきます。
「先生、今日の給食なんやった?おいしかった?」「おいしかったよ」
 でも、時にはあまりおいしくなくて、
「今日のは大人には良いが、子どもには合わない味かもね」
 などと返事をしていました。

 滉燿くんは自分で食べることは出来ません。お母さんに習ったように、スプーンやフォークを使って、食べ物を滉燿くんの口に運んでやります。滉燿くんは好き嫌いがほとんど無くて何でも良く食べました。でも、なぜか牛乳だけは全然飲みませんでした。それで水筒のお茶を飲ませますが、滉燿くんはコップを自分で持って飲むことが出来ません。コップに入れたお茶をスプーンでカップから一さじずつすくって飲ます。滉燿くんは「次はこれ」とおかずやパンを指さして自分の希望を伝えてきます。たまに食べたくないものが口に入れられると「べー」と舌を使って押し出しました。これにはちょっと困りましたが、まあ、たまにある程度なのでどうってことありませんでした。好き嫌いはほとんどありませんでした。良く食べる子でした。同じ班の子が、チョコチョコ何か残します。
「滉燿くんは何でも食べるよ。君も残さず食べなさい」
 私は先生らしく言っていました。滉燿くんに食べさせながら、同じ班の子ども達とテレビの話などおしゃべりするのが楽しみでした。
 給食が終わると大急ぎで歯磨きをします。これが滉燿くんは嫌いで、口を閉じて磨かせないのです。嫌がっているのは分かるのですが、やらないわけにはいかないので、少々無理矢理、歯ブラシを口の中に入れてコチョコチョと磨いていました。
 ところがある日、「今日は良く口を開けてくれるなー』と磨いていると、使っていたコップが、たまたまアンパンマンのキャラクターがついたコップなのに気付きました。滉燿くんはアンパンマンが目の前に見えるので、機嫌が良くなって、こちらの言う通りに口を開けてくれていたようです。それから、このコップを使って歯磨きをするようにしました。
 歯磨きが終わると、ナプキンやフォークをリュックの中に片づけて2の1の教室を後にします。来たときと逆に、なかよし4組に帰るには階段を降りなければなりません。
 降りる階段は教室に来るのとは別の中央階段を使っていました。この階段は職員室からは遠かったのですが、なかよし4組に近かったのです。上りと同じように他の先生を呼んでも良かったのですが、応援の先生が来るのに時間がかかります。面倒くさいので階段の所までバギーを押していきます。そこでバギーを止めて、滉燿くんをバギーから抱え上げて階段を一歩一歩降ります。階段を降りたら、そのまま10メートルほど歩いて、なかよし4組まで滉燿くんを抱きかかえて連れて行きます。教室に着くと、後ろに敷いてある畳の上に座らせます。それから置いてきたバギーを降ろしに行きます。廊下に降ろしたバギーを押していきますが、当然、バギーは空です。「滉燿くんが乗っていない!」
 子どもや時には先生から、驚き声で言われておかしいことがありました。

 実はこの階段を降りて教室に戻る時が危険なのです。脚を踏ん張らなければいけないために降りる方が登る時より難しい上に、周囲は給食の道具を給食室に持っていく子や遊びに出る子で混雑しています。上から降りてくる子は私や滉燿くんに気付いていますが、下から上がってくる子は自分の足元だけしか見ていないで、ダダッと上がってくる子がいるので注意が必要です。
「危ない」
 大声でも気付かずにぶつかって来ることがありました。押されて足を滑らして滉燿くんもろとも階段を転げ落ちることを考えるとぞっとしました。今から考えると適切な方法ではありませんでした。


 教室に帰って来るとオムツ換えです。普通の赤ちゃんのオムツを交換するのと同じです。
 オムツ換えが終わるとやっと昼休みです。天気の良い日は運動場にお散歩に出かけますが、悪い日は教室でビデオを見たり、他の教室や職員室に遊びに行ったりしました。天気の悪い日に交流学級の子をはじめとして普通学級の子も時々遊びに来ました。二年一組の子がニコニコ聞いていきます。
「先生、昼休みなかよし4組に遊びに行っても良いですか?」
「ああ、いいよ」
 遊びに来ることは、とても良いことなのですが、あまり好きではありませんでした。
 それは、普通学級の子が教室で暴れ回るので、私が怒らなくてはならなくなることがあったからです。女の子が滉燿くんが好きなアンパンマンの絵を黒板に描いてくれるのですが、男の子が、その横でグシャグシャの絵を描いたり、おっかっけこをして走り回ったりするので私から怒られます。 滉燿くんと一緒にブロック遊びなどをする子もいますが、自分一人で遊んで、そばにいる滉燿くんには頓着していない子もいました。滉燿くんと遊びに来るのではなくて、自分が遊ぶために来ている様なところがありました。
 これは他のなかよし学級も同じで、なかよし学級の担任の先生が困っていることが多かったのです。


 昼休みが終わったら掃除時間です。
「滉燿くん、掃除だからビデオ切るよ」
 声をかけてビデオのスイッチを切ります。
「ウエッ、ウエッ、ウエーッ」
 しょっちゅう涙をこぼして泣き始めます。家だとこのまま泣いてぐずるのでしょうが、学校ではしばらくすると泣きやみました。掃除は、ほうきを滉燿くんに持たせてバギーを押しながらチョコチョコとはわくこともありますが、ほとんど私一人ではわいたり、雑巾でふいたりしていました。


 5校時は授業です。午前中にやった数字カードの他に、指先を使ってどんぐりをつまんで右のお盆から左のお盆へ移す練習などをしました。


 5校時が終わるとお母さんが迎えに来るので、車に乗せて滉燿くんの一日の学校生活が終わります。 滉燿くんはこの他にも交流学級である2年1組の音楽と体育の授業にも行っていました。見学や遠足なども2年1組と一緒に行きました。
 自分のペースでやっていける学校生活になったので、直ぐに、2年生の生活に慣れてきました。欠席がガックリと減りました。
 朝、「学校なんかに行くのはいや!」と車の中で暴れていた滉燿くんは、逆に帰りの車の中で「帰りたくない!」と暴れてお母さんを困らせたということです。


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