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立 ち 上 が れ 滉 燿 くん ! ~明日を信じた5年間~7(1) -②乗り越えろ!ぶつかった訓練の壁


前編 立ち上がれ滉燿くん ! ~明日を信じた5年間~ 7(1)-① 4年生スタート ! 研究授業って何?  へはこちら 


これまでは順調に学習面でも身体機能でも進んでいました。しかし、壁が立ち塞がる時期が出てきました。


39 ぶつかった訓練の壁

 今年は、次の段階である『手を取ってやれば、滉燿くんが自分で真っ直ぐに立っていられる』という目標を立てることにしていました。
今の滉燿くんは、誰かが腰を支えてやれば、自分で真っ直ぐに立っていることができるという段階まで来ています。そこから、『手を取ってやれば、自分で真っ直ぐに立っていられる』という目標の達成へはそんなに無理があるとは思えません。跳び箱で言えばせいぜい『一段増えた』位でしょう。
 しかし、滉耀くんにとっては随分と距離があったのです。腰をもってもらって立っている状態というのは、まだ自分の力で身体を調節して立ってはいません。自分の力だけで立つには、体が傾いたら、それを素早く感じ取り、直ちにそちら側の筋肉を動かして足を踏ん張って、倒れない様にしなくてはなりません。自分では気づいてはいないのですが、立っている時は素早くこの様な体の動きをやっているのです。この動きを赤ちゃんは、這い這いの時から立ち上がる時までに自然に覚えていくのです。ですから、身体が傾いた時に『どの筋肉を動かせば良いか?』などと考えているようでは、その間に倒れてしまうでしょう。
 こんな細かな身体の筋肉の動きの指令を出しているのが、脳の中の小脳と呼ばれるところなのです。滉燿くんは、この小脳がほとんどありませんでした。ロボットに例えるなら、指令を出すコンピュータに当たるところが無いのです。そう考えると、これからの訓練がいかに困難なものかが分かると思います。
私は訓練の時間に、丹念に滉燿くんの足全体の具合を見ました。特に、足首や足の裏を調べてみました。
 滉燿くんの足の裏には、土踏まずがほとんどありません。いわゆる扁平足です。土踏まずは足の裏がアーチ状に凹んでいる部分です。人の足は、足を床に着けた時には、足の裏が全部ベタッと着くのではありません。ちょっと考えると、土踏まずの部分も含めて足の裏全体で立った方が良いような気がしますが、事実は逆です。踵や足の裏の外側、足の指や指の付け根の三つの部分を使って、立っている方が安定するのです。
 この理屈は、カメラの三脚のように、足の裏がなっていると考えるとわかりやすいと思います。三脚だとガタガタせずに立つことが簡単にできます。机のように四本脚だと、脚が四本とも長さが同じでないと、ガタガタするわけです。
 人は地面に触れている三つの部分を使って、床や地面をガッチリつかんで立っているのです。滉燿くんの足に触ってみるとフニャフニャでまるでマシュマロみたいでした。全然筋肉質ではなくて、いかにも「鍛えられていません」と言っているようです。おまけに靴を履かないで裸足で立たせてみると、落ち込んでくるように、内側のくるぶしが下がって来るのでした。

こんな足で自分で立つことなど出来るのでしょうか?私は頭を抱え込んでしまいました。
 私は、また南福岡養護学校の中野君に電話をしてみました。
「ああ、それはね」
 彼は、いつものようにゆっくり説明します。
「つま先の筋肉を強くするような訓練をするんだ。具体的に言うとね。本でも辻塚の足でも良いから、滉燿くんの踵の部分に何かを敷いて、つま先立ちの状態にするんだ。そして、身体を傾けたりして重心を動かすんだ。その時に、足の指が押し返しているかを見てごらん。押し返せていれば良いんだけどねー。なかなか難しいだろうねー。それから、この訓練はもちろんだけど、歩行訓練もするときも、靴を履かせないでやってね。そちらの方が足の筋肉強化になるから」
 私は頭の中でイメージを思い浮かべながら聞いていましたが踵に何かを踏ませての訓練で、つま先の筋肉が強くなるという事が理解出来ません。
「そんなこと言われても、よく分からんぞ、こっちの学校まで来て、本人相手にやって見せてくれ」
 ちょっと不満げに言いました。
「わかった。指導の出張制度があるから、それを使って行ってみよう。こちらの校長宛に依頼書を出してくれ」
 快く中野君は約束してくれました。


40  このままで良いんだろうか?

さて、中野君が来るまでの間、私なりに勘を働かせながら、彼のアドバイスを実行しようとしていました。私が椅子に座り、私の前に滉燿くんを正面を向いて立たせます。足は靴は履かず裸足です。手で滉燿くんの足を片方ずつもち上げて、滉燿くんの両足の踵を私の両足の甲に乗せます。滉燿くんの腰を手で持ち、滉燿くんの身体を前へ傾けたり横へ傾けたりします(これをつま先立ち訓練と呼んでいました)。
 ですが、滉燿くんの足の指と付け根の部分に力が入っているかどうか、良く分かりません。前へ傾けても滉燿くんはされるがまま、横へ傾けても手応え無し、ともかくやってはいますが、空気入れを押すような、何か空をつかむような頼りなさを感じていました。
 歩行訓練も裸足で行うことにして、畳の部分を3.5mほどを2~3往復するようにしました。

 訓練方針について迷っていると、滉燿くんの調子も悪くなりました。

 歩行器に乗って歩く練習では、ボンヤリと突っ立ったままです。ノロノロとしか歩かない、やる気のない状態に逆戻りです。三学期の終わりには大きく足を踏み出していたのに、どうしたことでしょう。
 加えて歩行訓練でも調子が悪くなりました。私は身をかがめて滉燿くんの腰を支え、畳の上を一歩二歩と歩いて行きます。腰の痛みを感じながら、一所懸命に支ます。
 ところが、滉燿くんは十歩ほど歩くと、反り返るようにして首を後ろに傾けて、ふざけるように「ゲハハハー」と笑ります。当然姿勢は乱れて身体は曲がります。身体を真っ直ぐにして歩く訓練なのに、これでは困ります。
「真っ直ぐ向きなさい」
 私はムッとして、片手で滉燿くんの首を真っ直ぐに直します。
 一・二歩行くとまた、「ゲハハハー」です。少々腹が立った私は、下から見上げる滉燿くんと目を合わさないように、滉燿くんの横に膝をついて座ってみます。
「ゲハハハー」
 滉燿くんは笑いながら、首をぐるっと回して私の顔を見にくるのです。当然、立っている姿勢はメチャメチャです。
「歩行練習にならないじゃないか!何考えてるんだ!」
 怒鳴りつけたい気持ちを抑えるのが大変でした。
 考えてみると、滉燿くんにとって『自分で歩く』という行為は意味がないのかも知れません。滉燿くんは、生まれてからこのかた一度も自分で歩いたことは無いのです。私達でしたらケガなどで足が使えず動けなくなった時には、なおるようにと、必死に練習するでしょう。それは自分が好きなときに好きな場所へ移動できるという楽しみ・便利さを知っているからです。
 しかし、滉燿くんは、生まれてからこのかた『自由に歩く』という事を知りません。生まれた時から抱えてもらったり、バギーに乗せてもらったりして移動していました。彼にとっては、それが当たり前であり、全てなのです。一才くらいと思われる滉燿くんのレベルから考えると、自由に歩ける友達と自分を比べてみることも無いでしょう。滉燿くんの心の中には、『自分も友達のように歩けるようになりたい』とか『歩けるようになるために頑張る』という気持ちはおそらくゼロです。こんな滉燿くんが歩行練習に一生懸命取り組まないのは全く当然でしょう。そう考えると歩く練習をしているときに「ゲハハー」と笑って身体をグニャグニャするのも無理ないです。滉燿くんだって人間です。興味がないことには熱心には、しないでしょう。

『自分の歩かせたいという気持ちは、滉燿くんにとっては、余計なお世話なのだろうか?』

     訓練をしながら、自問自答を繰り返します。
『そんなことはない。たとえ子どもが嫌がることでも必要なことはさせなくてはいけない。しかし、障がいをもつ滉燿くんにとって、それは残酷なことではないのだろうか?

         いくら考えても答えは出ません。

 私は体調が悪いきつさと訓練の疲れ、心に抱える矛盾で、クラクラしそうでした。

 歩行練習をしている時、腰を曲げて滉燿くんの足を見つめながら、いつの間にか他のことを考えていました。学生時代の訓練のこと。担当した子ども達。訓練を通して親しくなった人達。訓練キャンプでの出来事。色んな事が頭に浮かびます。
 また、これから先、訓練がうまくいかず、滉燿くんが歩けないまま卒業させて空しい結果を迎えるかも知れない思い。逆に訓練が成功し、歩く滉燿くんの手を取って卒業証書を受け取りに行く晴れ姿。何とかそこへたどり着きたいという気持ち。頭の中をグルグルと回っていました。そんなことを考え込んでいると、滉燿くんの姿勢が乱れてハッと我に返るのでした。
 私は迷路の中をさまよっていました。始めた頃は、真っ暗闇を手探りで進んでいるようでした。その時はダメで元々という気持ちでした。それに、真っ暗闇なので難しいことや辛いことがあっても、かえって見えずに歩いて来る事が出来ました。今は歩行訓練がある程度うまくいくようになり、周囲が明るくなった思いがしています。
 しかし、明るくなって見えてきたゴールは遙か彼方に霞んでいました。『あそこへたどり着けるのだろうか?』
 千に一つの可能性しかない。不可能と失敗を承知で周囲の反対を押し切って私一人で始めた訓練です。しかし、ゴールへ行きたいという思いと、これからやらねばならない訓練量や苦労を考えると押しつぶされる思いでした。


 そんな毎日の下校時での出来事です。
 いつものように、滉燿くんを抱っこして、車に歩いていました。
 後ろからついて来ながら、お母さんが『滉燿くんの足が大きくなってきたので、靴を作り替えねばならない』という話を始めました。靴一つを作るのは簡単ではなくて、一人ひとりに合わせての注文品となるので、かなり高価になってしまう。でも、国から補助金が出るので、親が払うのは数千円ですんでいるそうです。
「室内用だけでなく、外用の靴も作りたいんです。でも、2個目の靴には、補助金が着かないので高くなるんです。二つ目も、補助金がつくと良いんだけど・・・」
 不満な声で話しかけてきました。私は、滉燿くんを車のシートに座らせながら、お母さんの顔も見ずに答えました。
「今の滉燿くんは、外を歩くことなど、ほとんど出来ないでしょう。今作るのは無駄です。歩けるようになってから作れば良いですよ」
 私の心の中は、訓練の時の色々な思いがグルグル回っていました。
「だって、親の思いというものが有るじゃないですか!」
 お母さんも言い返してきました。いつも通り、私は滉耀くんのシートベルトを締めながら答えます。
「親の思いだけで、ポンポコ何でも作られてはかなわない。補助金の元は、みんなが納めた税金だ。必要なものは買ったり、作ったりしなければならないが、必要でないものを作るのは無駄だ。無駄遣いは許されないでしょう」
 この言葉の裏には、余り役立っていないと思っていたプロンボードが頭の中にありました。あれだって、作るためには、お金がかかるのです。私には、無駄遣いだったとしか思えませんでした。お母さんの気持ちは分かりますが、今は必要ない、外を歩けるようになってから靴を作れば良いのです。
「そうだけど、滉燿は小脳が無いんです。立って歩くなんて、できっこありません。先生が、これまでやって来たことは認めるけど・・、無理ですよ。せめて、親の思いだけでも叶えて欲しいんです」お母さんは言い張ります。
    この瞬間、私の心はバンッと跳ね上がりました。

 私はシートベルトを締めるのを止めて、お母さんの方に向き直りました。いっしょけんめいに気持ちを抑えた口調で諭しました。

「私は、滉燿くんが立って歩けるようになると信じています。信じて、ここまで訓練してきた。無理だと思われていたことも、出来るようになったじゃないですか。他の誰が、こんなに出来るようになると予想していましたか?これからも、奇跡を信じて訓練を続けるつもりです。大切なことは、親が信じることです。立って歩くことが、出来るようになると願うことです。親の気持ちが滉燿くんに伝われば、もっと頑張ろうとします。そのことが奇跡につながるんです。残り時間を卒業までと考えても、あと二年以上の時間がある。彼の可能性を信じてやってください。親が子どもを信じなければ、誰が信じるんですか!」

「はい」
 お母さんは下を向いて、小さく言ってくれました。どれくらい納得してくれたかは分かりません。
  必ず出来ると思わせる事を目の前でやってみせていくしかない
 
と思いました。
 しかし、訓練を進める上で、今が一番辛いときでした。どうしたら良いんだろうか・・・・。


41  福岡市への見学旅行

 そんな5月でしたが、子ども達には楽しみな見学旅行がありました。福岡市にバスで行って、福岡市美術館や防災センターを訪ね、引き返してきて、飯塚市のクリーンセンターを見学しました。
 子ども達の注目は福岡市美術館です。歴史で習う、志賀島で発見された金印と母里太兵衛がお酒を飲んで取ったという槍に集まっていました。
 福岡市防災センターでは、地震体験機で震度6を体験し、風発生器で風速40メートルの台風、消火器使用シミュレーターで消火器を使った初期消火の練習をしました。
 滉燿くんには、風速40メートルや地震などの体験は無理でしたので、見学だけしました。でも、これらの見学コースのほとんどを、みんなと一緒に回ることが出来ました。
 これはバスの運転手さんを始め、どの見学地でも、係員の人達が親切に対応してくれたおかがです。エレベーターなど、身体の不自由な人が訪れても大丈夫なように施設が整っていましたた。福岡市のバリヤフリーの街作りが効いていました。おかげで、私は日常の学校生活より、ずーっと楽でした。


42 わかったぞ!

 見学旅行が終わってのある日、裸足での歩行訓練の後、滉燿くんの足の裏を子細に点検していました。土踏まずの無い滉燿くんの足の裏は、全体が赤くなっています。

 このことは足の裏がベッタリと床に着いていることを示しています。

ここまでは、いつものことなのですが、私の目は滉燿くんの親指の付け根付近に吸い寄せられました。滉燿くんの足の親指の付け根部分を手でもって内側に曲げてみます。すると、親指の付け根の部分は曲がるのですが、付け根の後ろの部分( 土踏まずの方)は曲がらずに残ります。そして、残っている部分が、土踏まずになっていきます。しかも、くるぶしの位置は両方同じで、内側の骨が下へずれるようなこともありません。


「そうか!こういう事なのか!」
 私は膝を叩きました。これまでの私は、土踏まずが出来てくるのは、歩くことによって足の筋肉が鍛えられて丈夫になり、足の裏が上の方へとアーチ型に引き締められて行くためだと考えていました。しかし、そうではなく親指の付け根付近の筋肉が強化され、体重を支えて踏ん張っていけるように、たくましく大きくなって、相対的に土踏まずの部分が凹んでいくようになるのだと気づきました。つまり、
 土踏まずの部分が凹むのではなく、その前後周囲の部分が盛り上がってくるのだ
 
と考えたのです。
 もし、この考えが正しければ、今やっている立たせた状態から前に傾けたり横に傾けたりする訓練で筋肉強化が出来るに違いありません。中野君が来るまでの間、この方法で行くことにしました。とにかく前進あるのみです。
 修正は、走りながらすれば良い。迷っていた私でしたが、自分なりの解釈が出来たので、つま先立ち訓練を続けていきました。

 裸足での歩行訓練も続けます。歩行訓練の最中に、滉燿くんを見て「おやっ」と思いました。どうも毎回同じくらいの歩数(距離)を歩いた後、姿勢が乱れて私の顔を「ゲハハッー」と見上げるような気がします。試しに歩数を数えながら歩いてみると、十五・六歩位までは真っ直ぐに歩いています。
 そこで、歩きながら歩数を数えて十五歩になったら滉燿くんを座らせて休ませることにしました。一分間ほど休むと、また立ち上がって歩行訓練を続けます。こうやると滉燿くんは、姿勢を乱して「ゲハハッー」と笑う嫌な動きはなくなりました。滉燿くんはふざけていたわけではなく、歩く訓練がきついことを私に伝えたかったのです。それが、ようやく私に届きました。
「ごめんね滉燿くん」
 心の中で、そっと謝りました。


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