隔離生活日記@モントットーネ①

①で終わってしまう可能性もあるけれど、つぶやきでは文字数が足りないものをこちらで書いてみようかと思います。隔離生活と書きましたが、いまのところ僕は新型コロナには感染していません。イタリアで現在、全国的に義務づけられている自主的な隔離のこと、不要不急の外出を厳しく禁止するという首相令に基づく自宅待機です(3月24日現在、期間は4月3日まで。ローマの在イタリア大使館のこのページに首相令の抄訳があります。大使館の翻訳者様グッドジョブ!)。

先日、Twitterでこんなことをつぶやきました。


その後、近況をつぶやこうとしては手を止める、投稿してはツイ消しする、ことが増えています。今の気持ち、短くはまとまらないんですよね。いや、そもそもまとまっていない。在イタリア邦人諸氏のアカウントも当初に比べて沈黙ぎみのようです。でもこれは、最悪の状況にあきらめてしまったからでも、もう駄目だからでもなく、いろいろなかたちでそれぞれが迷いつつ、戦っているからではないかと思います。

全国で隔離生活の条件が厳しくなり、自宅に閉じこもり、買い物の時以外は隣近所の様子もわからないのに、ネットやメディアを介して怪しげな噂から公式情報まで吟味し続けるのはなかなか大変です。このあたりの感覚、既視感があるなと思ったら、東日本大震災直後の放射能騒ぎの期間のそれでした(僕も妻と乳飲み子だった長女と一次帰国中でした)。


報道される「恐ろしいイタリア」の状況(感染マップ、イタリア語)と、急に狭くなってしまった「わたしのイタリア」の状況の乖離にとまどっている方も多いんじゃないでしょうか。田舎町にいる僕は周囲の静けさと紙面や画面に飛び交う文字の熱さの距離に、なんだか車酔いに近い混乱を覚えています。どちらもある程度まで本当なのでしょうが、心の中でふたつの絵がひとつにならず、そうするための道具(医学的知識)にも欠けている頼りなさ。

じゃあ、日本語で勉強するかと日本のメディアを覗いてみれば、イタリアから見ると世界中が大変な感じなのに、日本だけ妙に緊張感に欠いた感じで、ふたつの世界のあまりのへだたりにもまたしても戸惑い、よけいに気軽につぶやけなくなってしまったりして。

在イタリア邦人各位、とりあえず4月3日までそれぞれ頑張りましょう。ご武運をお祈りします。早くいつものバールでうまいコーヒーとか、アペリティフとか、飲みたいっすね。そう、いつものバールで。

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ああ走りたい、バイク乗りたい、山行きたい。「あれもしたい、これもしたい、もっともっとしたい〜 ♪」 by The Blue Hearts 『夢』

モントットーネ村より。

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