『映像の世紀』――構成と史観のダイナミズム|稲田豊史・ミステリーファンに贈るドキュメンタリー入門【第11回・最終回】
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文=稲田豊史
「構成もの」の最高峰
ドキュメンタリーには「構成もの」と呼ばれるジャンルがある。『なぜ君は総理大臣になれないのか』などで知られるドキュメンタリー監督の大島新によれば、「過去にあった出来事について、アーカイブ映像や活字資料をふんだんに使い、関係者の証言インタビューなどを折りまぜながら表現するドキュメンタリー」(*1)のことだ。
そんな構成ものの国内最高峰と呼んでも過言ではないTVドキュメンタリーが、NHK『映像の世紀』シリーズだ。同作は「世界中に保存されている映像記録を発掘、収集、そして再構成した画期的なドキュメンタリーのシリーズ」(公式HPより)。つまり、基本的に「この番組のために新たに撮った映像」を使わず(*2)、ありものの映像の組み合わせ〝だけ〟で番組を作っている。
しかも、そのような制約を自ら設けながらこのシリーズが描くのは、なんと世界の近現代史。歴史、つまり人間の営み全部。大きく出たものだ。
1995年から96年にかけて全11回で放送された第1シリーズ『映像の世紀』は19世紀末に〝映像〟が発明された時から1995年までの約100年間を、2015年から16年にかけて全6回で放送された『新・映像の世紀』は西暦1900年のパリ万国博覧会から2010年代までを綴る(*3)。(ほぼ同時期を対象とするこの2シリーズの差異については後述する)。
複雑な構造体を一斉に把握する快感
『映像の世紀』がドキュメンタリーとして優れている点は多々あるが、まず指摘しておきたいのは「説明の順番」の上手さである。
説明の順番は非常に大事だ。特に、そのことについてよく知らない人たちが聞き手である場合には。
あなたが小学校の先生だとしよう。相手は10歳か11歳。その児童たちに「所得税」の仕組みを説明しなければならないとする。さて、何から説明するか。
大人が相手なら、「収入から必要経費や決められた控除額を差し引いた額にかかる税金」でいいが、子供に対してそうはいかない。
①まず、この社会には「税金」という制度があり、これがなければ道路や橋もできないなど、社会が回っていかないことを説明する。
②次に、税金には色々な種類があり、その中の所得税を納める義務があるのは働いて収入のある人たちであること、収入の多い人ほどたくさん納める必要があると説明する。
③最後に補足として、「必要経費」や「控除」について説明する。
ドキュメンタリーも同じだ。ドキュメンタリストは、あるテーマ、ある事象を描くにあたり、どういう順番で描くかを意識する。何から話し始めれば、観客はこのモチーフに最短時間で興味を持ち、理解を深め、満足してくれるか? 落語のマクラや芸人のエピソードトークの例を出すまでもなく、話の上手い人というのは、イコール、物事を正しい順番で説明できる人だ。
『映像の世紀』には「世界恐慌」「ベトナム戦争」「ベルリンの壁崩壊」といった、大人なら誰でも耳にしたことのある出来事がいくつも登場するが、それらが「なぜ」起こったのかを的確に説明できる者は、意外に少ないのではないか。Wikipediaには詳しく書いてあるが、詳しすぎて直感的に流れを把握するのが難しい。
しかし『映像の世紀』は、実に適切かつ簡潔な順番で映像を提示してくれる。所得税で言うところの「この社会には税金という制度があり……」から丁寧に説明をはじめてくれる。近現代史の授業やWikipediaで過去何度も挫折した人でも、ちゃんと集中して見れば「世界恐慌」や「ベトナム戦争」や「ベルリンの壁崩壊」がどうして起こったのかを――小学生が所得税を理解する如く――理解できるようになっている。これは、すごいことだ。
的確な説明の順番により、視聴者は学校で散々暗記させられた「◯◯事件」「△△戦争」といった歴史上のイベントが決して独立的・単発的に発生しているわけではないという、当たり前の事実を再確認する。「歴史とは、分割できないひとつの巨大な立体構造物である」ことに気づく。視界にあるすべての点同士が線でつながるのだ。
たとえるなら、都市の移動に電車しか使っていなかった人が、自転車移動という手段を発見したようなもの。「降車駅の駅前」という〝点〟でしか認識していなかった色々な街を、自転車で移動するようになった途端、街と街の境など単なる行政上の区分にすぎないことを体感を伴って認識する。街と街の間に継ぎ目などなく、あらゆる場所はシームレスにひと続き。この世界を「ある単一の構造体」として一斉に把握できるようになる。
何より重要なことは、「つながっている!」「把握した!」と心から納得できると、とてつもない快感を得られるということだ。あれもこれも、すべてが無関係ではない。この世界は驚くほどシンプルな「何か」によって貫かれている。それに気づく愉悦。
本連載の第1回で筆者は「ドキュメンタリーは快感に満ちている」と述べた。その快感の中でももっとも知的で、もっとも健全で、もっとも喜びに満ちた愉悦――近現代史という複雑な立体構造を把握する――を、『映像の世紀』2シリーズは運んできてくれる。
100万語を1000語で表現する暴挙
映像作品における的確な説明は、卓越した構成あってのものだ。ここにおいて構成とは「複雑な構造体の全貌を、鑑賞者に短時間で把握させるシステム」と言い換えてもいい。
そもそも「構成」とは何か。ドキュメンタリーの文脈で定義するなら、「小さな要素を組み合わせて、大きな全体構造を作り上げること」だ。前回の「ストーリーテリング」に似ているが、ストーリーテリング(物語化)は、いわば構成の次の段階である。
建築物で言うなら、構成とは間取りの決定、設計と構造計算、建材の選択、施工作業などを指し、ストーリーテリングはそこでの住まい方、あるいは文字通りライフスタイルの〝物語化〟にあたる(*4)。しっかりした構成【建築物の構造】あってこそ、ストーリー【住まい方】の艶やかさが増す。その意味で、構成はドキュメンタリーにとって基礎中の基礎、もっとも大事な部分にあたる。
構成ものは、過去にあった出来事について、ありものの映像を組み合わせて作る。いわば冷蔵庫にある食材だけで料理を試みるようなものだ。そのドキュメンタリーを作るために新たにカメラを回すわけではないので、原理上「面白い状況をこれから撮りに行く」ことができない。「被写体の前でカメラを回していたら撮れてしまった、とんでもない映像」のインパクトに作品の面白さを求めることもできない。それだけに構成ものは、普通のドキュメンタリー以上に基本構造=構成の強度が大事になってくる。
ありものの素材だけで100年余りの近現代史を綴る。『新・映像の世紀』のナレーションを引用するなら「100年の時を追体験していく」。これは途方もない暴挙だ。
近現代史は複雑な構造体の極みである。世界中の各地域でさまざまな国家がさまざまな動きを示し、それが同時進行で大きなうねりを作り、それが各国・各地域の政治や文化に即時影響を及ぼし、無限の連関構造を織りなしている。「局面」の同時進行数が、半端なく多い。中学や高校で近現代史が切り捨てられがちなのも当然だ。公教育では手に余る。
要は、語るべきことがありすぎるのだ。ゆえに、その膨大な史実の中のどこをピックアップするか――構成の定義に従えば、どの「小さな要素」を選び抜くか――には、ものすごいセンスが求められる。たとえて言うなら、100万語を費やして書かれた長編小説からたった1000語だけを切り出して組み換え、それでも物語を破綻なく、興を削ぐことなく成立させるようなもの。
別の言い方をするなら、「別々の国家、別々の地域で勃発したあまたの事象や人間の営みが相互に影響を及ぼし合いながら、同時進行する」という立体的で複雑な状況を、「TVモニター画面に連続的に映し出される映像」というきわめてリニア(直線的)な表現に翻訳するウルトラC的行為である、とも言えよう。富士山の絶景を前に、その素晴らしさを140字で表すようなもの(*5)。
しかし、『映像の世紀』はそれを成立させている。適切な「小さな要素」を選び抜き、適切に「組み合わせ」て、見事に「大きな全体構造を作り上げ」ているからだ。
つまり、構成が抜群に上手い。
一般的に『映像の世紀』シリーズの高評価は「貴重な映像」に集中しがちだ。NHKが総力を上げて収集した、数十年、あるいは100年以上も前の映像記録集であるからして、レアであることは間違いない。映像の修復技術やモノクロフィルムの着色技術なども素晴らしい。
しかし断言する。『映像の世紀』で真に称賛すべきは、貴重な映像ではない。構成の妙だ。
何に言及し、何に言及しないか
世界の近現代史などという途方もなく広大かつ深遠な題材から、適切な「小さな要素」を選び抜く。そのためには、大局的な歴史の流れの中で「何に言及し、何に言及しないか」を決めるプロセスが不可欠だ。
たとえば『映像の世紀』では、近現代史上それなりに重要なキューバ危機(1962年)やウォーターゲート事件(1972年)、ベルリンの壁崩壊(1989年)からの東欧諸国の民主化は、サラッとしか言及されない。また、日清戦争(1894~95年)には一切触れられず、日露戦争(1904~05年)も詳しくは触れない。
しかし、それは近現代史を語るうえでの不備にはなっていない。むしろこれらの事件をあえて「枝葉」と割り切ることによって、100年という途方もなく複雑怪奇でカオスな近現代史を、直感的に把握できるようシンプルに仕立て直しているからだ。
どの「小さな要素」を落とし、どの「小さな要素」を残すかについては、前もって確固たる方針を決めておく必要がある。その方針のことを便宜上「史観」と呼ぼう。
史観とは、歴史を解釈する場合の見方、語り手の立場のことだ。
歴史ものドキュメンタリーにおいては、史観の設定が非常に重要である。どの事象を取り上げて「この時期の重要事件」とするのか、ある政変の原因とされるものは何なのか、何が何に影響を与えて世の中はこのように動いたのか。それをドキュメンタリー内で「言い切る」には、語り手が勇気をもって史観を設定しなければならない。
ワシントン&ジェファーソン大学英語学科特別研究員のジョナサン・ゴットシャルは、この点について、かなり思い切った断言を見せる。曰く「歴史とは、現在のニーズに合うきれいに整えた物語を創るために、御しにくい過去を成形し編集し改竄することだ」(*6)。
「改竄」とは穏やかではない。ただ、ゴットシャルが言いたいのはこういうことではないか。ファクト(事実)の膨大な集積たる過去は、一瞥しただけでは把握も理解もしにくい。だから、枝葉は捨て、端折れるところは端折り、残った部分も改変したり並び替えたり整理したりする。そうやって飲み込みやすい物語に仕立て直されて初めて、過去は「歴史」として多くの人が理解できる様態になる――と。
映像だけで歴史を語ろうとする際も、ゴットシャルが言うところの「改竄」を必要とする。でなければ、「100万語のうち99万9000語を捨てながら、それでも物語を破綻なく、興を削ぐことなく成立させる」ことなどできっこない。
要素選別の基本方針である史観の設定も、広い意味での「改竄行為」なのだ。
史観とは「柱と梁」
ここまでを整理しよう。「小さな要素を組み合わせて、大きな全体構造を作り上げる」構成が建築物の構造にたとえられ、その「小さな要素」のピックアップ方針策定のためには「史観」の設定が必要である。
このまま建築物の比喩で話を進めよう。
建築物において史観の意味するものは、柱や梁だ。建築プロセスにおいては、柱と梁【史観】さえ決まれば、壁や床【ピックアップすべき小さな要素】が自ずと決まってくるからだ。この順は絶対だ。逆はない。
冷蔵庫の残り物食材で言うなら、柱や梁【史観】は、「辛いもの」「消化にいいもの」「中華料理」といった、料理の方向性を言語化したものにあたる。これさえ決まれば、手を伸ばすべき食材【壁や床/小さな要素】は自ずと決まってくる。
これを踏まえると、『映像の世紀』各シリーズの「柱や梁」にあたるものは以下だ。
『映像の世紀』における柱と梁
①同胞だけを繁栄させたいという人間の本能
②イデオロギー闘争
『新・映像の世紀』における柱と梁
*①②に加えて
③マネー
④映像の力
2つの長大なドキュメンタリー歴史絵巻は、おおむねこの4つの語句に象徴される史観をもとに綴られている。100年余りの間、世界を駆動したものはこの4つだと断言している。
近現代史がどんなに複雑で多層的な構造物であれ、『映像の世紀』はこの史観を決して見失わない。文字通り、太い柱と梁が通っているからだ。視聴者も、この4つの語句さえ見失わなければ、100年史を決して見失わずに捕捉し続けることができる。
聴衆を飽きさせず、集中力を保たせて長い演説を聞かせるコツは、「今、何について話しているか」を見失わせないようにすることだ。よって演説の巧者は必ず、大事なことを何度も繰り返して言う(*7)。
『映像の世紀』も同じように、「柱と梁」を常に示し続けることによって、きわめて複雑な建物構造の如き100年分の世界史を、視聴者が理解しやすいTV番組の形に仕立て上げたのだ。
同胞〝だけ〟を繁栄させたい
第1シリーズ『映像の世紀』のおおむね前半は、第一次世界大戦(1914~18年)と第二次世界大戦(1939~45年)を軸に語られるが、なぜそうも列強が侵略戦争(につながる併合や侵攻)をしまくったかと言えば、自国や自民族〝だけ〟を繁栄させるためである。「①同胞だけを繁栄させたいという人間の本能」だ。
列強が世界中に侵攻したのは、天然資源の獲得や安い労働力の確保によって自国が他国よりも繁栄するためだし、侵攻先に自国民を移住させて住まわせたのは、自国の同胞や同胞に相当する人間を「頭数」として増やし、世界の覇権を握りたかったからだ。
「自分たちの種族を一人でも多く増やし、他種族より優位に立ち、そのために他種族を攻撃する」のは人間の本能と言うべきものだが、これは現代においても廃れていない。「自分たちと似たグループの利益のために動く」「数が多い集団が、もっとも強い勢力を持つ」という人間の社会的習性は、小学校の教室や、古い体質の大企業や、ある種の政党においても頻繁に見られる。
『映像の世紀』は、そんな人間本能の罪深さや愚かさを、この時期の歴史の主な駆動要因とした。
たとえば第一次世界大戦は、勢力を拡大しようとする列強ほかその同盟国が、オーストリア=ハンガリー帝国とセルビア王国の間に起こった諍いに「覇権拡大のチャンス!」とばかりに首を突っ込んだことで長期化した。ヒトラー率いるナチス・ドイツはアーリア人種の繁栄を大目的として各地に侵略戦争を仕掛け、ユダヤ人を虐殺した。日本の大東亜共栄圏構想も「自国の覇権拡大」が大目的だった。
これらはすべて「同胞だけを繁栄させたい」という欲望に端を発している。
また本シリーズは、20世紀前半に起こった文化や技術進化の多くを、(「同胞だけを繁栄させたい」欲が引き起こした)戦争に伴う人の移動や、戦争に勝つための努力の一環として説明し、そこに当てはまらない要素の多くを潔く捨てた。語らないという選択をした。
たったひとつのシンプルな公式があらゆる数学理論の基礎をなすが如く、「同胞だけを繁栄させたい」欲が20世紀前半の世界のほとんどを動かした、と言わんばかりの語り。構成の美しさ、ここに極まれり。
資本主義vs.共産主義
一方、20世紀後半の歴史を主に駆動させていた(と『映像の世紀』が規定する)のは、資本主義vs.共産主義という「②イデオロギー闘争」である。
1917年、世界初の社会主義国家として誕生したソ連が推し進めた共産主義は、私有財産を認めず、共同体による所有とすることで貧富の差をなくすことを目指したが、これは欧米列強の繁栄の要だった資本主義と真っ向から対立するイデオロギーだった。
欧米列強は焦る。もし共産主義が世界中の国々に浸透すれば、自分たちの繁栄は脅かされてしまう!
実際、一時的ではあれ資本主義は危機に晒されていた。1930年代、資本主義各国が世界恐慌に苦しんでいた頃、ソ連は恐慌の影響を受けずに経済発展し、アメリカをはじめとした資本主義諸国をコケにしまくっていたからだ。欧米の知識人の中には共産主義を評価する者さえいた。
それゆえ資本主義諸国は共産主義の拡大をおそれ、徹底的に殲滅しようとした。その結果、アメリカは第二次世界大戦後に核開発に執心。かつ共産主義に「染まりそうな国」に介入して共産化を阻止することに心血を注いだ。前者は冷戦下の東西緊張を大いに煽り、後者はベトナム戦争の泥沼化(1960年代)を招いている。
歴史を学ぶ際に大事なのは、年号や固有名詞といった「知識」を習得することではない。「流れ」の把握だ。「流れ」とは、ある歴史的事象の原因と結果を途切れなく把握し続けること。『映像の世紀』は、「①同胞だけを繁栄させたいという人間の本能」と「②イデオロギー闘争」に物事の原因と結果を思い切って集約させることで、近現代史を大掴みで把握する難易度を劇的に下げたのだ。
近現代史が苦手、あるいは学生時代に近現代史をおざなりにしか学べなかった人ほど、『映像の世紀』を見るべきである。
独裁者はなぜ生まれたのか
『映像の世紀』の20年後に制作された『新・映像の世紀』は、単に20年分を追加した代物ではない。前作の「柱と梁」はある程度残しつつ、別の「柱と梁」を新規に組み上げた。設計図を引き直したのだ。
新しい「柱と梁」のひとつ目が、「③マネー」、つまり「カネの力で歴史が動く」というものだ。
たとえば、第一次世界大戦中にイギリスはオスマン帝国からの独立を求めるアラブの民を支援し、中東パレスチナでの居住を約束した。映画『アラビアのロレンス』(62)でも描かれた歴史事実だが、イギリスは他方でユダヤ人に対しても当地に国を作ることを約束した。これは現在も継続するパレスチナ問題の元凶となっているが、なぜこんなことをしたのか? イギリスは大戦の戦費をユダヤ人資本家から調達したかったからである。カネだ。
また、ヒトラーはドイツが国として疲弊していた中で〝救国のヒーロー〟として大衆の支持を集め、独裁者として君臨するまでに至ったが、なぜそんなに疲弊していたのかと言えば、第一次世界大戦の敗戦国として国家予算の20年分もの賠償金を課せられていたからだ。ここでもカネが歴史を展開させている。
ただ、当時のアメリカ大統領ウィルソンは、ドイツに多額の賠償金を課したくなかった。あまりいじめすぎれば、必ずや過激な反発勢力が出てくるからだ。
しかし、多額の賠償金は課せられてしまった。イギリスの戦費調達先はアメリカ・ウォール街のユダヤ人資本家たちであり、兵器もアメリカの工場で作らせていたからだ。ユダヤ人資本家たちにしてみれば、がっぽり賠償金をふんだくらなければ、自分たちの利益が阻害されてしまう。
結局、ウィルソンはウォール街の声に屈した。カネが政治を、国際社会を動かしたのだ。
もしウィルソンがウォール街の声に屈せず、戦勝国がアメリカの意見に耳を傾け、ドイツから多額の賠償金を取らなかったならば、ドイツはそこまで疲弊せず、ドイツ国民はそこまで自尊心を傷つけられることなく、したがって「民族の誇りの回復」を謳うヒトラーがそこまで支持を得ることもなかった――かもしれない。
カネが世界史を駆動する
1930年代の世界恐慌という、マネー界#かい$隈#わい$最大規模の悲劇によって何が起こったかと言えば、資本主義への幻滅であり共産主義の台頭だ。
当時アメリカのロックフェラー財団が「自由貿易による世界平和」を掲げてアジアやアフリカで慈善活動を続けたのは、要するに「〝遅れた国〟の生産性を高くして、世界に資本主義を浸透させる計画」の一環だった。そのことが共産主義に対する予防線であることからしても、カネは世界史を確実に駆動している。
そんな世界恐慌下、ヒトラーは高速道路アウトバーンの工事で失業者に仕事を与え、国民誰もが車を持てるような経済政策を次々と成功させ、大衆の支持を集めた。経済的豊かさが独裁者の支持を拡大する、これもカネだ。
さらにアメリカの自動車王フォードは共産主義への反発から、ヒトラーやナチスを金銭的に支援していた(ナチスは〝敵〟をユダヤ人と共産主義に定めていた)。その活動資金がナチスの勢力拡大に幾分か貢献したのは間違いない。
第二次世界大戦後にもカネは政治にとって大きな役割を果たす。
たとえばイラン。イラン首相のモサデクはイギリスに支配されていた石油資源を自国に奪還、かつソ連の支援を受けた共産党に支持されていた。イランの共産化を恐れたアメリカは、イギリスと結託して100万ドルのカネを軍人や反政府活動家にばらまいてモサデク政権を転覆させ、クーデターに成功。1959年にパーレビ国王を支援する親米政権を樹立させるが、石油利権の実に4割をアメリカのオイルメジャー5社が専有する。カネの力で一国の政治体制が書き換えられたのだ。
アメリカは他国への介入にもこのような手を使うが、結局のところすべては共産主義への嫌悪が動機になっている。世界最大の資本主義国家としては、その唾棄すべき共産主義に対抗できるのは「カネ」というわけである。
『新・映像の世紀』はこのように、カネが歴史を動かしたこと、カネが社会のシステムを決定したことを、『映像の世紀』以上に強く描き出す。
史観の設定=視点の設定
『新・映像の世紀』における2つ目の柱と梁である「④映像の力」は、実に自己言及的な史観だ。アーカイブ映像を集めることによって作られた『映像の世紀』自身が、「歴史を駆動したのは映像である」と断言しているのだから。
映像は主に、第二次世界大戦後の世界で歴史を駆動する原動力となった。
世界中の若者たちが戦後のある時期に社会主義や共産主義に憧れた理由のひとつは、若者たちがキューバ革命の成功(1959年)に寄与した革命家チェ・ゲバラの姿をTVで目撃し感化されたからだ。また、アメリカ国内でベトナム戦争反対の世論が吹き上がったのは、現地の凄惨な状況がTVカメラによってセンセーショナルに伝えられたからである。いずれもTV放送という「映像」の力だ。
2001年のアメリカ同時多発テロ事件は、惨劇がTVで繰り返し流され続けることによって米国人の憎悪と復讐心が増幅し、やがてイラク戦争における世論の後押しにつながった。一方のアルカイダ側もTVメディアを積極活用してイスラム教徒の正当性とアメリカへの憎悪を世界中にPRしていった。
やがてインターネットが普及すると、今度はTVが報じない、あるいは国家の政治的制約によって報じることができない事件が、個人によって世界に「映像」として発信されるようになった。2011年のチュニジア「アラブの春」が、YouTubeとFacebookで広まり、近隣国の政治体制を次々と変えていったのは記憶に新しい。
『新・映像の世紀』の最終回は、同性婚が認められる世界的気運の発端として、ある同性愛者のYouTube投稿が大きな役割を果たしたことをエモーショナルに綴る。20世紀後半以降、映像は歴史を動かした。その歴史には国家紛争や覇権争いだけでなく、もっとミクロな、個人の価値観や営みまでも包摂していたのだ。
近現代史を動かした駆動力を4つの「柱と梁」に規定し、20年越しの大団円でその4つ目を、ドキュメンタリー番組である『映像の世紀』自身の構成要素、すなわち「映像」であると言い切って筆を置く。ドキュメンタリー番組自身が意志をもっているかのような、高らかな映像讃歌でありドキュメンタリー讃歌だ。お見事、と言うほかない。
よくよく考えると、「柱と梁」たる史観の設定とはすなわち、ドキュメンタリーにおける視点の設定に等しい。秀逸なドキュメンタリーは目の覚める視点を設定する。同じ題材を撮影するにしても視点の設定が凡庸であれば凡庸なドキュメンタリーにしかならない。史観もまた然り。
「私は歴史をどう見ているかの立場表明」が史観の設定ならば、「私はこの現実をどう見ているかの立場表明」がドキュメンタリーにおける視点の設定だとも言えるだろう。
ドキュメンタリーは誕生の瞬間から虚実皮膜
2年近くにわたって執筆した本連載は、今回が最終回である。ここで再び連載第1回の拙稿を振り返ろう。
ドキュメンタリーとは近現代史そのもの、まさに『映像の世紀』のことだ。
そもそも『映像の世紀』というタイトルは、フランスのリュミエール兄弟が映写技術を確立した19世紀末以降、人の営みが「映像」で記録されるようになった、つまり20世紀とは「映像の世紀」であった――に由来する。
『映像の世紀』第1集「20世紀の幕開け~カメラは歴史の断片をとらえ始めた~」の冒頭では、1895年に世界で初めて有料上映された実写映画『工場の出口』が流れる。監督はリュミエール兄弟の弟、ルイ・リュミエール。総尺50秒ほどのモノクロ・無声作品で、工場の出口から出てくるたくさんの労働者たちを固定カメラで撮影した作品だ。
その後、番組内では「20世紀は動く映像として記録された最初の世紀」だというナレーションが入る。壮大なドキュメンタリーシリーズの冒頭に、記録映像という扱いで『工場の出口』が紹介されている。ここから察するに『映像の世紀』は、『工場の出口』を「ドキュメンタリーの始祖」として扱っていると解釈するのが自然だ。実際、同作は「世界初の映画」であると同時に「世界初のドキュメンタリー」ともよく言われる(*8)。
だが、同作が本当に工場の出口前にただカメラを設置し、出てきた人をただ撮影しただけなのかどうか、つまり〝演出〟が加わっていないかについては、ひと議論ある(*9)。
映画監督の黒沢清は2018年、同作について「約50秒しかないなかで、ドアが開いて、とにかく全員を出したい――犬、少女、自転車は必ず、できたら馬車も出したい――そういう意図がはっきりと読み取れます。これが演出なのか偶然なのかという議論はほとんど意味がありません。つまり、その両方であるということです」という見解を表明した。その黒沢の言葉に対して、対談相手のリュミエール研究所ディレクター、ティエリー・フレモーは「ここには確かに演出があります」と黒沢よりずっと強い断定調でその根拠をいくつか提示している(*10)。
黒沢の言う通り「演出(虚)と偶然(実)、その両方」だとするなら、本連載で再三主張してきた「ドキュメンタリーは虚実皮膜」は、誕生の瞬間からそうだったわけだ。
《ジャーロ NO.90 2023 SEPTEMBER 掲載》
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▽稲田豊史さん近著
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