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立 ち 上 が れ 滉 燿 くん ! ~明日を信じた5年間~ 10(2) 足の力をつけるんだ!煎じ漢方薬の威力(笑)!? 


前編 立 ち 上 が れ 滉 燿 くん ! ~明日を信じた5年間~ 10(1) 苦難の5年生の幕開け 股関節の亜脱臼が無い!? へはこちら


足の力をつけるには繰り返しの練習が必要です。スポーツのトレーナーの気分!?ゴールが少しずつ見えて来たところへ身体の大不調です。救ってくれたのは漢方薬!?
5年生1学期(2007年 平成19年)


58      体の大不調

 5月26日夕方、学校が終わった後、私は少しずつ体の不調を感じていました。まず、朝起きるのが重いのです。『あれをしないといけないな』と思うとおっくうでした。
 今週になると更にひどくなり、滉燿くんの訓練中に肩で息をするようなきつさを感じていました。滉燿くんの給食が終わりオムツの交換を終わらせると、私は畳の上で肩で息をしている状態でした。
 何で、こんなに体がきついのかわかりません。
 私は朝7時半頃に学校に出勤していました。勤務開始は8時20分ですが、昔からの習慣で教室には7時50分頃には入るようにしていました。子ども達が来る前にその日の準備を一仕事というのが、学校が始まる前の私のウオーミングアップでした。
 滉燿くんが来るのが遅いので、自由に使える時間がありました。
「辻ちゃん(村田教頭先生は昔から私をこう呼んでいました)、あんた生徒指導だから、登校時間5分前になったら、登校中の子どもには急ぐようにと、運動場の子ども達には教室に入るようにと声かけしてくれんね。その時に、この鐘を鳴らしない」
 村田教頭先生が、長い取っ手のついたミュージックベルを大きくした様な真鍮製の鐘を手渡しました。私が幼稚園児の頃、幼稚園の先生が子どもに時間を知らせるために鳴らしていた様な鐘でした。『幼稚園じゃあるまいし、何じゃこの鐘は』と思ったのですが、そんな鐘を鳴らすと言う発想が村田教頭先生らしくて、おかしいながら引き受けました。
 毎朝8時15分頃、まず運動場に行って鐘をカランカラン鳴らしながら大声で叫びます。
「オーイ、早く教室に入りましょう」
 次に児童昇降口に行きます。
「もうすぐ時間だよ、急いで」
 ノンビリ登校してくる子ども達へカランカランとやっていました。
 何となくユーモラスで、子どもを送ってきている保護者が、私の姿を見て笑っている人もいます。ちょっとした名物です(笑)。
 その鐘が重い。遅れて来る児童が途絶える8時35分頃になると、職員室に鐘を置きに戻って、不安に感じて教頭先生に愚痴をこぼしました。
「今週はなぜか体がきついんですよ。困るなー。なんででしょう?」
「なんでやろなー。何かかんか忙しいからなー、実は俺もきついんよ。あんたも早よ帰って体を休めない」
 聞かれても理由なんか分かるはずは有りません。村田教頭先生も適当に答えます。
 八木山小学校で仕事が多くて運動が出来なかったのも身体の不調(うつ病)の原因と考えていました。それで、平成14年から市内の空手教室に月・木の週2回かよっていました。体力を回復してうつ病を克服するつもりでした。大学時代にクラブの初段は取っていましたが、全日本空手連盟(全空連)の初段を取り直していました。
 これが良かったのは、月曜日に練習すると血流が良くなるのでしょうか、スッキリして火、水、の勤務が楽でした。木曜日は少し疲れを感じていても夕方練習をすると金曜日は楽でした。
 土日は疲れて寝ていることがほとんどでした。しかし、土日に休養を取っているので月曜日は元気に出勤です。月曜病は有りません(笑)。
 本当に不思議です。別段仕事は多くありません。いつもの通りです。体調にも気を遣って暴飲暴食などやっていません。私はたばこも吸いません。お酒も普段はほとんど飲みません。空いている時間は休養に使っていました。私の2人の子ども達も幼稚園生になっていて、一緒に遊んでほしそうでしたが、それすらもしないで寝ていることが多かったのです。  幸い妻が、子ども達を連れてプロ野球観戦や水族館等に遊びに連れて行ってくれていましたので助かりました。ゴールデンウイークでも、家族が遊びに行っていても私だけ家で寝ていました。そうやって、体力を回復していました。そんな生活なのに、なぜ体がきついのかわかりません。
 でも、やっぱり、土日に休養しないといけない生活は良くない。抗うつ剤を飲んでの勤務は無理があったのでしょう。
 ある土曜日、ひどい肩凝りを感じるようなイヤーな感じが体を覆っていました。
『これはいけない』
 私は薬を決められている量よりもたくさん飲みました。病院で出す薬ですから、かなり強い薬です。決められた量を守らなければいけないはずでしたが、そんなことは言っていれられません。(頓服では効かない薬だそうです)
 翌日曜日も体がきつくて、起き上がることが出来ませんでした。一日寝ながら『明日も休まなくてはいけないかもしれない』と暗い気持ちでした。
 月曜日、いやな予感は的中しました。朝起きた私は、全身痺れるようなきつさを感じていました。かなり状態は悪いです。下手したらこのまま病休かもと思えるほどです。やっとの思いで学校に電話をかけました。
「どうしたんね?大丈夫?」
 電話に出た校長先生は心配そうな声です。
「いや、具合が悪いのはずっと前からなんです」
 言い訳するも、ここは申し訳ありませんとしか言いようがありませんでした。電話を切った後、通っていた心療内科の野本クリニックに行きました。
「これはちょっと悪いね」
 話を聞くと、野本先生は一週間の病休の診断書を書いてくれました。
「今回は病休ですか?ちょっと大げさすぎませんか?」
「今回は、ちょっと休んだ方が良いよ。それに、これ(診断書)があれば年休を使わなくて済むからね。この先のことを考えると、年休を節約しておいた方が良いと思うよ」
 いぶかる私に丁寧に言ってくれました。イヤな話でしたが、後から考えるとこれは適切な処理だったようです。
 翌日、前から通っている麻生飯塚病院の漢方科の三田先生を訪ねました。漢方科は体力回復が目的でした。予約はしていませんでしたが、幸い、すぐに診てもらうことができました。単に回復を待つだけでなく、何か良い薬を処方してもらうつもりでした。
 血液検査の結果は、中性脂肪の値が758でした。急性膵臓炎で病休になってもおかしくない状態だと言われました。どうも、中性脂肪が高いと体がきつくなるようです。体のきつさと中性脂肪の値とは医学的には関係ないと言うことでしたが、私の身体はそういう規則性がありました。三田先生は話を聞くとパソコンに向かいながら、処方箋をカタカタ打ち込みます。
「それじゃ、この漢方薬に、これとこれを入れてやってみよう。うんうん、よしできた。これが辻塚スペシャルだ」
 私の方に向き直ると『自信あるよ』の顔で話します。
「この煎じ薬を一週間飲んでごらん。きっと良くなると思うよ。辛くてたまらなくなったら無理に飲まなくて良いから」
 今までの薬と何が違うのか半信半疑でしたが、いつもの通り40分間に土瓶(笑)と電熱器を使って煎じ薬を作ります。こうするとエキス剤より遙かに効きます。飲んでみると何だか甘ったるい薬でした。似た味と言えば、甘茶づる茶の味に似ていました。『効きゃあ何でもいいわい』一日3回、食事前に飲み続けました。
 すると・・・、3日目くらいから何だか力が出始め、日曜日には完全に起き上がることが出来るようになったのです。ここしばらく感じたことないパワー感です。
 日曜の夜に、校長に電話しました。
「体の調子が戻ったので、明日から勤務に戻ります」
「あのね、あなた。良くなったからと言ってすぐ休まれるようじゃ困るのよ。本当に大丈夫なのね」
「はいっ、大丈夫です」
 納得してもらうために強く言いました。強がりではなく、この時は本当に力が湧いていました。
 学校に出るようになって半月後、定時の診察で三田先生を訪れました。
「先生、効きました。かなり元気になりました」
「それは良かった。ところで味はどうだった」
「何だか甘ったるかったです」
「甘かった?今もかね。驚きだね。この薬はね。危篤状態の患者が元気が出るようにと飲ませる薬なんだよね。体の状態が悪いと甘く感じるんだ。そして良くなってくると、とても辛くて飲めなくなるんだよ。僕も体がきついときに飲むんだけど、3日もすれば辛くて口から火が出るようになる。それが辛くならないと言うことは相当悪いな。内臓は危篤患者並みに弱わっとるという事だ。そりゃ体がきつくもなるわな」
   三田先生体は椅子の背で伸ばしながら納得していました。


59  足の力をつけるんだ

 三田先生が処方してくれた辻塚スペシャルの煎じ薬のお陰で、元気を取り戻しました。もう6月になっていました。
「さあ、滉燿くん立ってみるよ」
 いつもの様に滉燿くんの後ろに立つと腰をもって立たせます。
「セエーノ」
『うん、オッケー』
 すーっと真っ直ぐ立っています。
『もうちょっとお尻が引っ込むと・・・良いんだけれど贅沢は言わない』
 腰をつかんだ手の力をソーッと緩めてみます。
「はあっ」
 とたんに、滉燿くんの顔が、崖から落とされそうになったかのような恐怖の顔に歪みます。
「怖がらなくて良いよー。らくーにしてごらん」
 声をかけても無駄です。滉燿くんはみるみる腰を引いて前屈みになり始めます。『まだ無理か』決して無理は禁物です。恐怖感を持たせては、立つこと歩くことへの恐怖感が増してしまいます。ましてや倒しでもしようものなら立つ事への意欲を無くしてしまうでしょう。
 すこーし腰をもつ手に力を入れて、お尻を引っ込める方向に力を入れます。まるで返事をするかのように、姿勢が真っ直ぐになります。この姿勢のまま、片足に重心を移しながら歩行に入ります。歩いていくことは出来るようになっているのですが、ここから滉燿くんが人の力を借りずに、自分で歩いていけるようにしなくてはなりません。
 そのための訓練をどうプログラムしていくか考えねばなりません。考えたのは、歩行の形を覚えさせることと筋力の強化でした。スポーツの練習では、監督やコーチがプレイの形を教えます。選手はそれを教わった後、繰り返し練習してその形を覚えていきます。その繰り返す練習の中で筋力もついてきます。この形と筋力の両方が強くなることによってスムースにプレイが出来るようになるのです。両方ともかなりの時間がかかります。
 滉燿くんの歩行練習もこの段階に来ていました。少々苦しくても、何回も何回も練習を繰り返して、歩行に必要な筋力をつけなくてはなりませんでした。同じ世代の子ども達の足に比べて、滉燿くんの足が細いことは見た目にも明らかでした。筋力がないのに立って歩けるはずありません。筋力強化を当面の目標の第一としました。
 単に歩かせるわけではありません。筋力をつけながら足の力をどのように加えるか、足のコントロールの仕方というものも学習させねばなりません。
「それには二つの方法がある」
 電話をすると、ここでも中野君がアドバイスをくれました。教えてくれたのは薄い板を何枚か床に並べて、それを裸足で踏ませて歩く訓練でした。
「こうするとね。子どもは足先の使い方を覚えることが出来るんだ」
 不思議な指示でした。
「もう一つはね。8センチくらいの厚みのある台か板みたいなもの用意出来るかな?」
「直ぐには思い出せないけど、無ければつくるさ」
「うん、その台の上に片足で上がる。上がったら、また片足で降りるんだ。これを繰り返して足の筋力を強くしていくことと、足の力の入れ方、使い方を覚えさせていくんだ」
 なるほど、頭の中で訓練の場面を想像していました。高さのある台の上に滉燿くんの片足を乗せます。そちらの方に重心を移させて滉燿くんに『上るんだ』と知らせます。それが分かった滉燿くんは、ぐっと力を入れて台に上がるでしょう。両足が上がった後、私は片足を床の上に降ろさせます。そちらに重心を移させて『降りるんだ』と知らせます。滉燿くんは足を踏ん張りながら重心を移し、もう片方の足を床に降ろし、台から降りるでしょう。これはいけそうです。
「わかった。やってみる」
「うん、やってみてわからんかったらまた連絡してくれ」
 中野君との電話を切ると早速事務室に向かいました。5時を過ぎていましたが、技術吏員の野田先生はまだいると思いました。野田先生は器用で、校内に必要な色々なものを作っていました。野田先生ならきっと高さ8センチの訓練台を作ってくれることでしょう。
 野田先生は、話を聞くと翌日から訓練台を作り始めました。
 翌々日、教室にもってきてくれました。上に乗る板は縦30センチ横50センチくらいの広さがあります。かなりがっちりしたもので、滉燿くんが両足で上がっても壊れない台が出来ました。
「さあ、これで滉燿を鍛えるぞ」
 滉燿くんに声をかけると、にっこり笑って指でOKサインです。
 訓練が始まりました。床のマット上に幅10センチくらい横25センチくらい、厚さ8ミリの板を5枚くらい並べます。板と板との間隔は滉燿くんの2歩分くらい開けていました。これが往路です。その左側に同じように板を並べました。これが復路です。
 滉燿くんに靴と靴下を脱がせました。そして右側の板の列の前に滉燿くんの腰を支えて立ちます。

 腰を持つ手に力を入れて少し押すと1歩・2歩と歩き始めます。滉燿くんの右足が1枚目の板を踏みます。とたんに、まるで力が抜けるように、膝と腰をぐーっと曲げて座り込み始めたのです。
『なんだー!』
 慌てて腰を支えます。支えながら素早く左足を前に進めて左足に重心を移し左足で支えます。
『どういう事なんだろう?』
 前に進んで右足を次の板の上に乗せてみます。
『今度は・・どうだ』
 今度もだめです。同じように膝と腰を曲げて沈み込み始めます。
 『左足はどうだろう?』
 往路が終わったところで、滉燿くんの腰を支えながら方向転換し、復路に足を踏み出します。今度は左足を板に乗せてみます。とたんに、足と膝を曲げ沈み込み始めます。まるでエネルギーを吸い取られたロボットのようでした。『微妙なもんだなー』たかが1センチもない厚みの板を踏んだだけで歩けなくなるのです。たったそれだけで足に力を入れにくくなるのに違いありません。こんな抵抗を少し加えることによって、足先の使い方(地面を蹴るための力の入れ方)を学習させるのが、この訓練の意義なのでしょう。そう理解しました。
 「板往復つま先訓練」を様子を見ながら何往復かさせます。足が沈み込み始めると、滉燿くんの腰を少し持ち上げて体を浮きあげるようにして支えました。やり過ぎは逆効果なので、疲れる前に歩くのを止めます。
 次は台を上り下りする訓練です。滉燿くんをいったん寝かして靴を履かせます。寝かして靴を履かせる時間が休憩の時間にもなります。私は床マットの上に上り下りをする訓練台を用意します。

「さあ、やるぞっ」
   声をかけて、腰を支えて立ち上がらせます。滉燿くんはグンと立ち上がります。疲れている様子はありません。1歩2歩と台に近づいて右足をかけさせます。腰にかけている手に、わずかに上向きに力をかけて、台に上がることとを促します。滉燿くんは右足に力を加えてグッと体を持ち上げます。適度に足首や膝を曲げ伸ばし、ふくらはぎや太股の筋肉を連携して使ってなかなか上手です。この瞬間は、私は左右にぶれないように最小限の力で腰を手で支えているだけでした。右足で体を持ち上げれば、後は左足を持ち上げてきて台の上に両足で立つだけです。ほとんど一人の力で台を上っていました。両足が台の上にのると、
「さあ、今度は降りるよ」
 慎重に滉燿くんの右足を床に降ろしました。重心を移して右足で立つと同時に、左足を引き寄せて両足で床に立っていました。右足の膝をわずかに曲げて、うまくクッションを効かせて降りたときの衝撃を吸収していました。
『やるなー』
 今度は左足です。床で方向転換した後、左足から台に上がりました。
「うん」
 腰を支える私の手は、滉燿くんの体が急激に左にひねり込む様にして倒れ込むのを感じました。これを支えながら見ると、左足が足首ー膝ー太股と、一直線の棒立ちになっているのが分かりました。足を伸ばし過ぎです。右足のようにうまくクッションが使えていません。下りも同じでした。左足を床につけた時は、まっすぐな棒を降ろしたような手応えでした。左足に重心を移そうとすると、左足首を支点にして棒の先に胴体が乗っているようでした。短い杖をついているような感じでした。胴体を前の方に動かすと右足が寄ってきたので床の上に降ろしました。右に比べるとずいぶんぎこちない動きでした。
『左右差がはっきりあるな。まあ、良いさ、最初っからそんなに出来るもんか』
 この訓練を時間をかけてやっていくことを決心していました。
 この訓練を毎日毎日地道に繰り返し行っていきました。訓練をやっていると、村田教頭先生が教室の前を通りかかりました。
「おー、滉燿やっちょるね!」
 教頭先生が、廊下の窓から身を乗り出して声をかけます。滉燿くんも嬉しそうにニコニコ答えます。
「教頭先生見とってくださいね」
 滉燿くんを訓練台に上らせます。グンと踏みしめて上る滉燿くんの姿に、教頭先生はびっくり!
「辻ちゃん凄いやんね。オレが来た4月からと比べても進歩しちょるばい。この姿ビデオとかにとっときー。これからもまだまだ伸びるばい。滉燿がんばれよ」
   村田先生が言うと、滉燿くんはなぜか敬礼をして答えます。村田教頭先生も笑いながら敬礼をすると行ってしまいました。


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