『スープとイデオロギー』|稲田豊史・ミステリーファンに贈るドキュメンタリー入門〈語っておきたい新作#03〉
文=稲田豊史
『エンディングノート』が娘が父を撮ったセルフドキュメンタリーなら、『スープとイデオロギー』は娘が母を撮ったセルフドキュメンタリーである。
監督のヤン・ヨンヒは、在日本朝鮮人総聯合会(朝鮮総連)幹部の両親をもつ在日朝鮮人二世。これまでにも2本のドキュメンタリー、『ディア・ピョンヤン』(’05)、『愛しきソナ』(’09)で、両親のルーツや自分との関係の変化をつぶさに記録してきたが、本作ではアルツハイマー病を患った母にカメラを向け、彼女が18歳の頃に体験した「済州4・3事件」が彼女の人生をどのように変えたのかを明らかにする。
なお済州4・3事件とは、1948年に韓国(当時は米国支配下の南朝鮮)の済州島で起こった島民虐殺事件。朝鮮の南北分断を決定づける南側単独選挙に反発した左派島民が、韓国本土から派遣された鎮圧軍などによって虐殺された。韓国現代史最大のタブーとも言われている。
母親の認知症が確実に進んでいくさまは、『エンディングノート』と同様「死」の実況中継に類するものだ。しかし『エンディングノート』の砂田とは対照的に、ヤンは〝自分〟を思い切り出す。被写体(母親)への気持ちも本編中で積極的に口にする。
特に後半は、ヤン以外のスタッフがカメラを回しはじめるので、画面内にヤンが頻繁に登場し、より一層存在感が際立ってくる。シチュエーションによってはヤンが積極的に動くことで展開を主導し、かなり踏み込んで〝母の人生の物語〟の意味づけを行なっているようにも見える。〝父の人生の物語〟を描こうとしなかった砂田とは、この点でも対照的だ。
ヤンは砂田と違い、自分が被写体の娘であることを観客に1秒たりとも忘れさせない。つまり、本作は終始一貫して「娘と母の関係性の物語」であろうとする。その結末は必然的に、「娘が母をようやく理解できた」というものに落ち着く。
本作は、というかヤンのドキュメンタリー三部作(と便宜上呼ぶ)は、在日コリアン家族を20年以上にわたって追跡することで浮かび上がる韓国現代史、日韓関係史というとてつもなく重たい題材が、作品と切り離せない存在感をもってその入り口部分に鎮座している。それが最終的に、非常に私的・個人的な「撮影者とその肉親との関係性」という一点に向かって収斂していくのが一連のヤン・ヨンヒ作品の特徴だ。
一方の『エンディングノート』はやはり対照的で、撮影者の肉親(ごく普通の一般人)の終活という、非常に私的・個人的なサンプルの行動観察を入り口に、最終的には人類にとってこれ以上なく普遍的かつ巨大なテーマである「死」へと観客の思考を限りなく拡大させていく。
「自分を出す/出さない」「被写体の人生を描く/描かない」「大から小へ/小から大ヘ」。一口にセルフドキュメンタリーといっても、ここまで対照的なアプローチが可能なのだ。
《ジャーロ NO.82 2022 MAY 掲載》