【新刊エッセイ】逸木裕|人間は何を鑑賞し、何に感動しているのか
人間は何を鑑賞し、何に感動しているのか
逸木裕
学生のころ、友人に誘われて行ったとある高校の吹奏楽部の演奏会に、物凄く感動したことがあります。
決して上手なバンドではありません。吹奏楽コンクールで入賞しているような団体ではなく、演奏水準だけを考えるとどこにでもある趣味の発表会くらいのものでした。
そんな演奏に、なぜ心を動かされたのか。それは私が友人を通じてそのバンドの見学に行ったことがあり、部活動としてのストーリーを知っていたことが大きいでしょう。出演者たちが演奏会にかける思いや、もう二度と同じメンバーで演奏することはないかけがえのなさを共有していたからこそ、私は彼らの演奏にのめり込み、感情を揺さぶられたのだと思います。これは極端な例ですが、思えば過去、特別に感動したコンサートやライブには、鑑賞者である私の思い入れがあったように思います。
話題は変わりますが〈人は、数億円もするストラディバリウスの音を聴き分けることができない〉という研究結果があります。観客を集め、現代の楽器とヴィンテージ楽器とを聴き比べさせるテストを何度行っても、〈現代の楽器とストラディバリウスには大差はない〉という結果が出るのです。それでもストラディバリウスは世界中のトッププレイヤーに愛用され、クラシックファンを魅了し続けています。
ここには、高校生のコンサートに私が感動したときと同様の心理機序があるのではないでしょうか。聴く者の思い入れと、そこから発生する錯覚が、本来鳴っている音楽の魅力を底上げし、心を揺さぶる。そして同じような心理の動きは、音楽だけではなく絵画を見たり小説を読んだりするときにも起きているのでしょう。我々は作品を鑑賞するときに、自分がその作品に抱いている先入観や、錯覚も含めて鑑賞している。ならば人間は、本当の意味で芸術を味わっていると言えるのか。我々は何を鑑賞し、何に感動しているのか。
そんなテーマをあらゆる見地から徹底的に掘り下げてみたく書いたのが、本作『四重奏』です。チェロの調べとともに、認知の迷宮をさまよってください。
《小説宝石 2024年1月号 掲載》
『四重奏』あらすじ
チェリストの黛由佳が放火事件に巻き込まれて死んだ。チェリストの坂下英紀は、火神の異名をもつ孤高のチェリスト鵜崎顕に傾倒し、「鵜崎四重奏団」で活動していた彼女の突然の死にショックを受ける。演奏家として自分の才能に自信をなくしていた英紀は、同じように苦しんでいた由佳の死の真相を知ろうとする。音楽に携わる人間たちの夢と才能と挫折、演奏家たちの秘密に迫る、長編ミステリー。
著者プロフィール
逸木裕 いつき・ゆう
1980年東京都生まれ。2016年『虹を待つ彼女』で横溝正史ミステリ大賞を受賞しデビュー。’22年「スケターズ・ワルツ」で日本推理作家協会賞(短編部門)受賞。ほかに『少女は夜を綴らない』『世界の終わりのためのミステリ』など。
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