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今まで書いた中で多分いちばん自己満足色濃厚なあとがき  『失われた女の子 ナポリの物語4』のあとがき公開。

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こんにちは。ときどきヒツジの数のほうが村人の数よりも多くなる、イタリア中部の過疎の村に住む、翻訳家の飯田亮介です。みなさま、いかがお過ごしですか。この冬は雪どころか雨もろくに降らず、夏の干ばつが今から心配です、、、が、身の回りの話はまた今度ということで、先日の第3巻あとがきに続き、お約束どおり、第4巻あとがきをお届けします(1巻あとがき2巻あとがきはこちらをご覧ください)。

すでに第3巻あとがきで何を書いたものやら頭を抱えてしまった僕は、第4巻のあとがき、本当に困ってしまいました。訳している途中から頭をかかえ、早々に編集者さんにお願いして「あとがきのネタがもうないので、どなたか解説をお願いできないでしょうか。有名な方ではなくても、僕よりずっとこの作品のこと分かっていらっしゃる熱心な読者さんもたくさんおいでのようですし、、、」と無理なお願いをしたのですが、やっぱり無理でした

こうなっては仕方ありません。初校ゲラの目次の最後にしっかりと印字された「訳者あとがき」の文字の上に赤線をびしっと入れました。するとあら不思議、すべてはなかったことにできるのです、、、なんて勇気もまさか持てず、うーんとひと唸りしてから、消えるボールペンの尻で(なんて言うんですかあの部分?)、入れたばかりの赤線を消しました(嘘です。Macのプレビュー.appで消しました)。やーい、小市民

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仕方ありません。とにかく書きました。ほとんど一筆書きで、気づけば文体だって1〜3巻とは違う「ですます調」でしたが、構わず思いの丈をぶつけてみました。で、できあがったのが以下のあとがきです。

実は、こんな何かの編集後記みたいな、「今号もお疲れ、俺、よくがんばった! さあ、旨い酒でもを飲みにいこう!!」的な自己満足色の濃いあとがき、まずこのままじゃ通らないだろうと4割ほど思っていました。が、なぜか通りました。早川書房的にこれでよかったみたいです。謎です。なんだか逆に怖いです

(次作あとがきもこの調子でいこうかしらん…)

なお掲載にあたり、今回は数行だけ省略し、一部伏せ字にしました。1〜4巻の内容に弱冠触れる部分です。たいした言及ではないのですが、まだ『リラとわたし』も読まれていない方がこのページにたどりつくこともあるかもしれませんし。

さて次回は何を書こうかな。しばらくはやはり『ナポリの物語』ネタかな。どうぞ気長にお待ちください。お楽しみに!

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追記。そうでした。Twitterのほうでは既にご報告しましたが、第6回日本翻訳大賞第1次選考を突破しました! 読者推選をしてくださった数多くのみなさまのおかげです。本当にありがとうございました。感謝の気持ちを胸に、これからも翻訳道を邁進いたします。今後ともよろしくお願いいたします。飯田拝

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訳者あとがき

 読者の皆様、大変お待たせいたしました! エレナ・フェッランテの〈ナポリの物語〉シリーズ、ついにここに完結です。
 二〇一七年七月に邦訳第一巻『リラとわたし』、一八年五月に第二巻「新しい名字」、一九年三月に第三巻『逃れる者と留まる者』と来て、一九年十二月、こうして第四巻『失われた女の子』(Storia della bambina perduta、二〇一四年)を無事刊行することができました。
 二〇一六年夏に早川書房から第一巻翻訳のオファーを受け、第四巻のあとがきを書くまでに三年以上の月日がかかったことになります。覚悟はしていましたが、やはり長い道のりでした。
 でも、この作品を完成させたら、自分は翻訳家としてどこか満足できる場所にたどり着けるのではないか、そんな淡い予感を頼りになんとか歩き通すことができました。道中、読者の皆様のご好評も大変励みになりました。ありがとうございました。

 さて、エレナが(中略!)——三巻は終盤、本当にとんでもない急展開となり、とんでもない場面で終わりましたね。テレビの連続ドラマだったら、見終わった瞬間に濁点つきの〝エ〟で叫びたいところ、相撲なら国技館は座布団飛びまくり、画面に向かってリモコン投げちゃうひとだっているかもしれません。でも、彼女の幸せを祈った方も結構いらっしゃったのではないかと思います。
 そしていよいよ四巻ですが……。物語の筋は、まだ読まれていない読者の皆様を考慮し、やはり書かないことにします。
 エレナと○○○はこの先どうなるの? タイトルの〝失われた女の子〟っていったい誰? 宿敵○○○○に雇われたリラはどうなった? そもそも一巻の冒頭で消えた現在のリラはどこに行ってしまったの? 結局、エレナはリラと再会することができるの……。気になりますよね。よくわかります。今すぐ読み始めましょう。今回も波乱万丈です。
 また読後に初めてこのあとがきをお読みになっていて、あれはああいうことなの? それともこういうことなの? あの結末だけど、どう思った? という風に誰かを問い詰めたい気持ちでいっぱいの方もおいででしょう。その気持ちも、とてもよくわかります。
 訳者の自分はこれまで〈ナポリの物語〉全四巻を原書と拙訳で最低でも六度は読み直している計算になり、相当に熱心な読者のひとり、ということになるかと思います。ならば、誰よりもこの物語に詳しいのではないか、そう思われるのが当然かもしれません。しかし実は僕自身、他の読者の皆様にあれこれ聞いてみたいのです。
 訳者として未熟な部分もあるのかもしれませんが、役割上、自分の読み方はいくらか特殊で、〝木を見て森を見ず〟と申しますか、物語全体の流れよりも、ひとつひとつのフレーズに近視眼的に固執する傾向があります。もちろんひとつのフレーズを深く理解するためには、前後の文脈の把握と物語の筋の総合的な把握が欠かせませんが、どうしても分析的な、一歩距離を置いた読み方になってしまうのです。それは本来、作者が想定する小説の楽しみ方とは異なるはずです。
 そんな具合ですので、僕の場合、自分で訳した本は翻訳が済んで相当な時間がたたないと素直に物語として味わうことができません。ですから、皆様のご感想・レビューをネットで拝見して、目からうろこの思いをすることもよくあります。
 いずれにしましても、読み手によって結構、解釈の分かれる部分もある作品ではないかと思います。全巻刊行の済んだ今ならば、ネタバレを含むレビューもそろそろ許されるのではないでしょうか。皆様のご感想をどこかで拝見できる日を楽しみにしております。

 なお、本作を二〇一四年に完成させたあとエレナ・フェッランテは、二〇一九年十一月に新しい小説 La vita bugiarda degli adulti(仮邦題『大人たちの嘘ばかりの人生』)を上梓しました。
 舞台は今度もナポリです。ただし時代は八〇年代、主人公は12才のジョヴァンナ、山の手のリオーネ・アルト地区に暮らす少女です。
 裕福な家庭で両親に愛され、幸せに育ってきたジョヴァンナでしたが、ある日、「ジョヴァンナはヴィットリアみたいに醜くなってきた」という父親の言葉を聞いてしまいます。ヴィットリアというのは同じナポリの貧しい下町に暮らす父方のおばで、少女の両親が娘の前では話題にするのを避けてきた〝悪い女〟でした。
 ジョヴァンナは自分の変容に怯えながらも、一度も会ったことのないおばに興味を持ち、両親には内緒で、おばの暮らす別世界に初めて足を踏み入れます。そしてヴィットリアやその周囲の人々との痛みをともなう交流を通じて、貧困を知り、暴力を知り、性に目覚め、両親を含めた大人たちの嘘に気づき、成長していきます。
 またしてもナポリ、またしてもふたりの女性を軸に据えた物語、ということで、 〈ナポリの物語〉との比較を含め、刊行当時からおおいに話題となり、続編も期待されています。

 最後になりましたが、早川書房の皆様、いつもとても素敵な装画を描いてくださった高橋将貴さん、本作を世に送り出すためご協力いただいたそのほかの皆々様、この三年強のあいだ何かと迷惑をかけた日本の両親とイタリアの家族、そして誰よりも読者の皆様に、改めて心より感謝いたします。本当にありがとうございました。

二〇一九年十一月
モントットーネ村にて


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