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立 ち 上 が れ 滉 燿 くん ! ~明日を信じた5年間~ 11 最終章(3) やったぞ!! 滉燿が歩けた!ゴールへ着いた!間に合った!!

前編 立 ち 上 が れ 滉 燿 くん ! ~明日を信じた5年間~ 11(2) 学校は校長が変わると学校も変わる!?へはこちら


 やったぞ!! 滉燿が歩けた!ゴールへ着いた!間に合った!!(涙)


 4月1日から始まった怒濤の一週間が過ぎて、4月7日に始業式を迎えました。滉燿くんとの半年ぶりの再会です。お母さんも私が担任と知って喜んでくれました。体育館での始業式終了後、なかよし4組の教室で、気になっていた滉燿くんの体の状態をチェックします。
 結果は予想していたとはいえ、ひどい状態です。体があちこち固くなっています。腰や膝、足首が伸びなかったり、曲がらなくなったりしています。2年くらい前の状態でしょうか。週一回とはいえH療育園で訓練を続けていたはずです。私の学生時代の経験では動作訓練を週一回の訓練を行っていれば、現状は維持できるか僅か向上していました。状態が悪くなっていることは信じられません。
『状態が悪くなっていく・・・』
 4年前の担当者が言った言葉を思い出します。彼女は確か「こういう子ども達は、小学校に上がるくらいから身体能力が落ちていきます」と言っていました。おそらくH療育園では、子ども達の能力が落ちていくと言うことが常識なのでしょう。それで、訓練の成果が上がらなくても、それは当然のこととして考えられていて、この様な結果になっているのかもしれません。
 お母さんは、H療育園も一生懸命やってくれているのだからと気にしていない様でしたが、私はがっかりしました。ともかくもう一度同じ訓練を繰り返すしかありません。元はと言えば自分が半年間休んだことも悪いのです。


 イライラするのは、このことばかりではありません。強い不安感を訴えていた私の体は、早くも忙しい勤務に早くも耐えられなくなり始めていました。4月は年度当初なので、各係の年間指導計画、学級経営案など提出する書類がたくさんあります。
 また、体の調子が悪いことを理由にして、希望していなかった生徒指導の校務分掌の担当者にされた事にも落胆させられました。どうも、森田校長が八木山小学校で不登校の子を復帰させた事などの実績を思って、生徒指導につけたらしいのです。
 生徒指導は比較的忙しい校務分掌なので、外してもらいたかったのですが、そうはいきませんでした。その上、通達が来ていた「いじめ発見チェックリスト」を新しく作らねばなりません。こんな作業が私を苦しめ始めていました。


 他の人も『森田校長が来たら忙しくなる』と聞いていたので、忙しい中、プレッシャーがかかっていました。職員の机で仕事をしながら『風邪で病院に行ったついでに、睡眠導入剤を貰った』などと同学年の先生と暗い顔で話していました。健康だったら跳ね返せたのでしょうが、病み上がりの私には特に辛い事でした。

 私は再び病院に通い始めていました。月曜日から金曜日までの勤務が苦しくてたまりません。土・日は寝込んでいることがほとんどです。土・日曜と寝ていないと月曜日からの勤務ができません。風邪を引いているのに無理に仕事をしている。また、そんな状態が始まっていました。

 そんな中、妻とこんなけんかをしました。ある日曜日、つまらいことで言い争いをした後で、私が2階の寝室で寝ていると、妻が2階に上がってきて文句を言い始めました。
「あなたは土曜・日曜になると寝ていられるから良いけど、私は土曜・日曜でも忙しいんだからね。他の家のお父さんのように子ども達の面倒を見てよ!キャッチボールくらいしてやってよ!」
 私はカッとなって起き上がって大声で言い返しました。
「俺が好きで寝ていると思っているのか!俺だって本当は子ども達と遊んでやりたい!だけど、きつくてたまらないんだ!土曜・日曜寝ておかないと一週間体がもたないんだ!中年おやじが昼間っから、ごろごろ寝ているのが見苦しいくらいわかっている。だけど、もう一年我慢してくれ!滉燿を卒業させたら俺は死ぬ!もう苦しくてたまらん。生きていても楽しくない。死んだ方がましだ!そうしたら生命保険金は入るし、家の借金はなくなるし、後は親子3人楽しく暮らしてくれ!」
「そんなにきついなら学校の先生やめれば良いじゃない。私は、あなたが学校の先生だから結婚したんじゃない。貧乏しても親子4人で暮らしていく方が良いよ。保険金が入ったってわずかなものよ。子ども達も父親がいなくなったら寂しがるよ。死ぬなんてそんな悲しいこと言わないでよ!」
 顔を両手で覆って泣き出しました。
『えっ』
 言い返してこない。全く意外な反応でした。
「わかった。もう死ぬなんて言わないから泣くな」
 そう言うしかありませんでした。悲惨です。


 そんな中を5月になって、滉燿くんの体の状態を取り戻すべく訓練に励んでいます。お母さんの了解を取って1日2回の訓練です。動作訓練の一週間宿泊して行う訓練キャンプでは一日3回訓練をするので、そう無理なスケジュールではありません。また、滉燿くんも全然平気で訓練についてきてます。
『ひょっとしたら、取り戻すのに、また2年間かかるかも?』
 心配していましたが、滉燿くんは絶好調でグングン改善して来ます。
 足の筋肉をつけるための板を踏んでいく訓練、台に上がって降りる訓練も順調にこなしています。

 早くも5月半ばにさしかかっています。
 私が滉燿くんの左側に立ち、滉燿くんの左手を取り、私の右手で滉燿くんの腰を支えると、ゆっくりと歩き始めます。
「歩ける、歩けるぞ!!」
 私の手には滉燿くんの体重はほとんどかかってはいません。これなら親をはじめ介護する人が非常に楽になる。滉燿くんは半年のブランクを一月半ほどで取り返しつつあります。卒業まで、後9ヶ月。ひょっとしたら腰の支え無しで手をつないだだけで歩いてくれるようになるかもしれません。



 当初に訓練目標に掲げた目標に達することが出来た!!

介助無しでば動けなかった子が、少し支えを必要だけど自分で歩く!!

4年前に初めて出会った時に、『この子、ひょっとしたら歩けるようになるんじゃないか?』と心の中に微かに浮かんだ直感を信じて進んで来た。

         大成功!!

誰も信じてくれなかったけれど・・・、続けて良かった!良かった!

 さらに幸いなことに知的な面では全く影響がありません。言葉も文字も数も半年前と全く同じで滉燿くんは上手に楽しく勉強をしています。私の体の調子は最悪ですが大満足でした。 


続編 立 ち 上 が れ 滉 燿 くん ! ~明日を信じた5年間~ 11 最終章(4) 学校は運動会練習一色!へはこちら


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