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コラム 独り善がりの出版録
おそれおおいことでございますが、現在7冊目の本を出版すべく、作業中です。なになに書き下ろしたものではなく、長年地元新聞のコラムに書いた文章をまとめたものです。
1冊目から3冊目はエッセー集でした。こちらは書き下ろしたものです。いずれも退職後の、自分の身辺の、現在、過去、未来のよしなし事を綴ったものであります。
4,5冊目は、自由律句集。自作の自由律俳句に、つぶやきほどの小文をつけ、読み物風の句集にしました。
6冊目は、ぼくの属した同人誌に発表した小説のうち、十数編を自選して出したものです。これは100部限定の私家版として作りましたが、新聞で紹介していただいたところ、読んでみたいという方がいらっしゃって、3分の2ほどの部数を無料で贈呈いたしました。
そんなこんなの、ぼくの出版事情でありますが、一番思い出深いのが2冊目のエッセー集であります。
65歳の、老人1年生になったあたりで書き始めましたが、初めは、日常のなんじゃこじゃや、思うところのあれこれなど、身辺雑記をメモしておこうというほどのもので、出版の意図などさらさらなかったのであります。
ところが、ひとつ書き終えると、次が浮かび、寝るのがもったいないというほどに、スイスイと筆が進みまして、2月ほどで書き上げたのであります。
こうなったら、恐いもの知らず。「エイ、ヤーッ」とばかりに、本にして出しちゃったのでございます。
執筆から校正まで、数か月。ぼくは、周囲が寝静まらなければ、言葉の作業ができない体質の持ち主であります。ということは、午前1時かそこらに仕事を始め、就寝するのが6時か7時。昼過ぎに起きるという毎日でありまして、脳内は、日付変更線を往ったり来たりの状態。ここはどこ? いまはいつ? という不健全な生活でありました。
おまえの努力は分からないでもないが、それって、ナンボのモン? と言われれば、返すことばもないシロモノでございます。
であるにもかかわらず、なぜに、ぼくは本を出すことにこだわるのか。
それは最終章に書きました。この本を酒の肴にしたかったのです。肴にならずとも、きっかけにして、だれ、かれと飲みたかったのです。飲むのは酒とはかぎりませんよ。お茶でも結構であります。
いま、老人は、さびしいのです。さびしさを紛らす妙薬は、人と話をすることのほかにございません。
それも、目先の利益をうち捨て、ホンマの言葉で語り合う。美しいものを語り合う。おいしいものを語り合う。ひしゃげない老人生活を語り合う。
で、ありますから、読後感などのお便りや電話、メールをいただきますとね、もう、うれしいのなんの、ラッラッラのラララと踊り狂っちゃうのです。
受話器の向こうから、「とにかく、1500円のハードカバーじゃなくて、よかった。うん。よかった」などのきつーい一発をくださる方もおります。
はい。はい。このことばの奥の、重ーい意味は十分に分かっております。570円の文庫版で、ちょうどつり合う程度の内容である、ということでございましょう。まさにどんぴしゃ。そのとおりです。
が、まあ、おおかたのみなさまは、友好、社交、同情がぐちゃぐちゃに混じりあった声をかけてくださいました。
以下、その小著にかかわる顛末のひとつ、ふたつを書き記しますが、体(てい)のいい自己宣伝のようで、何ともお恥ずかしい次第であります。
さて、この本ですが、今はもうそんな形式の出版はない、と思われますが、出版社(版元)との共同出版という形をとりました。印刷費などの大部分は著者であるぼく持ち、販売に関しては版元がやってくれる、というもので、まあ、出版部数の全部が売れると、トントンになるというものであります。
ですから、ぼくもいろいろと販促に効果をあげようと努力いたしました。
市内や県庁所在地の書店には、直接行ってご挨拶をいたしました。どこの本屋さんも、郷土の本コーナーがあるのですが、それほど地元から出版物が出る訳でもないようで、比較的好意的に受け取っていただきました。
友人、知人、それもカミさんの知人にまで声をかけ、また、年賀状の片隅に書き足すなどの、恥知らずな営業活動のおかげでしょうか、まあ、そこそこに在庫が減りつつありました。ありがたいことでございます。
実を申しますと、どこそこの何という書店から、何冊の注文があったという数字が、取次店のコンピュータで、リアルタイムに分かる仕掛けになっておるのでありまして、出版社を通じて定期的に知らせてもらいました。
たとえば、ぼくが行ったこともないK県N市の書店が3冊発注、なんてことになりますと、N市在住の、大学時代の友人が買ってくれたにちがいない、と推測できるわけでございます。
地元紙の「郷土の本」の欄で紹介されますと、おお、あの本屋さんが何冊、やや、この本屋さんも何冊と、書店の動き出すさまが、ピピッと分かるのでございます。
とは申せ、その数字、ホンマかいなと半信半疑のぼく。ある日のこと、A書店をソッとのぞいてみました。「あった。あった」。たしかに、書棚に、見覚えのある表紙。しかも、小さいながら「臼杵在住の徳永純二氏の待望のエッセー、第二弾!」なんてプレートも添えられております。
さらに、ん? ここの仕入れは、5冊のはず。それが、3冊しかない。ということは。右を見ても本、左を見ても本の中から、だれかとだれかが、ぼくの本を買って行ったのだ! ここで、小さくガッツポーズをきめたぼくでした。
そのとき思わず、立ち読みしておるみなさんに、「おーい。これ、ワタクシが書いたエッセイでーす。よろしかったら、どーぞ」と、呼びかけたくなりました。昔、無名の新人歌手が、レコード店の店頭で、ビール瓶のケースにうちのり、新曲の売り込みをしておったなんて話を聞きますが、「その熱意、分かる。分かるよなあ」という心持ちでございます。
某書店では、入り口の新刊書のコーナー、奥の文庫本のコーナー、さらにレジ近くのワゴンと、3か所に平積みされておりまして、しかもそれぞれに手書きの大きなPOP。欣喜雀躍、ただちに店長さんに丁重にお礼のことばを申し述べました。
その後、その旨を、版元の担当者にメールいたしましたところ、「あの書店は、正規の利幅のほかに、1冊あたりいくらの販売促進費、つまりリベートを請求してきますから」とのこと。出版や書店の世界の激烈な競争の一端をちょっぴり味わったことでございます。
ある日、ネットでぼくの本を検索いたしておると、「当店おすすめ!この夏の文庫10冊!」という記事が引っ掛かりました。覗いて見ると、県内に10店舗ほどの支店をもつ、某県の書店の企画のようです。何と、その中にぼくのエッセーがあったのです。ぼくの本が、瀬戸内寂聴さんなどの超有名文筆家の著作と並んでおる!
これは、一体、何事? 早速、版元に問い合わせるも、まったく預かり知らぬことだそうで、担当者もびっくりのようです。その後版元経由で判明したことは、ある書店員さんがたまたま「これは読みやすくて、面白い」とフェスの1冊に加えてくれたそうで、なぜ、その書店員さんがその本を手にしたのかはいまだ不明であります。世の中って、面白い!
そうこうするうちに、版元から連絡がありました。「そろそろ在庫が底をつきそうだけど、刷り増ししますか?」
何! 刷り増し! それって、2刷り、ってことよね。
おおおおおお!
これまで驚喜したことは何度かあったけど、たちまちその中の、上位にランクイン。
「売れなかったら、どうしよう。返本の山になったら、どうしよう」というおそれも一瞬かすめましたが、奥付の「✖年✖月✖日 第2刷」という、ただそれだけが見たくて、「2刷り、OKです。よろしく!」と答えたぼくでありました。
で、この本を出すことで、ぼくの目的、酒の肴としての出版は成功したのか?
はい。はい。カンカンガクガクの世界、チョウチョウハッシの世界、ショセツフンプンの世界が、めくるめく広がりましたが、このあたりのことは、またの機会にお話いたします。