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岩井三四二【エッセイ】新刊『切腹屋』に寄せて

9月22日、岩井三四二さんの新刊『切腹屋』が発売されました。刊行に合わせて寄稿いただいた著者エッセイを紹介します。

切腹と裁判の関係

岩井三四二

 江戸時代の裁判というと、まず思い浮かぶのが「大岡裁おおおかさばき」でしょうか。

 江戸町奉行の大岡越前守えちぜんのかみが、あちら立てればこちらが立たずのむずかしい裁判を、知恵と人情ですっきりさっぱり裁いてゆくという、あのお話です。

 ただ大岡越前守は実在の人物ですが、「大岡裁き」は講釈師が張り扇でたたき出した作り話であって、「|三方一両損》さんぼういちりょうぞん》」や「子争い」が実際にあったわけではありません。

 では実際の江戸時代の裁判はどうなっていたのでしょうか。

 史料によると、裁判はお白洲しらすにおいて、吟味与力ぎんみよりきという訴訟専門の役人の下で行われます。訴訟人と被訴訟人が立ち会って丁々発止ちょうちょうはっしのやりとりをするのは現代といっしょですが、法廷である白洲には弁護士も検事もいない。裁判官で、かつ検事の役割もする吟味与力が、ひとりで裁判をすすめます。

 とはいえ訴訟人も被訴訟人もなれぬことですから、裁判を円滑にすすめるには弁護士に相当する人物が必要になります。

 公式には、江戸町民ならば町名主が、それ以外の人は宿泊先である公事宿くじやどの者が、白洲にまでつきそって裁判進行の面倒を見ることになっています。これがある程度までは弁護士の役割を果たすのですが、しかし時には命までかかってくる裁判で、そんなものじゃ足りない、もっと強力な助っ人がほしい、と考える人は多かったようです。実際、訴訟で不安を抱える人が、裁判に精通した人物に助言をあおぐことは、けっこうありました。

 そんな江戸時代後期、信州のある町と村とのあいだで、新しい市場が既存の市場の権益を侵したとして裁判になります。

 拙著『切腹屋』はこうした史実を下敷きに、少々張り扇をたたいて書きすすめた話です。なぜ裁判の話がこんな題名になるのか、という疑問をもたれた方は、拙著を最後まで読んでいただければ、大岡裁きのようにすっきりと解決するはずです。

《小説宝石 2022年10月号掲載》


▽『切腹屋』あらすじ

江戸時代の裁判=公事の手助け役・公事師の辰次は負けたら切腹するといって大金三十両の仕事を受ける。が、実は形勢は圧倒的に不利! 切腹必至の辰次に逆転の目は? 人情味豊かに描くエンタメ時代小説の快作!

▽著者プロフィール

岩井三四二 いわい・みよじ
1958年、岐阜県生まれ。’96年『一所懸命』でデビュー。2003年『月ノ浦惣庄公事置書』で第10回松本清張賞受賞。他様々な作品で文学賞を受賞。著書多数。


▽『小説宝石』新刊エッセイとは


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