日本ミステリー文学大賞の軌跡・第5回 山田風太郎|浅木原 忍
▼第4回はこちら
文=浅木原 忍(探偵小説研究会)
■はじめに
ミステリは継承の文学である。ポー「モルグ街の殺人」から百八十年ちょっと、ミステリ作家たちは先人の生み出した型を咀嚼し、こねくり回し、変形し組み合わせ、新たな何かを混ぜ込んだりして、ミステリのバリエーションを広げてきた。
だが、そんなミステリ史のなかに、ときおり突然変異のように現れる孤高の天才がいる。連綿たるミステリの歴史の流れからどこか隔絶したところで、それまでとは何かが違うミステリを突然書き始める作家が。
山田風太郎――彼は間違いなく、そんなミステリ史上の、いや、ミステリに限らず、日本のエンターテインメント史上における紛れもない〝孤高の天才〟のひとりだ。
……と言っても、本誌の読者であればともかく、一般的にはそもそも山田風太郎に対して「日本ミステリー文学大賞」が授けられているということを不思議に思う人の方が多いのかもしれない。特にミステリ好きではない現在の若年層にとって山田風太郎という名前に覚えがあるとすれば、せがわまさきの漫画とそのアニメ版『バジリスク~甲賀忍法帖~』の原作者、もしくはTYPE-MOONのゲーム『Fate』シリーズの第一作『Fate/stay night』の元ネタのひとつである『魔界転生』の作者――というイメージではないだろうか。
というわけで本稿では「山田風太郎、名前は知ってるけど読んだことないなあ。『バジリスク』は知ってるけど……え? ミステリ作家だったの? 作品多すぎるんだけど何から読んだらいいの?」という読者を想定しながら、山風こと山田風太郎の膨大な作品群の入口をナビゲートしていきたい。
■山風必読十五選
とりあえず、まずはせっかちな読者に向けて、本稿筆者が独断で選んだ山田風太郎の必読十五選をリストアップしておこう。並びは順位や読むべき順番ではなく、本稿での紹介順である。二〇二三年現在、新品で入手できる文庫も併記しておく。
山風ファンの方にはセレクトに異論もあるかと思うが、ご寛恕願いたい。それでは、この十五作を軸に、広大な山風ワールドを駆け足で巡っていこう。
■探偵小説
山田風太郎――本名・山田誠也は一九二二年、兵庫県養父郡関宮村(現・養父市)の医師の家に生まれた。しかし五歳で父を、十四歳で母を亡くし、養父母に馴染めず不良学生として鬱屈した日々を送る。この頃から仲間内で使っていた呼び名を元にした「山田風太郎」という筆名で小説などを雑誌に投稿、何度も入選・掲載された。栴檀は双葉より芳し。
四二年に家出同然に上京し、働きながら受験勉強を続け、四四年に東京医学専門学校(現在の東京医科大学)に合格。この時期から日記を付け始める。
終戦翌年の四六年、雑誌「宝石」の懸賞小説に「達磨峠の事件」で入選し作家デビュー。江戸川乱歩を師と仰ぎ、以後、六〇年代前半まで探偵小説を軸に活動することとなる。
山田風太郎の小説家としての活動は、九一年の『柳生十兵衛死す』まで四十五年間にわたるが、そのうち現代を舞台にした探偵小説を書いていたのは、六〇年代前半までのおよそ二十年弱である。
当時は雑誌の原稿料が今とは比べ物にならないほど高く、月に短編一本を書けばゆうに暮らしていけたという。そのため山風の探偵小説は短編が中心だった。
山田風太郎の短編ミステリを読むならば、まずは①『虚像淫楽』が入門編として鉄板である。エロ小説みたいなタイトルで買いにくい……と思われるかもしれないが、まあ騙されたと思って読んでほしい。探偵作家クラブ賞(現・日本推理作家協会賞)を受賞した表題作と「眼中の悪魔」、目の回る多重ドンデン返し「厨子家の悪霊」、三重構造の〝操り〟テーマ「死者の呼び声」、山風作品で最もネタバレされやすいだけにぜひ予備知識なしで読んでほしいホームズ・パスティーシュ「黄色い下宿人」などなど、山風ミステリの精髄が揃うオールスター傑作選だ。
もっとシリーズ探偵の登場するようなミステリがいい、という人には、山風の探偵小説を代表するキャラクターである、名探偵・荊木歓喜先生のシリーズがオススメだ。『名探偵コナン』67巻の「青山剛昌の名探偵図鑑」でも取り上げられたので、名前に覚えがあるという人もいるかもしれない。売春婦の堕胎を専門に手掛ける片足の不自由な闇医者で、戦後日本の暗がりを這う人々の事件を手掛けた。彼の探偵譚は現在は河出文庫に収録されている『十三角関係』と②『帰去来殺人事件』の二冊にまとめられている。前者が長編、後者が短編集だ。山風の大ファンである藤田和日郎の装画が目印である。
前者は売春宿のマダムがバラバラに解体され風車にくくりつけられる――という猟奇的な事件を描くオーソドックスな探偵小説の形式から、極めて意外な犯人像と犯行動機を炙り出す強烈な傑作。しかし、それをも凌ぎ山風ミステリの最高傑作と言っても過言でないのが②の表題作である。真相に直結する部分にある差別用語が絡む関係で、光文社文庫の傑作選から一時的に削除されたこともあるという曰く付きの作品だが、唖然茫然空前絶後のアリバイトリックと、歓喜先生自身の事件としての無類の面白さと情感で他を圧倒する問答無用の大傑作。必読である。
荊木歓喜は罪を犯した相手に対しても事情によっては寛容をもって接するが、それは自分自身が他人を糾弾できるような人間ではない、というニヒルな自己評価に基づいている。歓喜先生に限らず、山風作品には弱者に対する大上段に構えないヒューマニズムと、人間存在そのものに対する寂寞としたペシミズムやニヒリズムが同居する。
そうした山風の人間観を端的に示した連作が③『夜よりほかに聴くものもなし』だ。特異な動機で罪を犯した者に対して、八坂刑事が毎回全く同じ台詞で物語を締めるという、いかにもなミステリの技巧性を通して人間と社会を描く。人間性への洞察と、ミステリであることが不可分となった連作だ。本作が発表された一九六二年といえば、「探偵小説は動機を重視すべきである」と主張した松本清張が巻き起こした社会派ブームのまっただ中だが、この時代に〝動機〟をメインに据えた連作ミステリでこれほどの達成を為しているのは、まさしく驚嘆に値する。
ちなみに山風にはそのまま「動機」というタイトルの短編もあり(六二年発表、別題「この道はいつかきた道」)、これも傑作なのだが収録書籍が現在は入手難で電子書籍化されたものもない。短編集への再録が待たれる。
話を戻そう。連作ミステリといえば、一見バラバラの短編が最後にまとまって一本の長編になる、という現代ではおなじみの形式がある。実は、この形式を発明したのも山田風太郎なのだ。〈連鎖式〉と名付けられたこの形式の連作長編では、現代ものの『誰にも出来る殺人』と『棺の中の悦楽』が合本されて角川文庫に収められておりいずれも秀作だが、山風の連鎖式ミステリといえば、なんといっても④『妖異金瓶梅』である。実はもう一本絶対に外せない作品があるのだが、そちらについては後ほど触れよう。
『妖異金瓶梅』はそのタイトル通り、中国の四大奇書のひとつ「金瓶梅」を下敷きにした作品だが、原典を知らずとも大きな問題はない。強烈無比のホワイダニットものである第一話の「赤い靴」を例外として、ミステリとしてはハウダニット重視の短編連作だが、本作をミステリ史上特異な傑作としているのは、連作を貫く〝ある趣向〟だ。途中まではゲップが出そうな変態性癖の大展覧会が繰り広げられるが、この趣向で連作を統一することによって、物語はヒロインの潘金蓮を中心とした長編として、終盤には驚くほど感動的な境地に至る。連作ミステリとしての一種の〝縛り〟をもってして、この舞台でなければ成立しない長編として落とすという豪腕は、令和の最新作として出されても何ら違和感のない本格ミステリの境地にある。
そう、山風ミステリの凄みは、その本格ミステリとしての企みの先鋭ぶりが六十年経っても全く色褪せていない点にある。現代ものの長編の代表作⑤『太陽黒点』もまたそのひとつだ。と言っても本作は、九割方まで六〇年代の青春小説なので、現代の読者にはやや感覚的にとっつきにくいかもしれない。しかし本作のミステリとしての企みが暴かれた瞬間には、まず間違いなくその目を疑うはずだ。新本格以降に多くの作家によって追求されてきた〝あるテーマ〟の極限が、既に六〇年代に書かれていたのだから。なお、本作は現行の角川文庫版は問題ないが、廣済堂文庫版のあらすじが致命的なネタバレになっているため、古書で見かけた際は要注意である。
山風ミステリを読むとき、古典と身構える必要はない。現代の最新刊だと思って読んで一向に構わない。なぜ山風は、まだまだ今から見れば素朴な探偵小説観が当たり前だった五〇年代や六〇年代に、これほどまでに現代から見てもエッジの利いたミステリが書けたのだろうか。
そしてこれらの作品群は、なんと八〇年代にはほぼ忘れられかけていた。再評価されたのは九〇年代以降のことなのだから、日本のミステリが山風に追いつくには、実に半世紀弱を要したわけである。山風ミステリの代表作群を読めば、本稿の冒頭で山風を〝突然変異〟〝孤高の天才〟と呼んだ所以をご理解いただけると思う。
■忍法帖
一九五八年、光文社の雑誌「面白倶楽部」にて、一本の長編時代小説の連載が始まった。それは文字通り、日本のエンターテインメントの歴史を変える作品だった。そう、忍法帖シリーズ第一作、⑥『甲賀忍法帖』である。
超常的な能力を持った忍者たちが、甲賀と伊賀に分かれて壮絶な死闘を繰り広げる。現代の漫画、アニメ、ゲームなどあらゆる媒体で無数に生み出されているバトルものやデスゲームものの元祖といえるのがこの『甲賀忍法帖』に始まる忍法帖シリーズだ。
山風はこの忍法帖シリーズを約十年強にわたって書き続け、二十五作を超える長編(作品数についてはどこまでを忍法帖に含めるかによる)と多数の短編を残した。
忍法帖シリーズのベストがどれかは好みによるだろうが、『甲賀忍法帖』『風来忍法帖』『柳生忍法帖』『魔界転生』の四作が争うだろうことは衆目の一致する評価だろう。この四大傑作のどれかから入り、角川文庫のベストコレクションに入っている『くノ一忍法帖』『伊賀忍法帖』『忍びの卍』『忍法八犬伝』を加えた八作を読んで、さらに読みたくなったら河出文庫に入った『信玄忍法帖』『外道忍法帖』『忍者月影抄』『柳生十兵衛死す』の四作を押さえに行くのがいいだろう。他に角川文庫では『忍法剣士伝』『銀河忍法帖』『忍法双頭の鷲』が新刊で入手できる。それ以外は古書か電子書籍をあたろう。
二〇一〇年代から、日本の本格ミステリ界を席巻したのが「特殊設定ミステリ」と呼ばれる作品群だ。『Another』『折れた竜骨』『虚構推理』『屍人荘の殺人』……現実世界とは異なる特殊なルールが導入された世界で繰り広げられる謎解き。それらの発想の源には、漫画・アニメ・ゲームなどのポップカルチャーの影響が強いのは間違いない。
中でも――いみじくも『このミステリーがすごい! 2023年版』が『岸辺露伴は動かない』の特集を組んだように――荒木飛呂彦の漫画『ジョジョの奇妙な冒険』における特殊能力〝スタンド〟を用いたバトルは、現代の特殊設定ミステリに非常に大きな影響を与えている。敵の能力という「謎」に対し、発生する現象などの「手がかり」からその正体を「推理」し、打開策を見出して「解決」する――という特殊能力を駆使した頭脳戦は、そのまま特殊設定ミステリとして鑑賞することが可能だ。というよりかは、『ジョジョ』とその影響を受けた作品群の創りあげてきた「特殊なルールに基づいた頭脳戦」の思考法によって構築されたミステリこそ、現代の特殊設定ミステリである――と言うべきなのかもしれない。
様々な特殊能力とその組み合わせの妙によって、多彩なバトルを生み出すという点において、忍法帖シリーズは紛れもなく『ジョジョ』の直系の祖先にあたる。その対戦カードの妙という意味ではやはり『甲賀~』が最高峰であろうが、より『ジョジョ』的なバトルを描いた傑作としては、⑦『忍びの卍』を挙げたい。
伊賀、甲賀、根来の三派の中から御公儀忍び組を選抜するための査察の任を受けた椎ノ葉刀馬は、各派の代表忍者の奇怪な忍法に圧倒されながらも、その任を無事に済ませ、土井大炊頭によって一派が選ばれる。だが、選ばれなかった残る二派が再裁定を目論んで暗躍を始め……。
本作に登場する忍法は主に三つ。根来忍者・虫籠右陣の「忍法ぬれ桜」(女体の舐めた部位を女陰のごとく敏感にする)。伊賀忍者・筏織右衛門の「忍法任意車」(性交した女性へ精神を憑依させる)。そして甲賀忍者・百々銭十郎の「忍法赤朽葉」(銭十郎の精を受けた女性の血液で敵を斬る)。見ての通り、一見して戦闘向きと思われるのは「忍法赤朽葉」ぐらいであるが、本作はこの三種の活用法を徹底的に考え抜き、この三者の戦いを描いて文庫五〇〇ページ超を間措く能わずの面白さで駆け抜けてみせる。そしてこの選抜試験の裏に隠された構図は優れたミステリとしての鑑賞にも耐えうる。総じて最も現代ミステリファン向けの忍法帖と言えるだろう。
余談だが、本作に限らず、忍法帖に登場する忍法は性にまつわるものが多い。是非読んで驚いてほしいので詳述はしないが、そのぶっ飛んだ発想は、現代の目から見ても十二分に凄まじいものばかりだ。現代の読者はそういう意味においても、山田風太郎は間違いなく未来に生きていた、と感嘆するだろう。
そうした過激かつ時代のはるか先を行く発想の一方で、忍法帖のもうひとつの特徴として、時代小説としてあくまで史実を尊重する姿勢が挙げられる。漫画『バジリスク』読者・アニメ視聴者であればご存じの通り、『甲賀忍法帖』での甲賀と伊賀の忍法対決は徳川三代将軍の座を巡る国千代(忠長)派と竹千代(家光)派の代理戦争であり、どちらが三代将軍になるか、という史実そのものは変わらない。これは他の忍法帖においても基本的に一貫した姿勢であり(例外もあるが)、荒唐無稽な忍者たちの死闘が、随所で思わぬ史実に繋がっていく意外性は、もちろん伝奇小説の手法であるわけだが、ある種の歴史ミステリ的な楽しみ方も可能である。
その楽しみが最も味わえる忍法帖としては、『信玄忍法帖』を挙げておきたい。影武者によって武田信玄の死を隠し通そうとする武田陣営と、信玄の生死を探る伊賀忍者の戦いを描く連作形式に近い長編で、次から次へと繰り出される奇想が思わぬ史実を導き出していく快作だ。
その一方で『伊賀忍法帖』や『忍法剣士伝』のように、奇想と史実の噛
み合わせが上手くいかなかった印象の作品もないではない。だからこそ⑧『魔界転生』における〝忍法魔界転生〟――死した剣豪を蘇らせて戦わせるというアイデアは、柳生十兵衛vs.剣豪オールスターというドリームマッチを史実との齟齬を気にすることなく実現できるという意味でも画期的であった。これが『Fate』シリーズにおける英霊召喚システムの元ネタになっていることは言うまでもなく、『文豪ストレイドッグス』をはじめとした文豪もの、またさらに広い意味では『艦隊これくしょん』や『刀剣乱舞』『ウマ娘』のような擬人化コンテンツもまた、『魔界転生』の発想の延長線上にあるとも言える。
山風は後年、雑誌の企画で自作をABCの三段階で採点した際、誰もが認める傑作の『風来忍法帖』にB評価を下し、セルフパロディ色の強いギャグ忍法帖の『笑い陰陽師』にA評価を下していた。そのことが端的に示すように、山風自身は忍法帖の本質をナンセンスなギャグだと考えていたようだ。しかし、ナンセンスであるが故にこそ、忍法帖に通底するのは寂寞とした無常観である。その無常観が『甲賀~』のあの結末の余韻をもたらしていることは、現代の『バジリスク』ファンも同意していただけるだろう。
だからこそ前提としてあの結末を否定した山田正紀の『桜花忍法帖』が『バジリスク』ファンからは大不評だったわけだが、それについては置いておくとして――『バジリスク』においてせがわまさきによって個性的なビジュアルを与えられた『甲賀忍法帖』の忍者たちは、原作以上にキャラクターとしての魅力が際立った。そしてそんな魅力的なキャラクターたちが情け容赦なく散っていく、その哀切もまた『バジリスク』の魅力である。
そうした〝散り際〟の美が際立つ忍法帖の筆頭は、⑨『風来忍法帖』を置いて他にない。不羈奔放な七人の香具師たちが、美しき麻也姫にほだされて風摩忍者三人衆と戦う、忍法帖の中でも指折りの陽性娯楽活劇である本作だが、だからこそ魅力的な香具師七人衆がひとり、またひとりと散っていくクライマックスの戦いは爽やかで気高く、そして悲しい。痛快にして哀切な傑作である。ちなみに題材となっているのは和田竜『のぼうの城』で描かれた忍城の戦い。『のぼう』と読み比べてみるのも一興か。『風来~』と同系統の作品としては『忍法八犬伝』もオススメ。
忍法を持たない無法者たちが創意工夫で忍者と戦う『風来~』に対し、さらに無力な女性たちが達人相手に復讐に挑むのが⑩『柳生忍法帖』。以後『魔界転生』『柳生十兵衛死す』と続く柳生十兵衛ものの第一作だ。復讐を誓う東慶寺の女七人が、十兵衛の力を借りて、特殊な術の達人である会津七本槍に挑む。七本槍を十兵衛が直接倒してはいけない、という縛りの元で、戦いの素人である女七人が(性に頼らず)あの手この手で強敵を打ち破っていく展開は手に汗握る痛快無比の復讐活劇。結末も山風らしからぬ大団円で、これが最も万人に勧めやすい忍法帖かもしれない。
……と、つらつらと語ってきたが、忍法帖の面白さについては、自分ごときが百万言を費やすよりも、結局は『甲賀忍法帖』一冊を読むに勝る体験はない。せがわまさきの漫画版『バジリスク~甲賀忍法帖~』やそのテレビアニメ版でも可だが、既にそれらのファンの方もやはり一度は原作に手を伸ばしてほしい。現代の能力バトルものの面白さ、その根源がここにある。これが一九五八年の作品であるということに驚倒してほしい。
■明治もの
忍法帖の執筆を六〇年代いっぱいでほぼ切り上げた(短編の執筆は七〇年代前半まで続く)山風は、幕末を舞台にした短編群を挟んで、七三年に連載開始した『警視庁草紙』を皮切りに、明治期を舞台にした「明治もの」に作品の中心をシフトする。
前述した通り忍法帖でも基本的に史実を崩さず、その隙間で荒唐無稽な物語を綴ってきた山風だが、この明治ものはその「史実の隙間を縫って『あり得たかもしれない』法螺を吹く」こと自体が作品の軸となる。明治期の著名な人物が思わぬところで交差するのが明治ものの見所であり、この手法は後の数限りない作家・作品に影響を与えている。この明治ものの緻密な作りは、それまで「エログロ通俗娯楽作家」と見られていた山田風太郎の、文壇での評価を高める契機ともなった。
というわけで、登場する剣豪についての予備知識がある方が『魔界転生』を楽しめるように、明治ものもある程度明治期の著名人についての知識があった方が楽しめる。そのぶん明治期に馴染みのない読者には、若干とっつきにくい面もないではないだろう。
明治もの第一作である『警視庁草紙』は、警視庁初代警視総監・川路利良率いる警察と、元南町奉行・駒井相模守と元同心・千羽兵四郎の推理合戦を軸に、西郷隆盛の下野から西南戦争へ至るまでの時代を錚々たる明治オールスターが駆け抜ける。ミステリとしても高く評価されているが、現代本格のような「推理合戦」を期待して読むと肩透かしを食らってしまうだろうから、現代の読者には、ミステリとしても楽しめる明治時代小説、ぐらいのつもりで読むのを勧めたい。
では現代の本格ミステリファンに最も勧めやすい明治ものはといえば、やはり⑪『明治断頭台』で決まりである。時代は明治ものでも最初期にあたる明治二年から始まるので、明治もの入門にもピッタリだ。この年に設置された監察機関〈弾正台〉の大巡察に任じられた香月経四郎と川路利良のコンビが奇怪な事件に挑む連作だが、謎を解くのは死者の口寄せで真相を突き止めるフランス人の霊媒美女・エスメラルダ――。
……と設定を語ると、現代のミステリファンであればすぐピンとくるだろう。そう、ドラマ化もされた相沢沙呼の本格ミステリ大賞受賞作『medium 霊媒探偵城塚翡翠』は本作のオマージュである。霊媒探偵の相方の苗字が「香月」である点からも明らかだ。そして『medium』は連作形式の最終章において衝撃の真相を読者に叩きつけるが、その元ネタである『明治断頭台』は――いや、これはあまり多くを語るべきではあるまい。一言だけ言えるとすれば、最終話「正義の政府はあり得るか」の凄絶さは、間違いなく一読忘れがたいものであるということだけである。
また、米澤穂信は『黒牢城』で第二二回本格ミステリ大賞を受賞した際の受賞の言葉にて、「『明治断頭台』の、あの血まみれの最終章を本格ミステリが描き出した小説の到達点の一つと仰ぎ見て、せめてその足元には及びたいと願って書いたものが『黒牢城』です。」と述べている。現代ミステリの最先端を行く現役作家たちが範とし乗り越えんとする金字塔。それが『明治断頭台』なのだ。
ともあれ『明治断頭台』は個々の短編もこの時代ならではの豪快な物理トリックなどが駆使される本格ファン好みの連作である。原典とその現代版として『medium』や『黒牢城』と読み比べてみるのも一興であろう。
ほか、明治ものでは角川文庫のベストコレクションに『幻燈辻馬車』と『地の果ての獄』が収録されている。明治一〇年代、辻馬車を引く会津敗残兵の干兵衛と孫のお雛が自由民権運動を巡る暗闘に巻き込まれる前者は、自由民権運動の暗い実情を描きつつも、ピンチになると干兵衛の倅の幽霊が現れる、という幻想味と干兵衛たちの人物像が清涼剤となり、すっきりした仕上がりの傑作。
明治十九年、極寒の北海道・樺戸集治監の典獄となった有馬四郎の助の成長物語である後者は、山風作品としては例外的なほど明るく爽やかで痛快な物語だ。時代はずれているが、同じ明治の北海道を舞台にした野田サトルの漫画『ゴールデンカムイ』と併読するのも面白いかもしれない。
角川文庫に入っていない明治ものは、ちくま文庫の《山田風太郎明治小説全集》全十四巻で読むことができる。ミステリファンに特にオススメしておきたいのは、その十二巻の表題作である短編「明治バベルの塔」。竹本健治の本格ミステリ大賞受賞作『涙香迷宮』で言及されていたのを記憶している方もいるだろう。黒岩涙香が発行する新聞〈万朝報〉が出題した懸賞金つきの暗号を題材にした出色の暗号ミステリである。
■その他の作品群
八八年刊の『明治十手架』で明治ものは一段落し、その後は室町時代を舞台にした『婆沙羅』『室町お伽草紙』を経て、九一年の『柳生十兵衛死す』で山風は小説執筆から引退した。その作家生活の締めくくりとして、『柳生忍法帖』『魔界転生』で活躍してきた山風作品最大のヒーロー・柳生十兵衛を倒せるのは誰か? という問題に対して山風がひねり出した奇想を堪能してほしい。
ここまでに取り上げてきた以外にも多数の作品があり、残り少ない紙幅ではとても紹介しきれないが、その中でも絶対の必読と言える傑作長編をふたつ紹介しておこう。
ひとつ目は⑫『妖説太閤記』。忍法帖ブーム真っ盛りの六〇年代後半に、忍法帖の執筆を一時中断して全力投球した山風版『太閤記』だが、この作品の秀吉像が凄い。この作品の秀吉を突き動かすのは、まだ幼女である信長の妹・市姫を我が物とせんとする情欲と、「女性にモテたい」という妄執である。敢えて俗っぽい言い方をすれば、リア充になりたいロリコンの秀吉が、ただその一念に突き動かされて、竹中半兵衛や黒田官兵衛とともに謀略を駆使して歴史の流れを操っていくのだ。秀吉の天下統一に至るまでの有名なエピソードの数々が、全て秀吉の妄執が生む謀略として再解釈されていく様は、結末を知っている物語を神の視点から眺める悦楽に満ちている。そして、天下人まで上り詰めながら、醜貌と精力の弱さゆえに最期まで望んだ自分にだけはなれなかった秀吉が、終盤でぽろりと淀君に漏らす思いは、一周回ってある種の純愛物語として感動的ですらある。本格ミステリにおける〝操り〟というテーマは、人間の自由意志を否定するベクトルを孕んでいるが、その行き着く果てのような凄絶なる大傑作だ。
もうひとつは⑬『八犬伝』(廣済堂文庫版では『八犬傳』)。忍法帖の『忍法八犬伝』とは別作品である。これは曲亭馬琴『南総里見八犬伝』の山風版リライト――と並行して、『里見八犬伝』を書く馬琴の物語が語られる。前半は『里見八犬伝』の物語を中心に語られるが、後半から徐々に馬琴の物語が存在感を増していき、最後には『里見八犬伝』自体が馬琴という稀代の戯作者の恐るべき業の物語に取り込まれてしまう様が壮絶無比。作中でも言及される『里見八犬伝』の物語としての構造的な問題を解決する手段として導入された虚実冥合の手法は、同時に山田風太郎なりの創作論でもあり、そうであること自体が作品のテーマと直結する。創作者の業を描いた物語の極北のごとき虚実の大伽藍。創作に手を染めている人は特に必読である。
小説以外にも、山田風太郎には日記、エッセイ、ノンフィクション、ロングインタビューなどの著書が多数あり、そちらも評価が高い。
そんな山風の小説外の仕事でとりわけ有名なのは、医学生時代につけていた一九四五年の日記である⑭『戦中派不戦日記』と、九〇〇人以上の著名人の死に様だけを蒐集した大著⑮『人間臨終図巻』だ。
二三歳の医学生・山田誠也が、太平洋戦争の敗戦を迎える一九四五年という一年間にどのようなことを考えていたのか。『戦中派不戦日記』で当時のひとりの若者の生の声を読むことは、世界情勢の混迷が続く現代において、ひとつの時代の追体験としての燦然たる価値を失わない。また、山風の作品に通底するニヒリズムの根源に触れるという意味でも、小説と併せて読みたい日記である。
そしてそのニヒリズムの極限とも言うべき大著が『人間臨終図巻』だ。これほどまでの情熱をもって著名人の〝死に様〟だけを蒐集したこのノンフィクションからは、引用・創作される死にまつわる箴言とともに、山田風太郎がその生涯にわたって〝死〟とは何であるのかを考え続けた作家だということが、圧倒的な質量で迫ってくる。
小説以外の山風の文章にも興味を抱いたら、是非こちらにも手を伸ばしてみてほしい。
■おわりに
二〇〇一年七月二十八日、山田風太郎は肺炎のため七九歳で死去。自らつけた戒名は「風々院風々風々居士」。奇しくも命日は、師と仰いだ江戸川乱歩と同日であった。
そして没後二十年以上が経った現在においても、山田風太郎が生み出したミステリの、エンターテインメントの〝型〟は、無数の作品に影響を与え続けている。
限られた紙幅では、山風の膨大な仕事のほんの一端を紹介することしかできなかった。より網羅的な紹介や詳しい作家論・作品論などは、『文藝別冊 我らの山田風太郎 古今無双の天才』(河出書房新社)のようなムックや、『山田風太郎全仕事』(角川文庫)のようなガイドブックに任せるとして――。
山田風太郎を語るとき、その作品があまりにも面白すぎ、その先駆性が偉大すぎるがために――本稿がそうであるように、つい誰しも肩に力が入って、その名を神棚に祀りがちになってしまうが、おそらく山風本人はそんな扱いを好まないのではないだろうか。
山風を読むのに肩肘を張る必要は無い。その作品群は、愉快なほら吹き爺さんの、めちゃくちゃ面白い与太話である。まずは一冊、面白そうだと思った作品を手に取ってみよう。それを読み終えたなら、きっと貴方はもう、山田風太郎の次の与太話を聞きに行かずにはいられなくなっているはずだ。
《ジャーロ No.88 2023 MAY 掲載》
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