天藤真『大誘拐』〈後編〉~熊野本宮大社(和歌山県)、十津川温泉(奈良県)|佳多山大地・名作ミステリーの舞台を訪ねて【第11回】
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文・撮影=佳多山大地
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前日(五月十一日木曜日)は串本からさらに新宮まで鈍行で移動し、そこで一泊。なお、この区間を電車で旅する人は、串本駅を出てすぐ、まるでジョーズの歯のような橋杭岩が民家の屋根の向こうにニョキニョキ突き出して見える奇観[写真①]をお見逃しなきよう。新宮での晩ごはんは居酒屋で簡単に済ませたが、一人前の刺し盛のなかで熊野灘の真鯛の甘さが格別だったことだけ書いておく。
――さあ、いざ柳川家のお屋敷のまぼろしを探す勝負本番の金曜日。ビジネスホテルの室で、前夜にコンビニで買ったおにぎり二個プラスゆでたまごの朝食をとると、急ぎ足でJR新宮駅前に向かう。駅前は、制服姿の高校生らしい男女でけっこうにぎやかだ。
奈良県橿原市と和歌山県新宮市を結ぶ八木新宮特急バスは、近鉄・大和八木駅からの南下ルートもJR新宮駅からの北上ルートも一日三便出ている。平日の北上ルートは、一便目が新宮駅前を早朝五時五十三分に出発。僕が乗ろうとしているのは七時四十六分発の二便目である。鉄道ファンとバスファンは、わりと棲み分けられていて、二刀流のファンは案外すくないように思う。まあ、本格ミステリーファンとハードボイルドファンの往年の関係と似たようなものか。鉄道ファンで鉄道旅行を愛好する僕は、バス旅にはそれほど関心がないのだけれど、それでも隣県の奈良・和歌山を走る〝日本一距離の長い路線バス〟には前々から乗ってみたいと思っていたのだ。和歌山県警本部長の井狩大五郎が同バス路線を利用したようだと確信できたのは、だから願ってもないきっかけ。新宮駅前からの北上ルートを、今日明日の二日がかりで完全乗車するつもりでいる。
朝から陽射しのきつい「新宮駅」停留所[写真②]から奈良交通の特急バスに乗り込んだのは、僕のほかに大人六名。荷物や恰好からして全員が地元客ではなさそうだが、そのうち見た目でわかる外国人が四名もいる(ひと組の老夫婦と若い男性の二人連れ)。いや、バスの運転手の目には、僕だって東アジアのよその国から来た人に映っているかもしれないぞ。ともかく、そんな自分を含め新宮駅前から特急バスに乗ったのは、ユネスコの認定する世界文化遺産にもなった《紀伊山地の霊場と参詣道》を訪れる観光客にちがいない。
バスの座席に着いてから、念のため買っておいた酔い止めの薬を飲む。バスで乗り物酔いをしたことなど小学生のときが最後なのだけれど、今回のバス路線はほとんどが山道で右に左にずいぶん振られつづけるだろうと警戒したのだ。バスは基本、国道168号線を走行すること約一時間半(湯の峰温泉の先、一部道路が通行止めで迂回あり)、重要な寄り道のため「本宮大社前」停留所で降車した。
ご存じ、和歌山県内にある熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社の三社を「熊野三山」と呼び、三山をめぐる熊野詣は「よみがえりの旅」と勧められる。このうち僕は、〈過去〉をつかさどる速玉大社と〈現在〉をつかさどる那智大社はすでに参詣済み。〈未来〉をつかさどる本宮大社を今回お参りすることで、ついに真人間に生まれ変われると信じたい。
バスの停留所から本宮大社の神域までは、目と鼻の距離である。「熊野大権現」と大書された幟がずらっと左右に並ぶ参道をしばらく進むと、左手に小さなお社が見えた。近づくと、脇の案内板に「功霊社」とある。日露戦争及び第二次大戦に出征して亡くなった、本宮町の出身者六十二人の御霊を祀っているという。そういえば、井狩本部長は「津ノ谷村の隣町、本宮の在の生まれ」と紹介されていたっけ……。
終戦から三十三年後に発表された『大誘拐』に、先の戦争の影はまだ色濃く残る。物語の最後、休日に柳川家を訪ねてきた井狩本部長と相対した女主人は、あの誘拐事件で自分は「母代わり人質」だったと述懐するくだりがあるのだが――御年八十二にして三人の悪童の子守に忙しなかった柳川刀自には、まぎれもなく血のつながった子が四人いる。生涯二人の夫とのあいだに生した、国二郎、可奈子、大作、英子(偽の誘拐犯を返り討ち!)の四人の兄弟姉妹だ。……いや、刀自が腹を痛めて産んだ子は、それだけではなかった。先の戦争で、長男の愛一郎と三男の貞好は戦死。長女の静枝は学徒動員で働いていた兵器工場が爆撃に遭い、命を落とした。そう、誘拐団の三人はまるで、戦争で奪われた三人の子の生まれ変わりのように、老いた母のまえに突然あらわれたのだ。
うん? 柳川刀自が戦争で亡くした三人のうち一人は娘の静枝で、男ばかりの誘拐団とは人数しか合ってない? いやいや、『大誘拐』の小説本篇を読むか、映画版を見た人は、きっと憶えているはずである。誘拐団のリーダー、戸並健次は刀自の健在を示すテレビ中継を実現するため、女装をしてテレビ局に乗り込んでいたことを。人質の刀自は、くーちゃんの娘時代の服をベースに現代的なロングドレスを仕立て、女になる健次の顔に日に三度もコールドクリームを塗り込んで整えてやった。それは刀自にとって、まるで静枝のためにしてやるようではなかったか。
前代未聞の大誘拐事件という嵐が過ぎ去ったあと、晴れ渡った空にかかる七色の虹。そう、「虹の童子」とは、誘拐団の三人の子にだけ与えた名前ではない。老母は自分を救出する側にいる四人の子を加えた七人のことを考えていたのだ。ケチな悪党からさらに身を持ちくずしかねなかった三童子も、女丈夫のくーちゃんに言わせれば「温室育ちのもやし同然の世間知らず」である四人の実の子も、合わせて七色の「美しい虹」に成長しますようにと――。
天藤真の『大誘拐』を〝映画版を見てから読んだ〟僕にとって、井狩本部長のイメージは最初から緒形拳だった。今は亡き緒形拳イコール井狩大五郎の代わりに、功霊社に手を合わせる。それから、ようやく齢五十にして熊野信仰の本願を達成すると、本日の特急バス北上ルートの最終三便目に乗り込む。バスは和歌山・奈良県境を越え、ついに十津川村に入った。
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お昼十二時四分、奈良交通の十津川営業所と一体の「十津川温泉」停留所に到着。降車して、まずは庵之前橋を渡った先にあるドライブインで腹をくちくし、来た道を引き返す。バス停「十津川温泉」の東隣りで営業中のローカルコンビニ店が、レンタサイクルも受け付けているのは事前に調査済みである。ブリヂストンの電動アシスト自転車を一台借り、すでに目星をつけている〝約束の地〟へ向かってペダルを踏み込んだ。
あらためて断っておくが、柳川家のお屋敷を探すメインイベントは『大誘拐』という小説が大好きな人間の勝手なお遊びである。そもそも柳川本家(とその分家の家六軒が並んだ集落は「ひとつの城」のごとく)は架空の存在である。柳川家の立つ場所を示唆する記述にしても、わざとそうしたかに思える矛盾がいろいろ出てくるのだけれど……とにかく柳川家と国道168号線の位置関係がいちばん詳しく書かれている箇所を引用してみよう。
誘拐団のリーダーである戸並健次が描いた、例の略図を見直してほしい。健次は「距離、方向はええかげん」と言っていたけれど、距離はともかく、方角をたがえては弟分らが混乱するだろう。彼らの監視点から見て「門から左手」が国道168号線で、そこに突き当たった車が「右へ曲がれば南」、「左なら北、健次たちのがわ」。であるなら、この略図は当たりまえの地図と同様、やはり北の方角を上にして描かれたものである。
――だとすれば。十津川村南部の地形図をとっくり検討するに、きわめて似通った場所があることに気づかされる。世界遺産を構成する要素のひとつ、果無集落へ続く熊野参詣道小辺路の登り口もあるその地区は、なんと柳川家と「柳」の一字も合致する柳本……! 十津川村の教育委員会に問い合わせてみたところ、地名の由来はハッキリしないが、最も古くは延享四年(江戸時代中期)の史料に「柳本」は見られるそうである。
庵之前橋を今度は自転車で渡り、さっき釜めしを食べたドライブインを置き去りにすると、左手に山々と渓谷が織りなす素晴らしい景色がパノラマのごとく広がる。その先の洞門をくぐり、蕨尾と呼ばれる地区を進んだ先にあるのが、橋梁の赤い色が目立つ柳本橋だ。ここまでほぼ一本道の国道168号線を走ってきたが、柳本地区を渓谷の対岸から眺めるため、柳本橋の手前で交差する国道425号線に入る(なお、健次が描いた略図にはないこの道路が国道に昇格したのは、『大誘拐』の刊行から四年後の一九八二年のことである)。熊野川の支流を左手に見下ろしながら、ゆっくりペダルを回していたところ――「うわあっ」と思わず声がもれ、同時にブレーキを握りしめた。二次元の地図を見ながら勝手に想像していた柳川家のまぼろしが、三次元の山麓にあっさりと実体化していたからだ[写真③]。
眼下の渓谷の流れは細々としたものだが、これが大雨の日ともなれば川幅いっぱいに広がるのだろう。対岸に柳川家のまぼろしを見た興奮を抑えながら、僕はふたたび自転車を漕ぎ出した。国道425号線と分かれる渓谷沿いの県道を進むと、柳本地区との間にかかる吊り橋のたもとに着く。自家用車が通れないのは作中の記述と合わないけれど、ここが健次の描いた略図でいう「林道」の途中の橋に相当するわけだ。車体が重たい電動自転車を押し歩きして、吊り橋の向こうの柳本地区に渡る。渡った先は細い悪路で、自転車は押したまま行くと、対岸からひとつの城のごとく見えていた家々が肩を寄せるように立っていた。家屋の造作はいずれも古く見えないが、中には立派な石垣を組んで土台にしている家もある。
ここ柳本地区をベースに、天藤真が架空の津ノ谷村の、架空の柳川家周辺を創作した可能性は充分あると信じられる。それはこのあと、借りた自転車が電動アシスト付きなのを頼りに、柳本地区の裏手からうねうねと続く車道を上り、世界遺産の熊野古道が縦貫する果無集落まで辿り着いてみての実感だ。標高約四百メートルの急斜面の山林を田畑に開墾したそこは、もう別天地のようだった[写真④]。
天藤真は、大正四年(一九一五年)の生まれ。東京帝国大学国文科を卒業後は同盟通信社に入社し、戦時中は満州で記者生活を送った。戦後は記者を辞め、千葉県で開拓農民となった天藤が、この自給自足の暮らしをしていた〝天空の郷〟に関心を寄せなかったはずがない。きっと天藤もここから、柳川刀自が一生をかけて愛し育てた山々を見渡したのだろう。
《ジャーロ No.90 2023 SEPTEMBER 掲載》
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『大誘拐』天藤 真
■あらすじ
刑務所の雑居房で知り合った戸並健次、秋葉正義、三宅平太の3人は、出所するや営利誘拐の下調べにかかる。狙うは紀州随一の大富豪、柳川家の当主とし子刀自。身代金も桁違い、破格ずくめの斬新な展開が無上の爽快感を呼ぶ、捧腹絶倒の大誘拐劇。天藤真がストーリーテラーの本領を十全に発揮し、映画化もされた第32回日本推理作家協会賞受賞作。
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