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【小説】方丈貴恵|一見さんお断り 〈「アミュレット・ホテル」シリーズ〉

ジャーロ7月号(No.83)より、方丈貴恵さんの
『「アミュレット・ホテル」シリーズ』読み切り短編をご紹介します。
―――――――
僕はここに入らなくてはならない! 
だがこのホテル、どうにも一筋縄ではいかない⁉

イラストレーション 佐久間真人




 指先にアリアの震えが伝わってくる。
 
 小学生の頃、アリアはよくこうして僕の手を握りしめてきた。ある時はてついた河のほとりで寒さに震えて……義父から振るわれる暴力におびえきって。

 あの時の僕は無力だった。

 アリアより二学年も上だったのに彼女より背が低くて。何より、僕らが不幸なのはどうしようもないことだから、受け入れる以外に道がないのだと信じ切っていた。

 ……でも、今は違う。

 暗い路地裏で僕はアリアの手を放しながら言った。

「心配すんなって、騙し取られたものを取り返すだけなんだから」

 昔から彼女は春先にはトレンチコートを着るのが好きだったな。そんなアリアも今や大学二年生で、あと二週間で二十歳の誕生日を迎える。

 アリアは子供の頃と変わっていなかった。

 すらりと背が高いところも、丸顔で優しい目をしていることも同じ。超のつくお人よしで、すぐ人にだまされてしまうところまで何も変わっていなかった。

「ごめん。……こんなことに博貴ひろきを巻き込んで」

 アリアは今にも泣き出しそうだ。僕は自分がつけている黒髪のカツラに手をやって笑った。

「むしろ、相談してくれてうれしかったけど」

 昔と変わらないと言えば、僕もそうか。

 相変わらず背はアリアより低いし、童顔なのでコンビニで酒類を買おうとすると必ず年齢確認を求められる。その後、店員に「これで成人?」という顔をされるところまでがテンプレートだ。

 ちなみに、アリアと僕、瀬戸せと博貴に血縁関係はない。

 共通点といったら、家が隣同士だったことと、どうしようもなく家族に恵まれなかったことの二つだけ。アリアは虐待の常習者である養父と、僕はネグレクトで酒乱の母と暮らしていたから、家に帰っても地獄だった。だから、僕らは実の兄妹のように寄り添うことで生き延びてきた。

 あの頃は……常におなかかせていた。

 小学四年生の秋、僕は道行く大人から小銭をせしめることを覚えた。
 方法は簡単、バス代がなくて困っていると訴えるだけ。それで手に入った二百円でたい焼きを買って、アリアと一緒に空腹を満たすのだけが楽しみだった。

 一年後には、僕は見よう見まねでスリをはじめていた。

 後悔はない。どちらかが犯罪にでも手を染めなければ、誰にも助けを求められなかった僕らが生き延びるすべなどなかったからだ。

 あんまりアリアが苦しそうな顔をするので、僕はおどけたように言う。

「大丈夫、こっちはスリで月に百五十万円も稼いでるんだから」

 大嘘おおうそだ。

 いや、八年ほど前に窃盗せっとうグループ『ケルベロス』の一員となって、今もそこでスリを働いているところまでは事実だった。ただ、度胸がないから、月に十五万円も稼げたらいいところ。そこから更に上前をはねられた後に残るのは、考えるだけでみじめな額だ。

 僕は自分に言い聞かせる意味も込めて続けた。

木庭きばはアリアを騙したクソだ。そんなやつに何をしようと罪悪感なんて覚える必要ない」

 あと二週間で、アリアは自由になって幸せをつかむことができる。

 それを……あんな男に邪魔させてたまるか。


 僕らが共通点を失ったのは、中学三年生の夏のことだった。

 河原《かわら》の木陰でうだる暑さをしのいでいたところに、男が現れた。そいつは弁護士の南出みなみでだと名乗り、アリアが先日、亡くなった不動産王・及川おいかわみつるの子供だと告げた。

 僕はもちろん、アリアにも寝耳に水の話だった。

 南出は説明しにくそうにしていたが、要はアリアが及川充の隠し子だったということらしい。及川充は独身で他に子供はおらず、自身の両親も既に他界していた。そんな事情もあって、アリアの見も知らぬ実父は彼女に遺言書を残していた。それにより……アリアは二十億円を超える遺産の唯一の相続人になったのだ。

 ただし、この相続には条件があった。

『二十歳になるまで、学費や生活費として支給されるもの以外、相続財産には一切手をつけてはならない』というものだ。

 彼女が相続した財産は全てリスト化されて、それらの売却は厳禁とされた。この条件を破れば、アリアは相続権を失うことになる。だから、彼女は今も生活費として支給される小遣いの範囲内で生活していた。

 普通なら……こんな条件に反しようと、遺留分は請求できそうなものだ。

 ところが、人のいいアリアは親戚連中の口車に乗せられ、『遺言書の条件を破った場合、一切の相続を放棄する』という宣誓をしていた。最初から、彼女の周囲にはどす黒い悪意がうず巻いていたということなのだろう。

 あの年の夏は、嵐のように過ぎていった。

 アリアはDNA鑑定を受けさせられ、その結果が出るなり……成城せいじょうにある及川邸へと引き取られた。名前も父方の姓である及川アリアに変わり、その一週間後には中高一貫の名門校への転校が決まっていた。

 気づけば、僕の隣の家は空き家になっていた。アリアの養父が日常的に虐待していたことがバレて捕まったからだ。

 こうして僕とアリアの共通点は失われた。

 なのに……アリアは今も僕を兄のようにしたっている。スリである僕との縁などさっさと切るべきだと口酸っぱく言っても、週に一度は電話がかかってくるし、コーヒーショップで会って話をするのもしょっちゅうだ。

 距離を置ききれなかった僕も悪かったのだと思う。まあ、そのおかげで……木庭に一矢いっしむくいられるんだから、悪いことばかりでもないか。

 腕時計を見下ろすと、午後一時前になろうとしていた。

「そんな顔しない、五分もすれば全てが終わってるからさ」

 僕がそう言うと、ほんの少しアリアの表情がゆるんだ気がした。でも、その直後にはもっと鮮烈な怯えにおおいつくされてしまう。

「……来た」

 アリアの視線を追って、僕は路地裏の外をのぞいた。

 大通りの反対側で男が信号待ちしていた。頭はきっちりと七三に分けられ、ひげはきれいに剃られている。体格は中肉中背、黒い安物のスーツに紺色のネクタイを締めている。時代遅れのセカンドバッグといい、えない中年サラリーマンにしか見えない。

 この男は木庭きば有麻ゆうまだ。

 アリアを騙した張本人で、『有麻』という名を地で行くように高級住宅地をターゲットに麻薬を売りさばいているといううわさの……どこまでもふざけたゲス野郎だった。

 


この続きは有料版「ジャーロ 7月号(No.83)」でお楽しみください


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