遠距離恋愛の寂しさの正体
私は2ヶ月前に遠距離恋愛になってしまった。
2ヶ月前までは海外で一緒に活動してたので、割と近所だった彼。
ところが、コロナの影響で日本に帰国。
日本で住んでるところは離れていたので、予期せぬタイミングで始まった遠距離恋愛。
そのうち会えるだろうと思っていたら、2ヶ月が過ぎた。
世間の状況は悪化するばかり。
そして、彼は違う環境で前に進みだした。
負けじと必死に私も新しいことにチャレンジしてみた。
だけども、何だか心に溝ができた感じでやるせない日々。
彼とも別に険悪になったとかではない。
でも会えない時間が徐々に不安へと変わっていく。
私は「寂しい」という言葉は意識的に使わないようにしてた。
言葉にしてしまうと飲み込まれてしまうから。
そして、それを言うとマイナスでしかないと思ってた。
電話も連絡も最近は少しずつ減ってきた。
会えない環境に慣れてしまったがゆえに、それが習慣に変わってきた。
今まで過去にも遠距離恋愛の経験があるが、うまくいった試しがない。
あーまただ。
また遠距離恋愛でダメになるのかなぁ。
心の隅でそんな思いがよぎった。
でも、今回はダメにしたくない。絶対に。
だからこそ、私はマイナスでしかないと思っているその言葉を彼に吐いた。
「さみしい」
返事を恐れながら眠りについた。
朝起きたら返事がきてた。
「ごめん、電話してくれたら起きたのに。
寂しいまま寝たの?
そんな寂しさ一人で抱えたまま寝たらダメ」
彼のあたたかさにホッとしてハッとした。
そのとき、スマホのアラームが鳴った。
私の大好きな曲が流れた。
SUPER BEAVERの「ひなた」
この曲のこのフレーズに朝から泣いてしまった。
未来に期待しないなんて
あなたを信じないなんて
寂しくて仕方ない
どうせあなたといる場所があたたかい
私の寂しさの中身。
分解していくと、こういうことなのかもしれない。
彼との未来に期待してない、彼とダメになる不安からくる不信感。
それが寂しさに繋がってるんだろうか。
でも、ほんとは全部わかってる。
「どうせ」彼といる場所があたたかい。
「どうせ」彼が好き。
「どうせ」彼といる自分が好き。
いつ会えるか見通しが立たない今。
会えないことが寂しいんじゃない。
どうせ彼といる場所があたたかいことをわかっていながら、不安で期待できないことが寂しいんだ。
そうわかって、寂しさを期待に変えていくようにしようと思えた。
会えないことを嘆くより、期待を膨らませていくことの方が有意義。
どんなに寂しくても、どうせ好きなんだから。
寂しさが教えてくれた彼のやさしさ。
寂しくなってくれてありがとう。
これからもよろしく。