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葬式と和解した話
ずいぶん大昔の話なのですが、子供の頃は葬儀というものが大嫌いでした
自分の父は早くに亡くなったのですが、その当時は本当に大昔で、現在のような葬儀のセレモニーホールなどを利用することが一般的ではなく、通夜から葬儀まで自宅で執り行うために、近隣の人が何人も手伝いに押し掛け、席次がどうだの食器が足りないだのと、父が死んだ直後からずっと騒ぎが止みませんでした
そして、僧侶の手配や火葬場や斎の食事の用意をして、弔問客にお酌をして回らなければならない母と祖母を見ていると、本当に腹が立ちました
ふたりは、夫が、息子が死んで間もないのに、前の日にはたくさん泣いていたのに、酒を注がれているおっさんなどは、釣りの話なんかして笑ってたりするのです
当時の自分は、こんなのはただの宴会ではないかと、葬式というものに失望しました
死んだ者を真面目に悼む気が無いなら帰れ! そう叫んでおっさんをビール瓶でぶん殴りたかったです
でもそれはしない分別はあり、やらかす度胸はありませんでした
それから20年ほど過ぎた頃、祖母が亡くなりました
脳梗塞を発症してから、だんだんと身体が利きにくくなり、介護施設と病院を行き来して、いよいよかな…と家族が覚悟をしていた上での大往生でした
兄が喪主になり、母はそれを補佐し、自分は役所や病院などの書類の雑務や、弔問客の送迎や宿泊先手配などし、葬儀の実務にようやく関わることが出来たのです
近隣のセレモニーホールでの葬儀になりましたが、葬儀社の方も頼もしく相談にのってくれて、祭壇は質素に、花は豪華に誂えてくれて、花が好きだった祖母らしい、遺族としてとても納得のいく進行が出来ました
そして、祖母はとても社交的で友人の多い人だったので、たくさんの弔問の方が来てくれて、別れを惜しんでくれたし、祖母の話を聞けました
葬式にも色々ある、こんないい葬式もあるんだなと、兄の弔辞を聴きながら思いました
本来は父がやるべきだった、兄の喪主姿はなかなか様になってました
祭壇の花は花束にしてもらえて、弔問の方のお見送りの際にいくらでもお渡しすることが出来たのも、とても嬉しかったです
それからまた十何年も過ぎて、コロナ禍なども経た上で、葬儀のあり方の多様性が許容される世の中になってきたものだなあと感じています
かつては、四十九日だの一周忌だのと、節目の法要は欠かせないものでしたが、それらも縮小傾向にあるし、そもそも葬儀もごく身内だけの家族葬で行われることも増えてきています
やっぱり、半分宴会みたいだった昔の葬儀っておかしかったじゃないかって思うんですよね
今年は父が亡くなったのと祖母が亡くなった年の、それぞれの節目の周忌にあたるので、ごく簡単に母と墓参りをして、ちょっといいところでお昼ごはんを食べる、やりたい形の法事を執り行う予定でいます